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猫の居なくなった世界で

お腹が空いたのでそろそろ昼食にしようと思い台所への引き戸を開ける。我が家で飼っている大きな猫が窓辺に行儀よく佇んでいたので、背中の辺りを両手でぎゅっとしてみた。小さく「にゃぁ」と鳴く。

今日も食パンによく似ているなぁと思いながら、ガスコンロの上に置かれているカレーの入った鍋に火をつけた。

カレーを温めている間、猫が足元へとすり寄ってくる。我が家では2匹の猫を飼っているのだが、一匹はおとなしく気まぐれな“The猫”といった感じの猫だ。

それに比べると今足元にすり寄ってきている大きな食パン猫はとても甘えてくる。お腹が空いたときなどはこちらの目を見てハッキリと大きな声で「腹が減ったぞ」と訴えてくし、夏場になれば仰向けで昼寝をして、お腹を撫でられても全く気にもしない。おそらく野生への帰化は難しいだろう。


__1匹目の猫は妹が学校の校門に捨てられていたのを持ち帰り、2匹目の猫は里親を探している職場の知り合いから母が貰い受けてきた。

妹に拾われた猫は飼ってからもう10年以上が経過しているのでなかなか老猫だ。2匹目も我が家にきてから5~6年は経過しているので立派な成猫である。

医療の進化、内ネコの徹底、ペットフードの進化などにより年々猫の寿命は延びているらしい。今のところ大した病気やケガもなく元気にエサを食べている姿を見ると、まだまだ元気でいてくれることだろう。

猫の寿命を15年で仮定した場合の生涯費用は「おおよそ100万円」と言われている。これを2匹飼っているので、もともと経済的に苦しい家計を更に苦しめていることは間違いないだろう。更に猫が歳を重ねれば、病気やケガなどで思いがけない出費も予想される。

母曰く、猫は「家族」なのでそこまで気にしていないらしい。可愛がられ方や待遇の良さを見るに、実子である私よりも大切にされているような気もするのだが、私より可愛いので仕方がない。

家計を苦しめているのも事実なのだが、やはり可愛い生き物の「癒し効果」には私だけでなく、母も妹も支えられていると思う。

実際、我が家にこの可愛らしい猫がいなければどれだけ冷え切った家庭だったろうか。精神的にも、経済的にも厳しい面に追いやられている時でさえ、猫はそんなこと全く気にも留めずに自由気ままに生きている。

そういった愛らしさに救われている部分はとても大きいだろう。辛く悲しい時、とりあえず猫を抱きしめると気分が安定するし、「まぁ、なんとかなるんじゃないかな」と思えることも少なくない。

それ故、私はこの猫たちが他界してしまった時のことを考えると少々気が重たくなる。癒しを失った家庭に残るのは、おそらく「30を過ぎても職に就くことのない息子」と「変わらず苦しい家計」だけだからだ。

「新しい猫を迎える」という選択肢もあるのだが、我が家は“市営住宅”でありバリバリのペット禁止物件だ。

猫の爪とぎでボロボロになってしまった襖を一度、市の役員の方に見つかってしまって以来、市役所からの立ち退きを求める勧告が書面で何通か我が家に届いていた。

しかし、猫の為に家を立ち退ける訳もなく、市の方には一時的に見逃していただいているような状態だ。今住んでいる地域一帯でもこんなに家賃の安い物件(その年の家庭の収入によって決まる)は無いので、仮に我が家を立ち退きになってしまった時にはもう色々と無理だろうなと思っている。


そんな考え事をしながらカレーを食べ終わると、食事中に私の膝の上で丸くなっていた猫がこちらの顔を覗き込んでくる。

色々と思うことはあるものの、私は今飼っている猫にとにかく長生きしてもらいたい。

「死なないでくれー、死なないでくれー」と言いながら、私は猫の背中を撫でてみる。

__猫は小さく「にゃぁ」と鳴くだけだった。











おいしいご飯が食べたいです。