娘からのお題 

僕の父は無口な人で、言葉よりもタバコの煙を吐き出している時間のほうが長い人だった。
から始まる小さな物語を、電車に座れたら座れている間に書けるだけ書いて。

というわけで座れたら書いている。

僕の父は無口な人で、言葉よりもタバコの煙を吐き出している時間のほうが長い人だった。
そんな父が聞かせてくれた話がある。
 朝が来るたびくたびれていると思うようになるともう何もかもがかったるくなり、とうとうある朝隣で寝ている妻、つまり僕の母に言ったそうだ。
『仕事を辞めても良いかな』
すると母は、飛び起きて
『良いわよ。やっと決められたのね!いつ、言い出すかとずっと思っていたのよ』
と言ったそうだ。今の母からは考えられないが、そう、言ったのだと父は言った。
朝起きて、まだ眠り足りない脳みそを引きずり起こし、それから身繕いし財布やら手帳やら確認しカバンを持ってうちを出る。地下鉄を乗り継いで仕事に向かうのだが、この乗り換えに最初から何がいつも頭をよぎるものがあった。乗り継ぎは、丸の内線から浅草線、浅草線から半蔵門線。このうち、浅草線に乗る時、浅草線から降りる時、毎回何か、甘い空気を感じていた。で、ある時とうとう気がついたのだ。
浅草線はカステラだ、と。ほんのり茶色の屋根は長崎カステラのざらめの焦げた部分。本体の山吹色とも、クリーム色ともいえない、黄土色でもなければ卵の黄色でも、ましてや折り紙の黄色などではなく、カステラの色だ。ふわふわとただよう良い香りはサラダ油やなんとかオイルではなく明らかに香り高いバターが使われているに違いない。それで執着地点につくとカステラが食べたくなりコンビニで安価なカステラを一切れ買ってしまう。しかし、香りといい食感といい、これらは浅草線から漂うカステラの香りとは違う、と父は思う。大きな和菓子屋のカステラとも違う。長崎で買った長崎カステラの味とも違う。何かわからない。ただ、父の浅草線と重なるカステラのイメージとは全く違うものだった。それ以来休みのたびに理想のカステラを求めてあちこち歩き、それでも見つからずとうとう自分で焼き始めた。ありがたいことにさまざまな料理研究家が出しているお菓子の本にカステラの作り方が載っていた。最初は見様見真似でその配分通りにやいていた。

えきについた。ここまでだ。

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