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【極私的音楽雑記】#12 TOTO「宇宙の騎士」からAORに興味にもった。(1978年③)

1978年はオリコンランキングによると洋楽でビリー・ジョエル「ストレンジャー」や「サタデー・ナイト・フィーバー」が売れた年だった。その一方、ディスコ音楽の流行とともに、この頃から70年代の往年のロックバンドのほうの元気がなくなってきた年でもあったようだ。

そんな中、アメリカ方面から、なんだか洗練されたロックが聴こえてきた。ボストン、ジャーニー、スティックス、REOスピードワゴン、フォリナーなどだ。
産業ロックと言われて一部評論家からは評判が悪いらしいが、当時はそんなことは知らなかった。その中で、自分が最初に気に入ったのが、この年にデビューしたTOTOだった。

TOTOをラジオで聴いてすぐにアルバムを買った。

最初はラジオで聴いたと思う。「Hold the Line」そして「I'll Supply the Love」。一発でかなり気に入った。すぐにアルバム「宇宙の騎士」を買いに行った記憶がある。
ギターはロックのように歪んでいるが、ドラムのリズムも、ピアノやシンセのバッキングもテクニカルで爽やかだった。ボーカルの声もすこぶる高く、コーラスワークもオシャレだった。
ただ「ジョージー・ポーギー」などは、もはやロックでも何でもなかった(この曲の良さは後々気づいていく)。
TOTOのメンバーがボズ・スキャッグスほかのレコーディングに参加するスタジオミュージシャンであることを知って、ボズ・スキャッグスやほかのAOR系アーティストに目が向くようになった。

TOTOは中3にも評判がよかった。(クイーンよりも)

ちなみに、中3の音楽の授業で一度だけ、みんなが好きなレコードを持ってきて聴こうという回があった。自分はTOTOの「宇宙の騎士」を持って行って「I'll Supply the Love」をかけてもらった。結構、評判になった。同級生から「この曲いいね」と言われてうれしかった記憶がある。

ちなみにその後、調子に乗って、盛り上がり必至と思えたクイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」からの「伝説のチャンピオン」を追加でかけてもらったが、こちらの反応はすこぶる芳しくなかった。これが自分の地元、地方の中学3年生の反応だった。

AOR的な音楽に興味を持った。

この頃にAORという言葉を使っていたかどうか記憶にないが、このAOR的な流れは、日本の邦楽にも大きく影響していく。ユーミンサウンドも、林哲司サウンドなどのいわゆるシティポップも、ここらへんから始まった。

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