2021.6.6

わたしはもう死ぬんだと泣いた。ひとりでは立てないもんと思ってた。高校を卒業するとき、わたしはいよいよ終わりだと泣いた。居場所がないと思った。何もかも失ったと思ってた。おばあちゃんが死んじゃったとき、もう一生笑えないと思った。子供みたいに泣く母を、守らないとと思った。

でもわたしはあれから毎日笑って生きている。温かい、大切な人たちに囲まれて守られて、美味しいご飯をたくさん食べて、太ったりダイエットしてちょっと痩せたり、バイトで嫌な目にあったり教習の先生がきもかったり。学校の先生からの言葉にいちいち傷ついたり自分を卑下したり自分を愛したり。本当に毎日しあわせで、しあわせで、明日のしあわせを信じてて。しあわせじゃない明日なんて考えられなくて、明日が来ることが当たり前で。大変なことやしんどいことや傷つくことや理不尽なことも、たぶんある。毎日ある。だけど笑わない日なんてなくて、守らなきゃと思ったお母さんに守られていたり、大切な友達を大事にできなかった時も友達は大事にしてくれていたり、ほんとうに、しあわせで、大事なものって結局何なんだろうって、すごく思うよ。

おばあちゃんが死んじゃうなんてこと考えたことなくて、おばあちゃんが居ない世界なんて考えられなくて、思い出すのは独りで寝ているおばあちゃんで、あの時、本を読むなら隣にいればよかったなとか、手を繋いで歩けばよかったなとか、七夕、お星さまに、もっと贅沢なお願い事をすればよかったなとか、おばあちゃんを愛している人がたくさんいるということをもっと伝えればよかったなとか、そんな後悔ばかりで、情けなくなるけど、それを忘れるわけじゃないけど、わたしは毎日笑っていて、涙を流しそうになることもあるけど、でもそれよりもっと自分の未来を感じていて、何年後の未来の中に事実を見ていて、みぞおちのあたりジンジンしてくるんだよ。薄情なのかなっていっぱい思う。大事な人の存在が自分の近くから離れて、そんなに時間は経ってないのに。わたしは今大事だと思うことや人や時間と共にほんとうにしあわせに生きています。

そして今大事な人の存在が消えた未来を見ています。

贅沢すぎるよね。

SNSから大事な存在がひとつ消えました。もしかしたら何かの間違いかもしれないけど。今、その存在がないです。でもわたしは笑っています。ペットボトルを踏みつぶすおじいちゃんと一緒に。めっちゃ笑っています。

今日は大事な人の誕生日です。前あった時、これが最後みたいな感じにされたので、わたしは大好きだから何度でも会いたいけどね〜って言ってやろうと思います。

昨日も今日も明日も明後日も大切だった人に想いを馳せます。おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?