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多様なコミュニケーションスキル

日中も日の光が届かないどんよりとした天気が多く、このまま無限の梅雨が続くのか?と思われた7月が過ぎ去り、ここ数日は夏らしい猛暑日が続いている。

 世間があれやこれやで大変な時期の中、私はと言えば相変わらず部屋にひきこもってインターネット三昧の日々だ。ここ数か月も特に波風の立たない穏やかな日々を過ごせていた。

 皆が仕事から帰宅し、風呂や晩御飯も済んだであろう21~22時頃から深夜帯の2~3時頃まで気の合うインターネッツフレンド達とのんびり他愛もない事を語らっている。

 そんな何でもないような語らいの中で、私はどうやら人よりも多く喋るほうであり、いわゆる「トークスキル」や「コミュ力」と呼ばれるものも、そこそこ兼ね備えている側の人間だという事に気づかされた。

 古くからの友人は皆、多弁で明るい性格の人物が多かったため、特別自分がお喋りな人間である自覚は無かったのだが、ネットで知らない人と話をする時には、確かに自分でもよく喋るほうだなと思ってしまう。

 時にはそうした能力をインターネット友達から羨まれたりする事もあるので、特別秀でているようなモノではないのだが、このそこそこの対人スキルには感謝しなければならないだろう。

 しかし、そんな私がネット友達と共に過ごしている時、一気に「コミュ障」になってしまうタイミングが存在する。それは、慣れない対人系のゲーム(主にFPS)などを共にプレイする時だ。プレイの最中に多少のリアクションなどは出来るものの、あっという間に敵プレイヤーの餌食になってしまい、しばらく傍観している事が多い。

 ゲーム後半まで生き残ってしまった時も、共にゲームをプレイ中のチームメイトから「この先に敵が待ち構えてるから注意して!」「ヤマー!右から敵が攻めてきてるぞ!」などの指示や的確なアドバイスに対応することが出来ず(脳の処理が追い付かない)「あ…えっと…あ…っ」などと混乱しているうちに無様な敗北を晒してしまう。

 こんなゲーム下手な私と共にプレイしてくれる優しいネットフレンド達は普段は「コミュ障」を自称していたり、私のトークスキルなどを評価してくれる人々だ。

 「コミュニケーションを行う」という場がひとたび「お喋り」から「ゲーム」に変われば、彼らはプレイスキルという名のコミュ力を遺憾無く発揮する。長年のゲーム歴で鍛えられたエイム力が、勝利への的確な判断力が、プレイヤーとしての感が、チームメイトを興奮させるようなスーパープレイが、言葉よりも雄弁にその空間を盛り上げてくれる。

 個人的な感覚としては「対人スキル」や「トーク力」と呼ばれるようなものを人並みに持ち合わせなかった人々は、代わりに別の何かに特化した専門的な知識やスキルを兼ね備えている事が少なくないように思う。言ってしまえばそれがオタクと呼ばれるような人々なのかもしれないが。

 そうしたある種の歪なステータスを兼ね備えた同種の人々が簡単に集まることができ、自身が最も輝ける自分なりの「コミュ力」を発揮することが可能な場所にアクセスできるインターネットにはもう少し感謝してもいいのかもしれない。

 自身の得意分野であるお喋りだけではなく、上記のような「コミュ力」も同時に兼ね備えられればいいなと思いながら、しばらくは敵プレイヤーに無残にやられながらの「コミュ障」な日々が続きそうである。

おいしいご飯が食べたいです。