涼虫

suzumushi。短い物語を書いています。

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  • 桔梗について

    登場人物…梗香(女優)、京(作家・撮影監督・脚本・演出)キョウコ(私) 物語の地図は「檸檬」にて

  • あのひとの

    noteでみつけた、すてきな写真や絵、そして文章をあつめています。

  • BARしずく

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最近の記事

葡萄

わたしの部屋には窓がある。両開きの縦に長い窓だ。窓の向こうには沼が見える。沼は広く、そして深い。湖のように青く透き通っている時もあれば、玉虫色に妖しく光っている時もある。時折、沼の遠く向こうで白い龍が沐浴をしているのを見かける。憂いを帯びたアーモンド形の瞳、真っ白な長い睫毛。優雅に胴体をうねらせて水と戯れる。 龍は雌で、ロマンチストで、強大なエネルギーを持っている。おそらく原始の頃からずっと生きていて、今はキョウコの中に棲んでいる。わたしや梗香と同列の存在ではない。気高い、

    • 花束

      皆が地下に降りていってから、とても静かだ。梗香は眠っている時間が格段に増えた。京さんは多分、部屋に籠って物語を描いている。 私は大事な友達の肌に触れた。簡単に言うと、そういうことだ。それは想像よりもずっと素敵で、そして苦しいことだった。私には恋愛感情がなかった。でも、この人を深く愛したいと思った。静かに、つつがなく、私がキョウコという女のままで。 もちろんそんな簡単にはいかなかった。 私はまず、自分のことを理解しなくてはならないし、自分自身と折り合いをつけなくてはならな

      • 薔薇

        私は眠っていたの。それは長く、深い眠りだった。広くてふかふかのベッド、真っ白なベッドカバー。柔らかい羽枕に半分だけ顔を埋めて。サイドテーブルの大きな花瓶には、白い薔薇が沢山生けられている。薔薇の香りに包まれて微睡むのは気持ちがいい。私は桔梗の名を持つけれど、自分を薔薇だと思うこともある。 ここは地下三階で、地上からは遠い。長い階段を降りると六角形の広いスペースがあって、いくつか扉がある。その中のひとつが私の部屋。斜向かいの扉は京さんの部屋らしいけれど、出入りしているのは見た

        • 梗香

          彼は同じ場所にいるのを好む人だ。同じカレー屋、同じバー、同じカフェ。いつものルーティン、心が揺れることのない日々。私のランダムなエネルギーはそこに収まるのだろうか、という疑問があった。その一方で、彼のルーティンの一部として溶けていくのは、体感として面白いかもしれないと思いついた。それはどういうことなのだろう。私が実態を失って、静物画のようになっていくことなのか。 キャストの持つ、静謐なルーティンに溶けていく女。物語としてもいい展開だと思った。耽美的な空気も感じられる。わたし

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          7本
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        記事

          檸檬

          わたしがいつからここにいるのかはわからない。キョウコが十五歳で、初めて恋をしたあたりだろうか。相手は塾の先生で、十歳年上で、彼女が中学校を卒業してから付き合い始めた。まだ子供だったから、淡い付き合いだった。春の夜、ドライブの帰りに夜景を見に行った。男と二人で宝石箱をひっくり返したような夜を見下ろした。その時初めて、彼女は心の中でシャッターを切った。網膜に焼き付けるように。この記憶を文章に落としこんで凍結したい。彼女の願いは強烈で、わたしの原型を作り上げた。 それから高校生の

          桔梗

          夕暮れ時、本を読みながら白ワインを飲んでいた。白地に虹色の挿絵が描かれていて、好きな装丁の本だ。最後に読んだのはいつだっただろう。どんな話なのかすっかり忘れていて、久しぶりに本棚から手に取った。読み進めていくと、これは深い喪失の物語だと思い出した。じわじわと自分の力が奪われていくほどの、リアルなやりきれなさを感じる。主人公がフィンランド行きを決めたところで、ぱたりと本を閉じた。辛すぎて読み進められない。 蜂蜜を垂らしたブルーチーズを一切れ口に入れる。ビリ、と舌が痺れた。花瓶

          デルフィニウム

          窓の外の空は、夕暮れが始まろうとしていた。お茶を淹れましょうか、と私は聞いて、それは違うなと思った。さっき喫茶店でコーヒーを飲んできたばかりだし。椅子に座った彼を立ったまま抱きしめた。約束のハグ。彼は額を私の鎖骨に押し付けるようにして、背中に回した腕に力を込めた。私は不思議な思いでその力強さを受け止めた。こんな風に、縋るように抱きしめられたことが今まであっただろうか。テーブルの上の花瓶に生けられたデルフィニウムの青を眺めた。風が吹いてカーテンが微かに揺れる。彼が体を離して、私

          デルフィニウム

          好きだった人を遠目で見かけた。私はそっと目を逸らして席を立った。あの人でなくてはならない理由を論理的に説明せよ。そう思ったら全身の細胞が黙った。でも私は、あの人で自分の気持ちを消費することをもうやめたんだよ。

          好きだった人を遠目で見かけた。私はそっと目を逸らして席を立った。あの人でなくてはならない理由を論理的に説明せよ。そう思ったら全身の細胞が黙った。でも私は、あの人で自分の気持ちを消費することをもうやめたんだよ。

          八百屋で野菜を買ってくるね。彼の額と髪に触れて私は言う。眠りの中で朧げに彼は返事をする。サンダルをはいて外に出ると日差しが眩しい。小松菜、キャベツ、ミニトマト…サクランボは好きかなと思って、彼のことを何も知らないと気づく。袋を下げてぶらぶらと歩く。戻ったら林檎を剥こうと思う。

          八百屋で野菜を買ってくるね。彼の額と髪に触れて私は言う。眠りの中で朧げに彼は返事をする。サンダルをはいて外に出ると日差しが眩しい。小松菜、キャベツ、ミニトマト…サクランボは好きかなと思って、彼のことを何も知らないと気づく。袋を下げてぶらぶらと歩く。戻ったら林檎を剥こうと思う。

          彼のシンと静まり返った気配が好きだった。そこには誰も届かなかった。一つも面白いことをいわず、いつも自然のままで、楽しい?と聞くと普通、と答えた。そして普通が一番だといった。私と全く同じ体温を持ち、全く違う心の形をした人。もう二度と会うことのない人。

          彼のシンと静まり返った気配が好きだった。そこには誰も届かなかった。一つも面白いことをいわず、いつも自然のままで、楽しい?と聞くと普通、と答えた。そして普通が一番だといった。私と全く同じ体温を持ち、全く違う心の形をした人。もう二度と会うことのない人。

          もうそんなことはいい、終わったことはいい、私は楽しかった。夢のようだった。夏の明け方、あなたは私の魂をさらりと掬い上げた。あなたは私と同じ色を持ち、でも同じ形ではなかった。私が紀元後ならばあなたは紀元前だ。その違いが私たちを遠く隔てても、あなたは確かに私の片割れだと、そう思う。

          もうそんなことはいい、終わったことはいい、私は楽しかった。夢のようだった。夏の明け方、あなたは私の魂をさらりと掬い上げた。あなたは私と同じ色を持ち、でも同じ形ではなかった。私が紀元後ならばあなたは紀元前だ。その違いが私たちを遠く隔てても、あなたは確かに私の片割れだと、そう思う。

          波風

          彼は感情を理性で整える。それを見ていると私は不思議な気持ちになる。彼は人なのだなと思う。私は自分のことを、木や、風や、雫のようなものだと思っている。何も力を加えない。ただそこに在る。私が自分の感情をありのままに伝えると、彼は波風を立てないでほしいという。私は混乱する。心には波があるのが当たり前だと思っていたから。凪は、作り出すものではない。そこには無風という風が吹いている。最新の注意を払って心の凪を守り続ける彼に、私はいう。そろそろ行くね。私たち二人は前提が違う。私は波を愛す

          もう貴方は見つけて下さったのでしょう?夜に紛れた私を紛うことなく摘み取れるほどに

          もう貴方は見つけて下さったのでしょう?夜に紛れた私を紛うことなく摘み取れるほどに

          永遠の夕闇を風が撫でていく、リプレイ

          永遠の夕闇を風が撫でていく、リプレイ

          どこからも足跡を辿れぬよう姿を消した。私は初めからあなたの前にはいなかった。突風が吹くと十マス戻る。記憶は終わりかけの薔薇の残像とすり替わる。

          どこからも足跡を辿れぬよう姿を消した。私は初めからあなたの前にはいなかった。突風が吹くと十マス戻る。記憶は終わりかけの薔薇の残像とすり替わる。

          我々は終われたのだろうか。木蓮の樹に尋ねても答えはない。西の風が吹き、花びらが微かに揺れる。

          我々は終われたのだろうか。木蓮の樹に尋ねても答えはない。西の風が吹き、花びらが微かに揺れる。