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ベルリン最終日


 今日はベルリン最終日だ。なのになぜか最終面接が朝からあった。なぜかというと意図せずにという感じがするが、当たり前だが会社が提示してきた候補日の中から自分で選んだのでわかってはいた。

昨日の夜はちゃんと起きれるのか無事に話せるのかなんて考えながら寝たもんで、眠りが浅かった。なんとか一時間前にはベットを出て気晴らしの散歩をしつつカプチーノとパンオショコラを持って帰った。

会話の流れ自体はスムーズだったように思う。けれど、入社後に何がしたのかをまたあまりうまくいえなかった。
終わってから「志望度低いっておもわれたらどうしよ、、、」なんて考えて不安になる。けれど、ここ数年自分は1ヶ月先の自分がどんな生活をしているのかすら知らないような未知の道を進む期間だった。そんな自分に入社して3年や5年先のことなんて想像できるかよって開き直った。

就活ってもちろん本番も嫌だけど、それ以上に結果を待つ瞬間が恐ろしい。ソワソワする気持ちが朝から晩まで続く。会社の人に結果は来週前半にお伝えしますねって言われたモノだから、この週末は少なくともソワソワし続けなきゃいけないのかと思ったら余計にソワソワした。


とはいえ考えても何も変わらないのも事実だ。と思ってとりあえず風呂に入った。
お風呂に入るときは音楽かけたりあまりしないのだが、今日はなんとなくかけたくて、そしたら珍しく歌い出していた。


ねぇぼくらがユメ見たのって
誰かと同じ色の未来じゃない
誰も知らない世界へ向かっていく勇気を
”ミライ”っていうらしい

歌いながらほぼ泣いていた。「フツウ」みたいなものにひょんなところから外れてしまって、だからこそ、誰かと同じじゃないことしようって思った。みんなが「当たり前」って思うようなところから外れて歩むことを決めて勇気出してきた。
でもやっぱりいわゆる「フツウ」に憧れてしまう自分もいるし、でもほんとに普通になりきってしまうことへの嫌さもある、わがままなやつだ。

ここ最近ずっと感情が渋滞し続けているので、よくわからないタイミングで泣き出す自分にも慣れてきてた。
お風呂から上がったらメールが一通きてた。

内々定のメールだった。


風呂場で半裸で泣き崩れそうになった。
手が震えてた。震えながらも服を着て家族に連絡した。

自分なくほど内定欲しかったのかよって思いつつ、いやそうだよ何年越しの内定だよと思った。
この会社でいいのか?他の選択肢は?なんて考えないわけでもない。
でも今はとりあえず全部がどうでもいい。
いくあてがあるというだけでそれだけでもうどうでもいいのだ。


待ち合わせして友人と落ち合った。朝から緊張して泣いて安心したら死ぬほどお腹が空いてた。友人が「ドイツらしいモノ最後に食べたら?ケバブとか。」というので近くに有名なケバブ屋さんがあることを思いだして二人でいった。
ケバブがドイツらしいのか?ということはさておき(ドイツにはトルコ移民が多いためどこででもケバブが食べられる)、お店の前に行くと相変わらず列ができていた。普段より短そうだったので並んでみたが一向に動かない。結果1時間も待った。がどうでもいい。だって私の未来に当てがあるから。

ちなみにケバブはすごく美味しかった。1時間も待たなくていいならもっとたくさん来るべきだった。



 今年の年明け、日本に一時帰国した際に行った初詣で大吉だった。けれどその時すでに「いや今年はハードモードな気がする」ってなんだかそう思っていた。

実際今年はずっとずっとしんどかった。
1-3月はやるべきことがあるはずなのに、どうすればいいのかわからなくて引きこもっていた。寒いし暗いしずっとこんな自分ダメだって思い続けてた。
4-6月はやることはわかっていたのに、その自分で決めたやるべきことがすごく怖くて勇気のいることだったからずっと気持ちを奮い立たせる日々だった。努力はできていると思えてはいたのにずっとひとりぼっちな感覚があって、なんでこんな辛いのかと思い続けていた。
少しの間だけぼーっとして、そろそろやばいかなって思って就活を始めた。
ベルリンは珍しく8月でも気温が高く天気が良かった。だけど心はずっと暗かった。既卒だし、意味わからない時期だし、海外にいるしという状況の中での就活は思っている以上に難しかった。そもそも募集してないことが多いし、自分がやってきたことを見てもらえず勝負にすら上げてもらえないことが多かった。
自分のやってきた2年無駄だったと言われている気分になるのだ。もちろん自分勝手に行ったのでしょと言われればそうなのかもしれないけれど、みんなが「フツウ」に働いているその会社に応募すらできないことが悔しかった。
どんどん視野が狭くなってネガティブになっていった。するとどこに受かっても、受からなくても楽しい未来なんて来ないようにまで思えてしまった。
そうとしか思えない自分が怖くて、不安で、呼吸が浅くなってしまう瞬間が何度もあった。

この内定が、夢に近づいたのか、妥協なのか、やりたいことなのか、安パイだったのかわからない。それでも「あんしん」が手に入った。不安な気持ちを押し隠して平気なふりして誰かと話さないでいいのだと思うと、もうそれだけで嬉しい。
自分の未来をネガティブにだけ考えてしまうことから解放されるならもうそれだけで嬉しい。


帰国前に決まって良かったと思った。些細なことなのかもしれないが、やはり友人に会う時に「何するかまだ決まってない」というのと「内定先がある」というのとでは心持ちが全然違う。会いやすさだって違う。



まだ内定受諾までは進んでないのだけど、もう先のことを考えてしまう。
4月入社であればあと半年ほど暇だな?なんで帰るのかとおもえてきてしまう。
が、先月からの自分にはもう限界だったのだ。先の見えない就活と先の見えない生活。話せる人がいる、安心できるコミュニティがある場所がほしくて、戻りたかった。まだビザは残っていたのでもしかしたら「もったいない」行為だったのかもしれないが、あの時の決断はあの時必要だったのだ。


正解なんてわからない
自分で正解にする

ってこういう時に使うのかなー。なんて思った。
ずっと正解なんてない!って思いたいのにそれと同じくらいに正解を探している自分がいてうんざりしてた。「あっちの企業の方が名があるから」とか「転職しやすそう」とか、そんなことついつい考えてしまうと、「もっと他があるかもしれないから就活を続けるべきなのか?」とか思わないこともないけれど。まだ決め切っていない気もするのだけど。
でも、帰国の時期を早めたことを「もったいない」って思うのか、半年日本で新しい活動できるって捉えるのかで正解は変えられると思うし、もしかりにこれから入る会社以上にいい(?、何を持ってしていいなのか問題はある)ところに行くチャンスが今就活したら見つかる可能性があるのかもしれないのだとしても、今決めることで自分で正解にすることはできるんだなと思った。就活中にずっと自分で決めるとか、正解とかってことについて考えていたのだけど、今このタイミングのことなのかもしれない。

それは「決断」ではなくてその後に行動し続ける時の「姿勢」みたいなものではないかなと思うのだ。


今日はベルリン最終日。ベルリンらしいことはほとんどしてない。
いや、ケバブを食べた。道の外に服や本を出した。
1年経ってもあんまり好きになれなかったけど、それでもやっぱりなんだかんだでベルリンの人であったのには間違いないなと思う。



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