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最後の飲酒者と悪の代役

昨日、ついに禁酒ブームの訪れを予感させるような記事をTwitter上で見かけた。この記事へのツイートにある通り、お酒を飲むも飲まないのも個人の自由である以上そこに「クールじゃない?」という価値観が持ち込まれるのは違和感を覚えるが、世間の価値観を少しずつ動かしていくものは、こうした意見なのかもしれない。

健康に悪影響を及ぼす食べ物、嗜好品がここまで避けられるようになっている理由の一つに今の“健康ブーム”がある。このブームはまるで昔からずっと存在していたような顔をして平然と世の中に存在しているが、実は健康がここまで謳われるようになったのはここ十数年の話だ。

今でこそ信じられないかもしれないが、ほんの十数年前までは仕事中のオフィスや、電車、バスなどの各種公共交通機関内でも喫煙は可能だった。こんなにも早く分煙や禁煙が進でいく世の中を見ていると、筒井康隆の短編小説『最後の喫煙者』を思い出してしまう。

健康は万人にとって望ましい存在だからこそ世の中はそれを歓迎して受け入れるだろう。しかし、健康が「望ましい」という範囲に留まらず「健康であるべき」という社会的な規範に変わってしまった時、健康に悪影響を及ぼすような存在が排除されるのはもちろん、生活習慣病などの病気に苦しむ方への“自己責任”的な雰囲気を強めてしまうのではないかと私は懸念している。

推奨されるものが規範へと移り変わり、それがお酒やタバコを嗜む人の自由と衝突してしまった時、“健康”という社会からのお墨付きを得た強大で至極真っ当な存在を目の前に「個人の自由」という存在が少し心もとなく感じてしまうのは私だけだろうか?


__皆が健康に気を使い、マナーやモラルを守り、世の中は昔よりもずっと平和で安心安全な生活が約束されるようになった。しかしその反面、昔では許されていたような行為が思いがけず他人への「加害行為」として扱われるようになってしまったのも事実だろう。

ツイートにも記した通り、分煙が禁煙がここまで進んだ世の中においてタバコは副流煙だけでなく、喫煙者自身が纏ったタバコの匂いに至るまでかなりの加害性を帯びてしまう。

通り魔やひったくりなどに遭遇する可能性すら滅多にないという事はとても素晴らしい事なのだが、誰が見ても悪いと思える「明確なる悪」が存在しない以上「周りの人への迷惑」という日常的な不満が「悪の代役」を引き受けざるを得ない。

私のフォロワーには何故か熱心な嫌煙家の方がいらっしゃるのだが#受動喫煙や#喘息などのハッシュタグが付いた呟きを頻繁にRTしている。軽く覗いてみたところその内容の殆どが自身を「被害者」、喫煙者を「加害者」として徹底的に被弾するというものであった。

「死にたくない」「殺される」など、かなり過剰な表現に思えるのだが、本人たちは至って真面目で、そして切実に苦しんでいるのだろう。

非喫煙者の家族を気遣いベランダでタバコを吸っていたホタル族がかわいそうと思われていたのは、どうやら既に昔の事のようだ。喫煙への規制が強まる中、就業中の全面喫煙禁止や喫煙者不採用などを取り組み始めた企業や大学も現れ始めた。

喫煙そのものが明確な加害行為へと変化し、喫煙スペースも狭まり、喫煙者であるという事によって社会から何らかの制約を受けることになる以上、そこに個人の自由が存在するとはいえ、世代を問わず喫煙率が低下の一途をたどるのは当然の帰結だろう。


__私自身が喫煙者なこともあり、喫煙をめぐる問題をメインに語ってしまったが、仮にこの世から喫煙者がいなくなり、喫煙行為という文化が過去のものとなった時、世の中の人々はそれで満足するのだろうか?

酔っ払いに絡まれるなどという事は殆どないと思うが、それを相手にする機会が珍しくないであろう居酒屋店員の精神力の強さには感心してしまう。ただ、コンビニでのバイト経験のある非喫煙者に嫌煙家が少なくない様に、居酒屋の店員も決して快い存在だとは思っていないだろう。

アルコール依存症の方や、酒癖の悪い人物が家庭内にいた人はどうだろう?正月に家族で集まる席で無礼な発言をしてくる親戚の酔っ払いおじさんはネット上ではかなり憎まれている存在のようだ。

無理に酒を進めてくる上司や、そもそも会社の飲み会そのものに対して嫌悪感を表している知り合いも少なくない。

今はまだ、世の中の不満はアルコールそのものに向いていないのかもしれない。しかし「少量の酒ならば身体に良い」という錦の御旗を失ってしまったお酒が“健康”という圧倒的正しさを前にして、タバコと同じ窮地に立たされないという保証は最早どこにも無い。

“タバコは嗜むがお酒は全く飲まない”という人からの批判も考えられる。「健康を害するという理由でタバコが規制されたのならば、アルコールも規制すべきだろう」そう考える彼にとって、お酒が規制される事によって困ることなど何もないし「健康に良い」という大義名分すら存在するのだ。

この例を出したのは、私自身が“タバコは嗜むがお酒は全く飲まない”タイプの人間だからという理由もある。しかし、アルコールがタバコと同じように規制されて欲しいとは全く思っていない。

これは表現規制の問題を巡っても度々話題になる事だが「周りへの被害」「迷惑行為」といったものが理由に規制が進んでいった時、自身が愛好している存在が上記の理由によって潰されない保証があるのかを一度冷静に検討してみる必要があるだろう。

平和で安全な世の中だからこそ、自身が好む嗜好品や表現などが他人を不快にさせてしまったり、迷惑行為として被弾され、それを理由に規制に追い込まれない保証などやはりどこにもない。

あらゆる場所で喫煙が許されていた時代からすれば、風前の灯のようになってしまったタバコ文化だが、それをここまで追い込んだ“健康”や“被害者の声”はアルコールという次のターゲットを見つけて歩き始めたのではないだろうか?

今はまだ小さくとも、その足音を聞き取っているのは私だけではないはずだ。

おいしいご飯が食べたいです。