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ケ あなたが、た・い・せ・つ

わたしが属する宗派では、毎年9月に千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要という名の法事があります。目的は「戦争によって尊いいのちを失われたすべての方がたを追悼し、悲惨な戦争を再び繰り返してはならないという平和への決意を確認するため」と書かれています。わたしも3回ほどお参りしたことがあり、戦後75年だった昨年は第40回。伝染病の感染を心配して関係者のみでお勤めされつつ、全国32か所の拠点でも同時に法要が営まれるライブ動画がネット配信され、我々はその全国の様子を自宅で見ることになりました。

千鳥ヶ淵では毎年法要に先駆けて、宗門の関係学校中高生が「いのちの尊さ」「非戦・平和の大切さ」をテーマに作文を寄せ、最優秀作文に選ばれた本人が地元から足を運んでそれを朗読することになっています。法要の前の極めて意味深い時間です。

ネットで聞いていると「命は大切だ。命を大切に。そんなこと何千何万回言われるより『あなたが大切だ』誰かがそう言ってくれたら、それだけで生きていける」というかつての公共広告機構(現ACジャパン)の全国キャンペーン入賞作品のフレーズが聞こえました。その意を汲み取って、戦争はもちろんのこと、今なお起こる自然災害や疫病による被害者にも思いを寄せ言葉を綴られたものが、中学生の部の最優秀作でした。戦争が実感できない自分たちの若い世代に向けて『あなたが大切だ』とあなた自身が言うことで、人と人の強い繋がりを築いていこうという素晴らしいメッセージでした。その学生さんには、宗教的な感性が溢れていると思いました。

昨日と今朝に習慣になっているテレビを見ていると、孤独感に苛まれている若者に対して芸人さんが「僕には親友は何十人も居ないけど、ひとりふたり持っている。まずひとり見つけようよ。」とか、朝ドラの中で「わたしたち夫婦はあなたと同じ境遇を経験して苦しみが理解できる。安心して一緒に暮らそうよ。」といった言葉が耳に入ってきて、千鳥ヶ淵の中学生の作文を思い出しました。

そしてさらに思うのです。たったひとりでいいから「あなたのことを大切と言ってくれる人」を持つことが大事なのはわかったうえで、「あなたが大切と言ってあげられる、たったひとりでもいいからそんな友人」を持てたらそれはいいなということ。できれば家族以外の社会の中で、持てたらいいなと思います。