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お客様は神様なんかじゃない

アラスカからの帰り、デルタ航空のフライトでシアトルに向かい、一泊して翌日昼の成田行きで帰国するスケジュール。

チェックインは事前に済ませてあるので、空港では荷物を預けるだけ。

それでも、何かあるといけないので、ホテルを早めに出てフェアバンクスの空港に向かった。

小さな空港なので、カウンターも空いていた。手荷物検査も問題なく通過し、すべては順調に進んでゲートへ。

これから4時間かかるフライトも、アメリカ国内線なので機内食はなく、ゲート近くのカフェで、簡単な昼食を済ませた。チキンヌードルスープはなかなか美味で、ついでにコーヒーも注文。

私たちが乗る飛行機はまだ到着していないのが、窓越しにわかるので、遠くに霞むマッキンリーを見ながらのんびりと過ごした。

折り返しの到着便がやや遅れてスポットに入り、待ちくたびれると言う程のこともなく搭乗が開始された。

小型機は満席に近く、私たちも指定の座席に着席してシートベルトを締めた。

全員が乗り込んだはずだが、ドアが閉まらない。15分、いや30分近くは待ったと思うが、ようやくアナウンスがあり、トイレが故障しているので修理に時間がかかる。出発の見通しが立たないので、一旦荷物を持って降りて欲しいとのこと。

それは、乗客を乗せる前からわかっていたはずだけど、不思議なのは、アナウンスを聴いた誰もが特に何かリアクションするでもなく冷静だったこと。どよめくとか、もう少しリアクションがあれば、ことの重大さにリアリティがあるのだか、誰も何も言わない。慣れているのだろうか。

更に驚いたのは、荷物を棚から出して降りていく人もいれば、本を読み続けて、動こうともしない人が半分以上いたこと。今、確かにアナウンスで「荷物を持って飛行機を降り、ゲート近くで待機してください」と言ったはずだが、ピクリとも動かない人が多く、私たちもめんどくさいので、機内でそのまま様子を見ていた。
キャビンアテンダントも、降りることを強制するでもなく、鼻歌交じりに行ったり来たりしている。

更に30分ほど経ったであろうか、機長が出て来てマイクを持ち、「遅れていますが、皆さまにグッドニュースがあります。トイレが故障していましたが、メンテナンスの目処が立ち、まもなくこの飛行機は出発出来ます。」とアナウンス。乗客を待たせてグッドニュースは、さすが能天気の国アメリカ。

一旦降りた乗客も戻って来てドアが閉まり、飛行機はスポットから離れた。向きを変えて滑走路に向かう途中で待機。

ここでまただいぶ待たされることになったが、うとうとしていたので、どのくらいの時間だったかは定かではない。

さて、飛行機が動き始めたかと思ったら、なぜかスポットに戻り、飛行機はエンジンを停止してしまった。

機長から再度アナウンスが入り、
「ご不便ををお掛けしますが、やはりトイレが直らずこの飛行機はフライトキャンセルとなります。これから後のことは地上係員にご相談ください。」
さすがのアメリカ人からも、ため息が二つくらいは聞こえたが、ゆっくりとスローモーションのように荷物をまとめ、ひとり、二人と飛行機から降り始めた。

地上係員は取り囲まれて大変だろうと思ったら、意外にも皆、真面目に二列に整列しており、私も列に並んだ。さあ、ここからは受け身では何も解決しないし、誰も助けてはくれない。お客様は神様なんかじゃないのだから、誰も助けてはくれない。

私は明日、シアトルから成田への乗り継ぎがあるから、どうしても今日中にシアトルに着きたいと申告した。デルタ便は一日一便しかないので、黙っていたら24時間後の便に振り替えられておしまいだ。
現に前の若い女性は明日のフライトがどうとか言われていた。

トイレの故障はさすがにデルタ航空の責任なので、違う航空会社への振り替えにも応じるようで、3時間後のアラスカ航空があるから、アラスカ航空に確認してみるように言われた。

アラスカ航空には空席があるのかくらいはわからないのかと問うと、手元のコンピューターで、カチャカチャと調べ、「大丈夫。ワイドオープンだわ。」とドヤ顔。そうは言っても、アラスカ航空のカウンターでまたイチから説明するのも面倒だし、アラスカ航空の座席を今、確保して欲しいと依頼したら、それもやってくれた。

そう、こちらでは自分がどうしたいか、あなたには何をして欲しいかを明確に伝えないとダメなんだ。

考えてみれば当たり前のことで、明日でいいから今日は家に帰ろうと言う人もいるし、旅行そのものをやめる人だっているかも知れない。

こちらの希望を伝えて、そのリクエストに応じられるのか、出来ないのかをデルタ航空は判断するだけだ。

とりあえずはシアトルへの振り替え便が確保され、カウンターの女性係員に「サンキュー」と言うと「どういたしまして。」

ん?

私がお礼を言って、デルタ航空が「いいわよ」と返す。日本人の感覚では理解しにくいのだが、この一連のやり取りの中にソーリーという言葉はひとことも、出ては来なかった。

では、私は不愉快だったかと言うと、決してそんなことはなく、無事にシアトルへの振り替えが出来て安堵の気持ちしかなかった。

アメリカ人に聞いたことがあるのだが、アメリカでは、自らが主体的に飛行機と言う乗り物を選んだ訳で、選んだのは自分。
飛行機は遅れることもあれば、オーバーブッキングで乗れないこともあるし、場合によっては落ちることもある。

そのリスクを引き受けたくなかったら、自家用車で行けばいいだけの話だよ。

そんな考え方を聴いて、個人の権利と義務、そして自らが引き受けるべきリスクについて、大人な考え方をするのだなあ、と妙に感心したことを覚えている。

日本では天候理由で飛行機が遅れても、声を荒げてカウンターのスタッフに詰め寄る中年男性をよく見かける。

責任者を出せ、と怒鳴るおじさんに、横から「責任者が出て来たところで、雪は止みませんよ。それより早くホテルを自分で見つけたらどうですか?」と、進言したこともある。顔を真っ赤にしたおじさんは、怒りをこちらに向けて来たけれど、怒鳴ってみたところで雪は止まないし、ホテルのキーが自動的にこの場で出てくる訳でもない。

預け荷物を引き取り、アラスカ航空に預け直そうとしたら、クレジットカードを出せと言われる。

なんのことはない。アラスカ航空はスーツケースなどの預け荷物は最初の1個目から有料なのだ。

一人30ドルをチャージされて、さすがにお客様が「これは、私たちが払うのですか?」とおっしゃっていたのだが、まさに日本の感覚では、理解の域を超えていると思う。

デルタ航空としては、代わりの席は用意したから、あとはアラスカ航空の運送契約でよろしくね、みたいな感覚だろう。
何時間待たされようとお食事券が出るはずもなく、タクシー券もホテル代も、どこからか降って湧いてくる訳でもない。

雪で飛行機が遅れて、羽田からの電車がないからと、タクシー代を渡してしまう日本の航空会社は、やはりグローバルな視点では「やり過ぎ」なのではないだろうか。

おもてなしの視点を否定する訳ではないが、そしてアメリカの航空会社の対応も、とても褒められたものではないが、日本の過剰なサービスは、「大声を出してゴネたもの勝ち」みたいなおかしなことになることを危惧する。

誠心誠意とか傾聴とかを美徳とする考え方は、ときに問題を膠着させて、現場の最前線で働く人を疲弊させてしまうことになりかねない。


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