被災者という言葉を武器に「コミュニティの大切さ」を説く

震災で生まれた「被災者」という言葉。

この言葉は、当事者にしてみると以外に重い言葉なのかもしれない。

「被災者だから~しづらい」、「被災者は~に行きづらい」など、震災後に感じた人たちもいると思う。

被災していない地域の人達の目を気にしていることになる。

少なからず、思い当たる所が私にもある。

このことが、精神的に追い込まれる、「一つの原因」にもなっているような気がする。


人の目を回避することはできない。

たとえ、自分の思い違いでも、それを払拭させるには時間がかかるし、そんな機会なんて多くあるものでもない。


では、どうすればいいのか?


私が考えるコミュニティは、「あらゆる人が集える場所」を作りたいと思っている。

離れている人、顔を出したくない人、会って話したい人、様々な人が集える場所があれば、その中からしか生まれない「言葉」や「出会い」などがあると考える。

心に傷を受けて、1人ではどうしていいかわからない人も、多くの人の解決策や、言葉から何かを感じられると思うのだ。

そんなキッカケになるような「場所」があったら、生きることに疲れて、自分で命を絶つ事柄も少なくなるのではと思う。


これは、私の意見なので、多くの方の知恵や意見を聞きたいと思っています。

まだ、生れたばかりのこの案を、どこまで現実化できるかわからないが、志だけは無くさないようにしたい。


皆さんの意見や知恵をお借りしたい。

賛同してくれる方、何か意見がある方は、気軽にコメントして頂けると助かります。


そして、多くの悩んでいる方に、この事を知っていただきたい

「何か力になりたい、変えたいと思っている人たちもいる」ということを


「被災者」という言葉をマイナスの言葉としないで、逆に、「強固な武器」として使えれば、感じ方も変わるのではと感じる。


私一人では、何も変わらないかもしれない。

だけど、多くの人の「小さな力」が集まれば、無限の可能性にかわる。


実現に向けて、一歩、一歩、ともに歩んでいこう。

私の活動について、ご意見や賛同して頂ける方は、コメントにて気軽にご意見を頂ければ助かります。