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「かわいそうな弱者」幻想

 「死にたい」「今すぐ消えてしまいたい」どれだけ穏やかな日々が続いていても、心の奥底にあるこうした感情や希死念慮はなかなか消える気配がない。そして、こうした感情を強く抱いているのは残念ながら私だけではないらしい。私よりもそんな気持ちが強く表れている状態の人と話す機会が度々訪れる。

 意図して、障害を持っていたり、精神的に参ってしまっている方と付き合っていこうと思っている訳ではないのだが、上記のような人々とお近づきになる機会に恵まれており、これが俗にいう類友というヤツなのだろうか?と思ったりする。

 先日もODの末に意識が朦朧としている状態でリスカや首吊りに挑もうとしている状態の方とネット上でお話しする機会があった。ネット上での人間関係が上手くいかなかった事が原因だそうだ。

 お世辞にも彼はコミュニケーション能力に優れているとは言えず、対人関係を失敗する度にコミュニティを転々と歩き回っているような人物だった。そうした失敗の後、余りにも気分が沈んでいると自傷行為に走ってしまう事もあるらしい。

 更にそうした行為を周囲の人々やSNS等に発信する事によって周りの目を引き、身近な人々から心配されようとするにまで至る。こうした行為に関しては本人も「かまってちゃんだから」「私はメンヘラだから」と自覚を持っており、そうした行為のせいで人々が離れていってしまう事についても承知している。

 彼のような人物を好き好んでコミュニティに置きたがる人など殆どいないだろう。いつ爆発するかもわからない爆弾を抱えている人物であり、導火線に火がついてしまった時には、自傷や自殺という名のナイフが向けられた状態での関係を迫られる事もある。

 そんな事を繰り返してしまえば、彼を心配する側の精神が摩耗してしまい身が持たなくなる。そうまでして彼に付き合いたいと思える魅力やメリットがない以上、そこで彼のとの関係を切ってしまう人物を冷血漢だと責める事が出来るだろうか?実際にそうした精神障害やメンヘラに理解のある知人からも縁を切られてしまっている状態だそうだ。

 彼はODをした後の通話で「どうしてこんなに上手くいかないんだろう…」「やっぱり私は人と関わっちゃいけないんだ…」とあまり呂律の回っていない小さな声で呟いていた。

 私は彼の辛い感情や、死にたい気持ち自体を否定するつもりはなかったので、極力なんでもない話をするように努めた。「今度一緒に飯でも食いに行こう」とか「今から一服するからちょっと付き合ってくれ」とか、出来るだけどうでもいいような話題だ。

 そんな事を数時間話しているうちに彼は眠りについた。「首に縄を括っているので意識が落ちるとともに首を吊れるようにしてある」と言っていたが「それじゃ寝にくいだろうから楽な姿勢で横になって欲しい」とお願いしたところ素直に聞いてくれたようだ。

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 正直、私は彼の事をそこまで心配していなかった。別に私が構わなくとも恐らく彼は死なないだろうという思いがあったので、特別大げさな対応をせずに済んだ。大切な人が同じような状況にあった時を想像すると、ここまで冷静でいられる自信はない。もちろん、死なないで欲しいという気持ちがないのか?と言われればそんなことはないのだが。

 ただ、私の力だけでは彼の事を本当に救ってみせたり、支えになってあげることなど到底叶わない、という事だけはハッキリとわかる。希死念慮にまみれた社会性のない私が誰かを救おうなどと思い上がりも甚だしい。

 こんな私が彼のように精神を病んでしまった人と対話する時、なんとか手を差し伸べようとする時、その余りの選択肢の少なさと言葉の無さに驚きを覚える。何もしてあげられないし、頭の中に思い浮かぶ言葉はどれも「正解ではない」という事だけが確かだ。

 だからそうした人物を前にした時、私は眉間にしわを寄せて低く唸る事しか出来ない。「それでも何とか貴方と関わっていたい」という気持ちが伝わってくれればいいのだが、それがお節介でない保証はどこにもないだろう。

 もっと言えば、「例えそれがお節介であったとしても、相手を否定することになったとしても、その人物の命を優先する」という事に私自身が納得できないのかもしれない。個人的にはそこまでして救われたいとは思えないからだ。

 当たり前だが人は死なない為だけに生きている訳ではない。人間としての尊厳があり、それぞれの「意志」や「理念」「プライド」なども含まれる。それを一時的に手放してまで命を繫ぎ止めることが本人にとっての「幸せ」なのか私にはわからない。

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 翌日になり、彼のTwitterが生存報告と共に更新された。とりあえず命に別状はないようだ。多量の薬を飲み込んでしまったため体調は決していいとは言えない状態だろう。

 彼が人と関わり生きていく限り、恐らく同じような事が繰り返されていくのではないかと思う。その時、今回と同じように彼を心配する余裕が私にあるのかはわからない。もしかしたら縁を切ってしまっているかもしれないし、切られてしまっているかもしれない。

 今は心身ともに状態が悪くないのでこんな文章を綴れているが、私も彼と同じように人間関係に悩み苦しみ、ODやリストカットをしたくなる日が訪れるのだろう。家族からのプレッシャーや暗い将来に絶望し命を絶ちたくなる日々を送らなくてはならないはずだ。

 彼は生き残ってくれたし、生き残ってしまった。私も何とか日々を生きながらえている。

 「どうしてこんなに上手くいかないんだろう…」「やっぱり私は人と関わっちゃいけないんだ…」そう呟く彼の手が、「この痛みを決して離してなるものか」と、血がにじむほど強く握りしめているようで、ただただ苦しかった。

おいしいご飯が食べたいです。