防衛機制

あまりにも悲惨、もしくは本気で思い出したくない経験を人がしたときには、脳はその記憶を曖昧なものにしようとするのだろうか。もしくは、思い出したりしたら生きていけないような状況の時には、ひどい記憶に蓋をするように脳は働くのだろうか。そんなことを考えました。

阪神・淡路題震災から一定の時間がたった後、私はとある大きめの事故に遭って大けがをしました。その時は事故の本当の瞬間、助け出されるまでの自分がどんなだったか、今もほとんど思い出すことができません。直前、直後の記憶はしっかりとあるのだけれど。

フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)が最初に提唱した、「防衛機制」という概念、フロイト以後の精神分析家らにより発展した概念のことを少し調べました。「防衛機制」とはひとことで言うと「自分の心を様々な方法で守ること」。あまりにも自己の精神、こころに負担がかかるようなもの・ことを、そのまま意識していたら耐えられないので、自然とそれを無視したり、なきものにしたりして、無意識の世界に閉じ込める習性というのがしっくりくる感じもします。

私は結局、そうやって生きてきて、今もそうして生きてきているのだなと感じています。そんな自分の琴線に、世界一のクリスマスツリーが非常にネガティブに触れてしまったのだと思います。そして、自分の精神が崩壊していくことを防衛するために、今までの人生で感じたことのないぐらいの怒りがあのイベントの関係者に対して、主に糸井重里と西畠清順に対して、湧いたのだなと思っています。

そのことを書き留めておきます。

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