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『TVを持たない生活』 ~幼少期と、難聴者の家族~

前頁 ~『インターホンが聴こえない』) ※難聴者さんインタビュー②

GenGenさんの家族は、みんな普通に聴こえる。
そうした環境に揉まれ鍛えられてきたと同時に、ゆっくり話してくれるなど、母のあらゆる協力が有難かった。
厳しくも優しい父の影響も大きかったという。兄姉にも助けられてきた。

TVを持たない生活

GenGenさんの家にはTVがなかった。母が、GenGenさんが字幕に頼らず生きていけるよう、家族のコミュニケーションを優先し、TVを持たない生活を選んだ。そのせいで「今、流行っている事がわからない」という状況を兄姉にも作ってしまったと悔いが残る。
兄姉に対する悔しい思いもあったが、最後の心の拠り所はやっぱり家族だと言う。


幼馴染に デフファミリー(Deaf Family) の難聴者と、GenGenさんと同じように家族の中で本人だけ聴こえない難聴者がいた。

そのファミリーが手話を使っていたのを見て、手話の感覚を知った。

今も、手話はガッツリ使うわけではなく「ベラベラ」ではない
聾者など、普段から手話を使っている人からみたら「もっと勉強しないと」というレベル。
手話は、使えば使う程覚えられるという。

聾学校には行かず小中高と普通学校に通った
就学前は週に一度の聾学校、
小学校では「聞こえの教室」で発音の練習や訓練を受けた。

中学では難聴者対応の学級が選べたが、やりたかったバレーボールが普通学級にしかなかった。
席は前方にしてもらい、先生の口を見て授業を受けた。

高校は他にも聴こえない人がいる学校で、ゆっくり話してくれる、集会は別で手話通訳が付くなどの配慮があった。
伝言は紙で行い、リスニングの授業は免除となる。普通高校では珍しいタイプの学校だった。ダンス部も楽しかった。そうした環境で自分は恵まれていた、という。

「自分のチカラではない」

インタビュー中、GenGenさんの口から「自分は恵まれていた」という言葉が何度、出ただろう。
今ある状況や自分は、自分のチカラではなく、そうした環境や状況、家族や周囲の人に恵まれていたからだと何度も言う。

つい「誰だって支え合って生きている」と返してしまったが、自分はGenGenさんほど、あらゆる事を「有難い」と思って生きているだろうか、と考えてしまう。

恵まれていたというGenGenさんだが
「生まれつき聴こえないというだけで、なぜそんな思いをしなくてはならないのか」
と、聞いていて胸が痛くなる話もいっぱいあった。

次頁『イジメもあった』


Interviews and Contributions(取材・寄稿)
yuka (BeOneプロジェクト代表)

※私ども「ハニポ」 はBeOneプロジェクトの活動・運営を無償サポートしています

※難聴者さんは、難聴の種類や程度によって、一人一人全然違う聴こえ方・コミュニケーションの取り方をしています。他の難聴者さんが、皆同じ環境・状態にあるというわけではない事を念頭にご一読くださいませ。

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