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社会人で必要なことは、すべて小田急で教わった【③車掌編】

経堂、千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵の3つの駅で勤務させて貰い、駅業務は信号以外ほとんど経験させてもらいました。そして車掌試験に合格して、晴れて車掌見習いに。経堂にある鉄道教習所に通いました。

車掌見習いという腕章は、今考えるとこっぱずかしいのですが、当時は必死でした。駅では常に先輩や上司がいますから、判断に迷ったら誰かに聞けばよいのですが、車掌は列車の前に運転士がいるとは言え、常に自分で判断を迫られる場面が増えます。作業も一歩間違えればお客様の命を奪いかねない危険と紙一重の業務の連続です。自分のうっかりミスで人を殺してしまうリスクを見習いの時に徹底的に叩き込まれました。

ちなみに「昔、電車の車掌をやっていました」というと「運転士さんですか、かっこいい」と言われることが多いのです。基本的なことですが、車掌さんは電車の運転はしません。運転士は君だ、車掌はボクだ。車掌さんは子供の電車ゴッコでいる、丸いひもの後ろ側担当。目に見える業務としては、扉の開け閉めや車内放送、車内巡回、空調管理などが主な仕事です。そして何より車掌は電車の総責任者です。今はワンマン運転の列車も増えて来たようですが、車掌は「列車長」なのです。だから責任重大であると共に権限も持たされています。今から150年前、明治の頃、汽車の車掌はみな、ひげを生やして威張っていました。今、威張ってはいけませんが、けしからん輩が車内にいたら注意し、電車から降ろすくらいのことは日常業務の範疇です。

単独乗務になり、ひとりで列車全体の責任を負うことの大変さを痛感することになります。小田急は基本的に泊まり勤務ですから、朝出社して電車に乗務し、夜は泊まりとなり、翌朝のラッシュが終わるまでの泊り明けが1勤務です。朝、点呼を終えて乗務が始まり、翌朝、何事もなく乗務を終えることが出来たら、それはまさに「奇跡」です。実際には何もないということは少なく、列車の遅れから始まり、忘れ物、乗り過ごし、落書き、車内の汚れなどは序の口です。急病人、車両故障、置石、踏切支障、人との接触・・・。

場数を踏むと言いますが、まさに降ってわいたような事件が突然、目の前にやって来ます。その異常に対して、いかに冷静にかつ決められた手順で対処できるかを、日々、嫌になるほど訓練を受けるのです。急病人や忘れ物などは訓練をするほどの話ではありませんが、運転事故に関しては明け番で眠い目をこすりながら、徹底的に訓練をやらされたのを今でも体が覚えています。

訓練では非常ブレーキがかかって電車が緊急停止し、運転士が意識を失っているケースや事故で重篤なけが人が出ているケースを想定して、繰り返し訓練が行われます。私は今でも発煙筒を投げさせたら、目標位置に正確に投下できますし、止血や救急救命も、鉄道マンをやっていたからこそ、並の人以上の経験を積ませてもらう事ができました。(当時、まだAEDはありませんでした)実際にことが起きると救急車が来る前にどれだけの処置ができるかで生死が分かれることもありますし、処置を誤れば仕事ですから、業務上過失致死の疑いで嫌疑をかけられます。車掌は(そして運転士はもっと)大変なのです。わずか5年ほどでしたが、斬った張ったの世界で働かせてもらったことは、今、30年の時を経て旅行会社を経営するうえで、値千金の経験になりました。私は旅行業界で誰よりも発煙筒の重要性を知っている男かも知れません。

サービスとかおもてなしとか言われて久しいのですが、私は笑顔を振りまいて何もできない人より、不愛想でもお客の命を守ってくれる人を尊敬します。交通運輸機関に過剰なおもてなしを求めるのはやめましょう。守ってもらうべきは私たちの命であって、慇懃無礼なお辞儀も練習しただけの笑顔も私はいりません。毅然とした姿で背筋を伸ばし、「この人は私を守ってくれそうだ」と思わせる凛とした立ち居振る舞いこそが、リスペクトされるのです。

【教訓】慇懃無礼なおもてなしより、凛とした姿で命を守る


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