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節約術と聞こえないふり

心に余裕がない時、自室の散らかり具合や風呂場のボロボロさを見るとなんだかそれだけで気が滅入ってきてしまう。家族が試行錯誤している節約術などを見ていてもそうだ。

 我が家は昔からお金がなかった。私が外に働きに出なくなってからはそれがより顕著になったように思う。今は妹の貯金と母の収入+祖母の支えで何とか食いつないでいるが、現状の生活は私が想像しているより長くは持たないだろう。

 最近母は夜勤を点々としている。生活が苦しいので出来る限り時給のいい夜勤を選んではいるのだが、歳も歳なので身体がついていかないことも多いらしい。

 そんな状況では日々の暮らしもどこか寂しいものになってきてしまう。冒頭のツイートにある通り『1ヶ月1万円生活』を地で行っているような状態だ。

 節約は悪いものではないのだが、どこか虚しさが漂う。極力無駄は控えていく程度の消極的な節約とは違い、積極的な節約にはどうしても切実さや必死さが色濃く見える。何かが欠けているような感覚が酷く悲しい。

 夜なかなか寝付くことが出来ない私に親切な知り合いが「日光を浴びると睡眠・覚醒リズムが整いやすくなる」とアドバイスをしてくれたのを思い出し、ベランダで黒いペットボトルと共に日光浴を行った。

 ギラギラと光るアルミ箔の箱の中から黒いボトル達が、私に物言わぬメッセージを送ってきているようでとても心苦しい。「お前のせいだぞ」という声が聞こえる気がして、日光浴も程々にベランダを後にする。

 壊れたままのシャワー、ボロボロの襖、トイレで流されないままの母の黄色い尿、あの黒いペットボトル、そのひとつひとつからとても力強い圧力を感じずにはいられない。

 それでも、その全てに気が付かないふりをして、今日も布団の中で震えて眠る。

おいしいご飯が食べたいです。