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ToDoからToBeへの移行

世の中や資本主義とは別のものさしで自分を捉えられるように、またそういったあり方を、幸せになるための一手段として提示できる人間になりたい。

コラボレーションの機会を増やしていきたい。 中長期に目標に関連する部分もあれば、自分自身の課題と感じている部分でもあるし、何より台湾現地のメンバーが好きなのでもっと深く関係性の中に入り込んで理想を追求したい感覚が強い。

これは先日会社に提出した、キャリアビジョンの抜粋である。
(当然だが、具体的な情報は内密にする。)

書いてみてビックリしたが、明らかに大学生までと今とで、書いていることのベクトルが異なっている。

大学生までは「ToDo」であり、「何を成し遂げるか?」で考えていたが、
今は「ToBe」であり、「どんな自分であり、どんな人たちと一緒に…」というベクトルになっている。(当然、ToBeの手段はToDoになる。)

心境の変化

多分だけど、そこまで心境が変化したわけではなく、本音に近い部分が引き出されたような感覚がある。

今までの「何を成し遂げるか?」を過度に重視した背景には、「成し遂げることに至高の価値がある」というバイアス(行動バイアスと呼ぶ)があったように思う。もちろん、そう思うことは悪くない。けど、自分にとっては最善でない。

「こういう自分なら誇りに思う」という自分像があると思う。
俺にとってそれは、凪のように静かで、太陽のように燃えている、万人に平等なフラット性だった。

だからこそ、「優秀さ」「マネタイズしたか」「意味のあることをしたか」のような、資本主義における重要定義のみで人を図る人間になりたくないと思っていた。(もちろん重要定義というくらいなので、大事だとは思う)

そこに対してのアンチテーゼとして、BookSessionや、トライアスロンなどをしてみたが、結局全て有益生を気にして、飲み込まれてしまう。自分自身が染まっているなと痛感した。

そんな中で上記のビジョンが現れたのは、何かしらバイアスが消えうる機会があったのかもしれない、と思う。

それは言葉が通じない中で、嘘もつけない自分。ありのままである自分。人からどう見られているかわからない自分。台湾に来た環境要因が大きいと思う。

当初としてそれは不安だったが、そこを気にしないからこそ、凪のような自分を取り戻し、フラットさを保てているのかもしれない。台湾に来て、人間関係でストレスを感じたことがない。これは本当に恵まれているのかもしれない。

そしてもちろんこれは綺麗事で、いずれ踏み潰されるのかもしれない。
結局資本主義が全てだと思い、考えを変えざるを得ないのかもしれない。

それでも、綺麗事は実在すると信じることしかできない。
それを信じないと、生きている意味なんてない、と個人的に思う。

この綺麗事らしきものは、あるのか、ないのか。
それを証明できるような人間になりたい。

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