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国際協力の仕事 日本による技術協力の概観

はじめに

1991年、アフリカのザンビアという国に青年海外協力隊員として派遣されてから、去年(2019年)までの28年間、日本政府による援助の実施機関であるJICA(国際協力機構、Japan International Cooperation Agency)から継続的に仕事をいただいていました。よく、国際協力を仕事にしていると説明すると、「素晴らしいお仕事をなさって」といった、嬉しいけど、ちょっと違うかなと感じる反応を受けることがありました。これを生業としているものとしては、きちっと報酬はもらうし、色々な体験はさせていただくし、反面、色々と大変なこともあります。こうした大まかなところは、世の中にある大半の仕事と変わりません。では、詳細はどんなものか、なかなか伝えるのは難しいですが、書いてみたいと思います。

色々な国際協力機関

世の中にはJICA以外にも国際協力の実施機関があります。公的な機関であれば国連組織、また、日本のJICAと同じような各国の実施機関などがあり、それ以外に民間団体であるNGO(Non-Governmental Organigation)もあります。そうした組織が各々どんな活動をしているかを説明すると、かなり複雑になります。また、そういった説明を丁寧にしているウェブサイトや本はすでにあるので、ここでは自分が体験してきたJICAの国際協力に限定して説明します。でも、その前に背景となる情報から説明して行きます。

JICAの変遷

JICAの前身となった組織はOTCA(海外技術協力事業団、Overseas Technical Cooperation Agency)という組織で、途上国に技術援助を提供する団体です。そのため、長年、JICAでは資金協力ではなく、技術協力が事業の中心となってきました。その後、日本のODA(公的開発援助、Official Development Assistance)の実施組織を一本化する目的で、JBIC(日本協力銀行、Japan Bank for International Cooperation)の途上国への資金協力部門がJICAに吸収されました。以上、組織的な変遷を書きましたが、ここでは、大まかにJICAの中には技術協力と資金協力といった2種類の国際協力事業があることを押さえていただけば結構です。

日本の国際協力の特徴

よく日本の国際協力について語られるとき、自助努力や要請主義という言葉が強調されます。これらの言葉が意味することは、ある国の発展について日本が主導的にあれこれと指導するのではなく、協力を受け取る側の国の自主性と主体性に任せ、日本は相手が必要とする協力のみを提供するということです。そのため、欧米の協力機関と比べるとJICAは政策の策定に対する助言については積極的ではなく、むしろ、相手側にすでにある政策に沿って協力をします。

開発政策の拠り所

上で触れた開発政策については、もし、日本と他の国際協力機関と途上国政府で異なっていたら混乱します。でも、実際には、JICAも他国の協力機関も、また、協力の受け手である途上国政府も、国連が打ち出した政策に則って各国の事情を織り込みながら開発政策を策定します。そのため、3者の目指すところが大きく異なることはありません。現在、開発政策の拠り所となっている国連の文書はSDGs(持続可能な開発目標、Sustainable Development Goals)です。内容的には、貧困撲滅、平等、環境などに関する17の開発目標があり、それらの内容はどれも常識的にそうあるべきと思えるものなので、どの国にとっても政策策定の指針として問題のないものです。

JICAによる資金協力

日本の資金協力には、無償資金援助と円借款があり、前者は特定の開発事業に使う資機材や労働力を途上国の政府が購入するために日本が資金を供与するものです。一方、後者はインフラ整備などのもっと大規模な開発事業の資金を低金利のローンとして貸し出すものです。日本の資金協力では、金額的に円借款の部分が大きく、一部の欧米や日本の識者によって、途上国の負担を大きくすると批判されることがあります。しかしながら、上に述べたように日本の協力は相手国の自助努力を尊重し、いわゆる援助漬けにすることを避けるために、あえてローンに力を入れているのです。また、どこかの国のように無理なローンの貸し付けをして、担保として重要な場所や施設を接収することもありません。一方で、無償資金援助では、大学や病院を立てるといった、インフラ整備よりは小さな事業に資金が提供され、返済の必要はありません。そして、これは、しばしば次に説明する技術協力とセットで提供されることが多いです。

JICAによる技術協力の概要

私が30年近く関わってきたのが技術協力なので、ようやく、本論に入れる気分です。JICAで技術協力という場合、広義では、専門家派遣、ボランティア派遣、研修、また、最近では共同研究などの様々な活動が含まれています。ただし、狭義で技術協力という言葉が使われる場面も多く、その場合は技術協力プロジェクトのことを指します。また、単にプロジェクトと言うと、JICAでは技術協力プロジェクトを指すことが多いです。この技術協力プロジェクトは、専門家派遣、無償資金援助、カウンターパート研修といった3種類の協力スキームをパッケージにしたものと定義されています。そして、ここでの無償資金援助は、年間、数千万円の規模で、小規模な施設の建設や少額機材の購入に使われるものです。そのため、大規模な施設建設が必要な場合は、技術協力プロジェクトとは別の無償資金援助を合わせて実施することも多いのです。

技術協力実施の例(工学部の拡充)

上の説明だけでは抽象的でわかりにくいので、例えば、ある国で国立大学の工学部を大幅に拡充する場合に技術協力プロジェクトをどう進めるかを説明します。まず、相手国の要請を受けて、JICAが調査団を派遣します。そして、大学や関連機関について様々な調査をして、工学部の建物の新設計画とそこに設置する機材の計画を立て、無償資金援助の案を策定します。その後、相手側と合意を結んで工学部を建設するとともに、技術協力プロジェクト実施に関する調査を進めます。工学部の建設が終わった頃には、技術協力プロジェクト実施計画について相手国と合意し、プロジェクトを実施します。プロジェクトが始まると、日本から工学部の教授が専門家として派遣され、相手の大学職員に対してOJT(On-the-Job Training)による技術移転が始まります。そうすると、当初の無償資金協力の計画には想定できなかった細々とした資機材が必要となるので、それはプロジェクトの一部である少額無償資金援助で対応します。また、現地には必要な機材がないなどの理由で日本でする必要がある技術移転は、相手側の大学職員を日本に招いて研修として実施します。これを本邦研修と呼びます。こんな具合に、専門家派遣、無償資金援助、本邦研修といったコンポーネントを有機的に活用して、技術協力を進めます。

技術協力トレンドの変遷

上の例に書いたように、まず、箱物建設と大型機材の導入を無償資金協力で済ませた後、技術協力を始めることが、90年代から2000年代初頭までは普通でした。この場合、技術協力を実施する目的は「建物や機材が有効に使われるため」と説明されることが、しばしば、ありました。つまり、相手側に箱物と機材を供与することがメインで、技術協力はいわば「取り扱い説明書」のようなものと認識されていました。こうした技術協力のあり方を、私は「取説型技術協力」と呼びます。これは、JICAでも他の機関でも使っていない私独特の言い回しなので、ご注意下さい。それに対して、近年は大型の無償資金援助が行われずに相手側の既存の施設や小規模の施設建設のみで技術協力プロジェクトを実施することも増えました。そして、技術協力が進み事業が大きくなってゆくと、相手側の組織も大きくなり、それに合わせて大規模な箱物を後から建設するケースもあります。こうした進め方を「育成型技術協力」と呼びますが、これも私のオリジナルの呼称なので、ご注意下さい。

取説型から育成型への理由

技術協力を生業としていた者としては、技術協力が箱物や高価な機材の付属物のように見られる取説型技術協力は、正直、面白くありません。また、単に気分の問題ではなく、機材や建物は使い方がよく分からないうちにもらうより、既存のものを限界まで使いこなして、それで足らなくなったら供与される方が、しっかりと活用されるものです。こうしてみると、育成型の技術協力プロジェクトが増えてきた理由は、JICAが数々の技術協力を実施してきた結果、上記のような結論を得たためと推測できます。ただ、穿った見方もできるのですが、それはバブル経済以降の日本の緊縮財政によるODA予算の削減を原因とする見方です。つまり、予算の縮小によって気前よく箱物の供与ができなくなったので、比較的低予算で実施できる技術協力プロジェクトのみを実施するようになったとする考え方です。まあ、どちらにしても、箱物中心の時代よりも技術協力の真価が問われるようになったので、大変ではあるけど、やりがいは大きくなったと言えます。

終わりに

今回、noteに初めて自分が長年取り組んできた専門分野について書きました。自分の専門分野については、さすがに知っている情報量が多く、小ぢんまりとまとめることは難しいです。この文章を書きながらあれもこれもと色々な情報が思い浮かんだのですが、全部を含めるとまとまりがなくなって、文章の辻褄を追うことが難しくなります。それを避けるために、多くの情報から一部を切り取りながら書き出したのが、この文章です。そのため、不正確な表現もあると思いますが、ご容赦願います。また、今回、書ききれなかった事柄については、また、追って、書いて行きたいと思いますので、次回以降もご覧いただくよう、お願いします。


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