見出し画像

かたちあるものにする作業

コメディみたいな職場に半年ほど在籍して退職したばかりです。
そこで繰り広げる作業が、いかに無意味で時間のロスか、思い知りながら、椅子を温めつつすごしました。もちろんストレスもあリながらでしたが、無意味を理解していると、他にやれることは何かを探せます。

サラリーマンであれば、そういう職場も作業も経験すると思います。今どきは少ないはずですが、まだ形式的なことに取り憑かれる人は存在しますし、それで生きている人がいます。

それは仕事と呼ばずに作業というもので、例えばお母さん業なら、
育てるにしてもより良く育てる、そのより良くの答えがないから、尊い仕事という気もします。
ただ、食べさせて寝かせるなら作業、情緒的にも知的にも豊かに接するなら仕事なのか?

人それぞれに能力も考え方も違っているため、職場にはマニュアルがあり、それに則るけど、それさえしていたら個人裁量を認めないとするなら、まさしく作業です。

私は、もう無駄な作業はしないと決めたので、変な気を使ってまで周りに合わせないことと、それそのものをいちいち気にしないスキルが必要だと捉えています。

私が今、この状況(カタチ残せば仕事と認められる単なる作業)を新たな職場で求められていて、気にしないで受け流すか?意見を出すかで揺れています。
断るのは簡単ですが、今日は意見を述べ要望に応じた作業を残してみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?