「無断引用」を巡る無益な論争

 ネット上では、定期的に、「無断で引用することは許されない」「いや、無断でやるのが引用だ」という無益な論争が行われます。どっちも著作権法を正しく理解できているとはいいがたいです。

 「引用」とは、他人の著作物等の全部または一部を取り込んで自己の作品の中で用いることをいいます。

 その作品を有体物に固定すれば引用されたその著作物等もこれに伴い複製されることになりますし、その作品を公衆送信すれば引用されたその著作物等も公衆送信されることになります。すなわち、引用された著作物等は、引用先の著作物等が利用されるのに随伴して利用されることになります。このため、著作物の全部または創作性のある部分が引用されている場合、引用部分を含めた法定利用行為をする権利は、引用された著作物の著作権者に専有されているということになります。

 引用先の著作物の著作権者が、引用部分を含めて引用先の著作物を適法に利用する方法は、大きく分けて2通りあります。一つは引用された著作物の著作権者から当該利用について許諾を得るというものです。もう一つは、著作物の制限規定の枠内でその著作物を引用して利用するというものです。

 ネット上の議論では後者の方法だけが正しい引用のように語られがちですが、前者の方法を用いた引用も立派な引用です。許諾を得て引用することの利点は、細かい要件を気にせずに引用することができるということです。SNSサービスやブログサービスの中には、JASRACと包括契約を結び、そのサービスの中で自由にJASRACの管理楽曲の歌詞を引用できるようになっているものもあります。また、漫画などでは、ストーリーの中でJASRAC管理楽曲を登場キャラクターに歌わせる必要がある場合、JASRACから個別に許諾を得て、その歌詞の一部を吹き出し等に載せることがあります(この場合、JASRACの許諾番号が掲載されているはずです。)。だから、高い自由度をもって他人の著作物を自己の作品に取り込んで使用したい場合に、最初からその著作権者に利用許諾を求めていくというのは一定の合理性のある話です。

 もちろん、引用される著作物の著作権者が常に許諾してくれるとは限りませんし、引用される著作物の著作権者を探し当ててコンタクトを取るコストが高すぎる場合もありますので、他人の著作物の全部または一部を引用して利用するにあたってその著作権者の許諾を得ておくという手法をとるのが常に合理的というわけでもありません。このため、日本法では、著作権法32条1項という規定を設け、公表された著作物については、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれる引用であれば、著作権者から許諾を受けなくとも、引用先の作品に随伴して引用された著作物を利用できることとしています。

 一般の方々の中には、32条1項が適用される場合だけが著作権法上の「引用」だと誤解されている方が多いようです。しかし、条文構造としては、公表された著作物を(著作権者の許諾なくして)引用して利用することができるのは、その引用が「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるもの」に限定されると言っているだけですから、「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるもの」でない引用の存在も著作権法は想定しているというべきなのです。

 これは法律の専門家の中にも誤解されている方がいるようなのですが、① 著作権法32条1項の要件を具備する限度での利用であることも、② 著作権者から利用許諾を受けて利用することも、当該著作物の利用が著作権の侵害であるとの主張との関係では同順位の抗弁なので、32条1項の要件を具備しない場合に初めて利用許諾を得ることを考える必要はなく、32条1項の要件を具備するか否かにかかわらず先行的に利用許諾を得ても構わないのです。32条1項の要件を具備するか否かを検討するのに要するコストと、利用許諾を得るのに要するコストを天秤にかけたときに、後者のコストの方が安ければ、後者を選択すればよいだけのことです。そうしたからって、無許諾で引用することが公正な慣行に合致しなくなるわけではありません。

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