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手放して、手放して。それでも手の中に。

 気がつけば?帰国して1ヶ月。いや、まだ1ヶ月なの?てくらいには馴染んでいる感覚があるけど。元々高校まで住んでいた土地に帰ってきているので馴染んでいて当たり前ではあるのだけど、ここ2年(というか大学時代も地元じゃないので6年とか?)いなかった分の穴ももちろんあるので、人と話しているとたまに、「あ私ここに最近帰ってきた人だったんだ」と思い出したりする。

帰ってきて、最初の1、2週間ふとした瞬間にどうしようもなく不安というかモヤモヤした感覚に襲われることがあった。なんでだろ、どうしてかなと少し考えてみて思ったことを話ししてみる。

思い返せば、大学時代、就活が思うように行かなくなった時、
初めて「あ、自分の人生って自分の思い通りに行かないのだな」って知った。
みんなわかっていたのだろうけど、自分にとっては初めてそう思わされた経験で、あー完璧でないならもうどうでもいいなーっていうような一種の開き直りみたいな状態になってしまい、どんな形であろうと誇れる人生になれないのなら、何もかも諦めてしまえみたいな。

そこからフォルケに行ったり、デンマークで働いてみたり、カオスパイロットでアクティビズムについて学んでみたり。そうすることで自分の人生を自分の手元に引き戻すというか、あ、ちゃんと自分で思いたいように選んでいいし、それを実行してもいいんだなという感覚を取り戻す2年だったように思う。

自分の人生の舵は自分で取る。

それは勇気がいるけれど、そうしないといつの間にか他人の人生を生きちゃうから、しんどくても自分が握っていなきゃいけない。そう思えてくるようになった。

そしたらまた、むくむくと「こうしたい!」が出てきたのだけど、一方でそれが加速して「こうじゃなきゃいけない」という考えになってきた。

せっかく海外2年で得たこの感覚をこの先も保たねばとか、貴重な経験を生かさねばとか、思えば思うほど、実際思い通りにことが進まない現実に苦しくなってきた。主体的に生きているつもりなのに、なんでかそれが足枷になっているような感覚。

あれ、なんでこんなに辛いのか。

そう思っていた時に、内定をもらって
「あーもー全てがどうでもいいや。」そう思ったら少し楽になれた。


これまでの人生で「こだわりを持つこと」を大事にしていた。それが自分らしさにつながると思っていた。周りに流されず自分の軸で生きるには「こだわり」が必要なのではないかと。
しかし、実際の現実は自分が思ったようにならない。
買い物ひとつとっても、
「Aの商品の色とBの商品の機能性があって、Cの商品の価格ならいいのに、、」
みたいに自分の目の前にある選択肢の中に自分が思う理想が常に存在し続けてくれることはない。ってか多分一生そんなタイミングは来ない。
これまでの自分は、
「理想の選択肢が来ない限り選ばない、だってそれが『こだわり』じゃない?妥協したくないもん」
って言ってた。まぁそれが本当にただのペンだったらそれでいいのかもしれないが、人生の選択でそうは言ってられないし、そもそもペンだっていつかは必要で理想でなくても買う必要があるときはある。

理想を高く持つことも、いいことだと思っていた。だけど、理想を強く抱きすぎると、そうじゃない状態の自分は永遠と否定しなければならない。例えば、一生この仕事だけじゃないと嫌だ!とか、海外のこの国に住み続けたい!そうじゃなきゃ幸せじゃない!って思うことは悪くはないけど、じゃあその国にいない瞬間や、その仕事ができなくなった瞬間にずっと不幸になるのか?って言われればそうでもないし、どんな変化があったって自分の人生は(死なない限り)思ったより続いていってしまうのだ。

そう思った時、
「『こうじゃないといけない』って思うことで苦しむのだったら、そんな『こだわり』捨ててしまった方が楽しいし幸せじゃんか。」
って思うようになった。

もしかしたらそれは「こだわり」じゃなくて「固執」だったのかもしれない。


「こうじゃないと!」をできるだけ手放す練習をしよう。
プライドとか、固執する気持ちとか全部手放してしまった方が楽ではないか。


私が日本に帰ってきて1ヶ月で考えた答えである。

とはいえ全てを手放すと、簡単に社会の歯車というか、自分じゃなく誰かの人生を生きてしまう危うさがある。というか本当に「全部どうでもいい」っていうにはまだまだ人生長いのだ。最近施設に入ることになってしまったことで全てへのやる気のなさを感じてしまっている80の祖父を見ていても、やはり人生手放すには死ぬまで長いぞって思う。
自分でどうにもならないこと、今すぐ変化させれないこともたくさんあるけれど、自分の手の中にある範囲のものまで手放さないこと。何が手の中にあって、どこからが手の外にあるのかをじっくり観察してみること。その手の中にあるものは、時には大胆に、勇気を持って扱おうとしてみていいのじゃないのかな。

そうしたらきっと等身大でいれるような気がしてる。




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