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[短編小説]涙のプール

(読了目安5分/約4,800字)

 小学校一年生になった春、祖母が死んだ。

 当時はよくわからなかったが、祖母は以前に心筋梗塞をしていたらしい。薬を処方されて飲んでいたみたいだが、再発、悪化して入院、そのまま帰らぬ人となった。

 もともと泣き虫の私は、お通夜も葬儀も火葬もその後もずっと、メソメソと泣いていた。

 「みか子、一生に流せる涙の量は決まっているのよ。そんなに泣いたら涙が枯れちゃうわ。もう泣かないで」

 母は私の頭をそっと撫でた。私はその言葉を信じて、なんとか泣き止むことができた。

 もちろん高校生の今、そんなことは信じていない。いや、信じられない。

 当時の母と同じ主張をして、胡坐を組んで座っているカエルを、私は口を半開きにしたまま見つめ続けていた。

     *  *  *

 今朝は両親ともに出勤日で、朝からバタバタと準備をして出かけていった。私は高校二年生最後の期末テストから解放された休日を、布団の中で存分に楽しむ。そのまどろみを、けたたましいチャイムの音が吹き消した。しばらく放っていたが、一向に鳴りやまない。

 仕方なく私は起き上がる。椅子に引っ掛けていたコートに腕を通し、寝間着を隠すと、玄関のドアスコープをのぞく。誰の姿も見えないが、チャイムは相変わらず鳴っている。

 いやがらせか。わざと見えない位置に立って鳴らしているのだろう。いきなり出て驚かしてやろう。

 私はそっと鍵を外し、勢いよく飛び出すとともに、わっ、と大声を出した。

 だが、アパートの通路には誰もいない。慌てて階段を駆け下りる人も、身を隠せるところもない。

「なんだ、やはり居るじゃないですか」

 声の方を振り向くと、インターホンに張り付いた緑色のカエルと目が合った。

 「・・・は?え?」

 空気の抜けた音が私の口から洩れる。

 「まあ、そんな恰好でここでは何ですから、玄関先までお邪魔させてもらっても良いですか?」

 「え?」

 「だって、寝間着でしょう?それ。」

 「はい」

 「女性がそんな恰好で外出するのは、人間としてはダメでしょう」

 「はい」

 「ですから、ここでの立ち話はやめて、玄関先で話をさせてください」

 「はい。・・・あ、えっと、どうぞ」

 私は思わず答えると、では遠慮なく、とカエルは答え、インターホンから壁づたいに玄関の中に入る。玄関の土間に降り立ったカエルが、不思議そうにこちらを振り返る。

 その視線を受け、私は慌てて玄関の中に入った。つっかけていたサンダルを脱ぎ、玄関の土間の前に正座をする。カエルは、土間から廊下のフローリングまで登ってくると、器用に胡坐を組み、私を見あげた。

 そして、カエルは向かいの公園の池に棲んでいること、池の水が段々干上がってきていること、そしてその池の水位は私が泣くと下がってしまい、たとえ雨が降ってもほとんど回復しないことを語りだした。

 「あの、すみません」

 「はい、何でしょうか」

 おずおずと右手を挙げた私に、話の腰を折られたカエルが少し不満そうに答える。

 「その、大変申し上げにくいのですが、気のせいってことは」

 「あるわけないでしょう。十年前の春に起こった、大干ばつ。あの時、我々は絶滅の危機に瀕しました。こんなことは二度と起こってはいけないと、歴代の長がその真相解明のため身を粉にして調べ上げた結果、導き出された事実なのです」

 十年前と言えば、祖母が亡くなった時だ。確かにあの時はよく泣いていた。というか、今でも思い出すと泣きそうになる。

 「でも、そんなのおかしい・・・と言いますか、なんで、私と池に何の関係が」

 「何故かなんて知るものですか。兎にも角にも、我々にとっては死活問題なのです」

 カエルは握りこんだ手(前足?)で、トン、と床を叩く。

 「そして貴方、近々オスに告白する計画があるとか」

 「な!なんで知ってるんですか。ていうか先輩のことオスって」

 「我々の棲みかと貴方の関係性を確認するため、貴方のことはずっと調べていました。どうせ断られることが分かっているなら、無駄なことはお止めなさい」

 私は急に熱くなった顔を両手で冷やしながら、ボソボソと反論する。

 「でも先輩卒業しちゃうし、ずっとこの気持ちを抱えたままだと苦しいし、ここは玉砕覚悟で・・・」

 「玉砕したらまた泣くのでしょう。迷惑です。少しは我々の身のことも考えてください」

 「何よ、その言い方。もしかしたら、ってこともあるじゃない」

 「まあ、確かに。普通の感覚なら、種の保存が第一ですから、卵を産んでくれるメスを探して、手当たり次第アプローチをかけるものですが、人間は量より質を重んじるようですから。しかし、質を重んじるなら尚更、もしかしたら、は無いでしょう。失礼ながら貴方の顔の造作は、人気がある方ではないかと」

 「な!カエルに言われたくないんだけど」

 「貴方の調査をしながら、人気のあるメスの調査も行いましたが、どうやら、もっと頭が小さく、目が大きく、鼻が高く」

 「うるさいな!」

 「我々と異なり、体もより小さく、もっと細い方が良いようです。卵も産むなら大柄の方が良いと思いますがね」

 「あーもう!どうせ私はブスでデブですよ」

 意味が分かっているのか分かっていないのか、カエルは動じることなく瞬きをする。

 「しばらく貴方に密着調査をしていましたが、普段そのオスとの接点は無さそうでした。もっと手近に多くのオスがいましたが、そちらではダメなんですか」

 私は大きく息を吐き、一年前のことを思い出す。

 「一年の時、いつものように奈美ちゃんと一緒に帰ろうと校門に向かってたら、サッカーボールが飛んできて私の頭に直撃したらしいの。私はその瞬間のことはよくわからなかったけど、次に目を開いたときには、成宮先輩に抱き起されてて、先輩が私の顔を見て、良かったー、って笑いかけてくれて。先輩、少し髪の色薄いでしょ、後光が指してホントに天使みたいで」

 「危うく過失致死傷罪に問われるところが、無事だったのを見て安心したのですね」

 「ヒトの思い出を殺人事件みたいに言わないでよ」

 話の腰を折られて、私はカエルを睨みつける。カエルは手のひら(前足?)を上に向けて、私の方へ少し差し出す。続けろ、ということだろう。

 「先輩が、保健室連れて行こうかって声かけてくれたんだけど、同じサッカー部の人たちが段々周りに集まってきて、私、恥ずかしくなってきちゃって、大声で大丈夫です!って言って、その場から走って逃げちゃったの」

 カエルが瞬きをする。

 「それ以来、先輩のことずっと目で追うようになっちゃって、でも同じクラスのサッカー部にも私がヘディング決めたことバレちゃってるから、あんまり近づけなくって」

 「好きならそのまま抱きつけば良い話かと。相手も嫌だったら逃げますし、良ければそのまま性交でき」

 「カエル基準で言うのやめて」

 再度カエルは手のひら(前足?)を差し出し、先を促す。

 「先輩、サッカーのスポーツ推薦で大学も入れるのに、普通に国立受けるんだって。しかも医学部。私、バカだから医学部なんて無理だし、もう先輩が卒業したら、会う機会無くなるのよ。だったら、最後にこの気持ちだけでも伝えたいって思って」

 押し黙った私をカエルはまっすぐに見つめる。ゆっくりと瞬きを二回する。

 「一年前に一度接点があっただけの、会ったことすら覚えていないかもしれない程度の方からの告白、しかもその残念な容姿、先ほども申し上げましたが、まず無理でしょう。ですが、貴方も貴方です。加害者が被害者の容体を心配・・・いえ、一度親切にされただけの、一方的なひとめぼれですよね。その後は直接話をすることなく、周囲からの伝聞の情報を鵜呑みにし、その内容を美化し、理想化し、恋に恋する。結局、美化された偶像とそのテンシみたいな見た目に惚れたのでしょう。万に一つ、そのオスと仲良くなったとして、今度は自分で作りだした偶像と現実の差に、こんなはずじゃないと言い出すのではないでしょうか」

 「そんなこと・・・!」

 言い返そうとした言葉が喉の奥でつっかえる。そんなことない、のか?本当に?

 言葉が出てこない私を、カエルが見つめる。瞬きを三回する。

 カエルは、ふと立ち上がると、玄関の土間へ降りる。カエルが玄関の扉を押すと、五センチだけ扉が開き、一条の光が差し込む。光の中に佇むカエルが少しまぶしそうに眼を細め、私を振り返る。

 「何もしないのと万に一つにかけることは雲泥の差があります。どうしても告白したいのなら仕方がない。ただし、結果がどうあれ、絶対泣かないと約束してください。我々の生命がかかっているのです」

 光のいたずらか、カエルの頭に小さな王冠が乗っているように見える。

 「カエルの王子さま・・・?」

 思わず口から出た言葉に、カエルは喉を鳴らす。

 「勘弁してください。こちらにも選択権があります」

 カエルは光の中へ、ピョンと跳ねて消えた。

     *  *  *

 「みーか子。帰ろ」

 奈美ちゃんがポン、と私の肩を叩く。サッカー部の練習試合が行われているグラウンドをぼんやり眺めていた私は、そーだね、とぼんやり答える。答えたきり動かない私の前の席に奈美ちゃんが腰かける。

 「恋するみーか子ちゃん、あそこに愛しの王子様はいないよー。私の情報では、成宮先輩は前期試験が終わるまで、サッカーボールを触らない宣言をしてるからね」

 「うん、知ってる」

 私は奈美ちゃんに笑いかけ、右手のスマホの待ち受けに目を落とす。

 「あれ、待ち受け変えた?どこ?ここ」

 つられて私のスマホを覗き込んだ奈美ちゃんが首をかしげる。

 「近くの公園の池」


 私はあの日、気が付いたらベッドの上にいた。

 時計はまだ昼を迎えていない。私は大きく伸びをして着ていたコートを脱ぐと、早々に着替えて家を出た。

 ほとんど足を踏み入れたこともなかった公園は、鉄棒がさびていて、滑り台もところどころ色が剥げている。それでも砂場では三、四歳くらいの子どもたちが三人で山を作っている。近くのベンチには母親らしき人が二人でおしゃべりしている。

 私が入ってきたのとは反対側の入口のそばには、小高い木々が植えられている。足元には雑草が生い茂り、木の杭で人が入らないようにしてあった。雑草が少ないな、と思ったところがどうやら池だった。だけどこれでは池というより、大きな水たまりと言った方が近い。

 どの程度の深さがあるのかわからないが、はっきり言って水の量がすごく少ない。私の人生、まだ何十年もあるのに。

 あのカエルがいないかと、しばらく眺めていたが、体が冷えてきたのであきらめてスマホで池の写真を撮り、待ち受け画像に指定する。こうして写真で見ると、池というよりただの湿った雑草の写真だ。


 「池?パワースポット的な?」

 「そんな感じ。これ見ると、泣いちゃダメだって思って元気になれるから」

 奈美ちゃんは私のスマホを回転させながら、しげしげと写真を見つめる。

 「ふーん・・・でも正直、映えないね」

 素直な感想に、私は思わず声を上げて笑った。返してもらったスマホの待ち受けを眺めながら、私ね、と口にする。

 「告白、というか、普通に先輩と話してみようかな、って思ってる」

 「普通に?まずはお近づきに、ってこと?」

 「うん。まあ、そんな感じ。よく考えたら、私、先輩のことよく知らないな、って思って」

 「え?そう?」

 「うん」

 戸惑っている奈美ちゃんに笑いかける。

 「とりあえず、帰ろっか」

 私はスマホをバッグに入れ、立ち上がる。奈美ちゃんもいまいちすっきりしない顔で立ち上がり、右手でくしゃくしゃっと頭を掻く。そして、気持ちを切り替えるように明るい声を出した。

 「帰ろ帰ろ」

 先に歩き出していた私は、教室の入り口をくぐりながら、振り返る。

 「あ、そうだ。奈美ちゃん知ってる?一生に流せる涙の量って決まってるんだよ」

 「何それ、そんなわけないじゃん」

 呆れたような口調で答える奈美ちゃんと、私は顔を見合わせ笑った。


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