13歳 時田礼子

22人目

はじめまして、こんにちは。
中学では、バスケットボール部に所属しています、時田と申します。先輩が大勢いるので部活ではまだ公式戦に出たことはありませんが、ミニバス時代はポイントガードでした。勉強も、できない方じゃないと思います。中学に入って、はじめてテストの順位が廊下に張り出された時、私は緊張しつつも楽しみにしていて、それはきっと多分自分の学力に自信があったからなんだと思います。実際テストの成績が学年13位でうれしかったです。私、自分でいうのもなんですが、今のところスポーツも勉強もそれなりにできているほうだと思うんです。先生たちから見たら優等生。多分、先生以外の人が見る私に対するイメージもそうだと思います。母も優しくて、ミニバスの試合のときとかは来てくれますし、私が試合で活躍したら帰りの車の中では嬉しそうにするし、ミニバスのママ友たちと話しているときも、端から見ていて私が褒められるとまんざらじゃない顔をしています。「れいちゃんすごいね〜。バスケもうまいし、塾にももう通わせてるんでしょ?文武両道で完璧なお子さんね」って。でもここに問題があって。母はその言葉を真面目に受け取って、「いえいえそんなことないですよ」って謙遜しているけど、私なんだかモヤモヤするんです。完璧なお子さんって言葉に。子どもとして完璧であることって、褒められているような気がしないんです。いけすかない感じがビンビン伝わってくると言いますか、スポーツと勉強できても、お前は所詮子どもだ!!何があっても!どうあがいても!!と強く念押しされてる感じがするんです。本当に完璧な子どもだったらそれは大人だと思うんです。でも当たり前ですが、自立できてないですし、未成年なので子どもなんです。つまり、これはあくまで私の考えですけど、子どもであるためには要素として何かが欠けていなければならないと思うんです。経済面はもちろんですけど、体も心も。だとしたら、完璧な子どもって相当な悪口というか、「いえいえそんなことないですよ」なんて悠長に謙遜している場合じゃないと思うんです。「てめーのガキのほうが完璧な子どもです」っていうくらい、強烈な皮肉をぶつけないとチャラになってない気がしてるんです。あ、でもごめんなさい。ここまでいっておいて今気づいたんですけど、その返しができないってことは母もどこか欠けている部分があるってことですよね。考えてみたら、ママ友も明らかに心が欠落してるし。だとしたら、人類みんな子どもじゃないですか?ってことは完璧な子どもって、人類のトップってことになりませんか?それはすごい。その称号をこんな私に譲ってくれるなんて、ママ友たちはなんて優しい方々なんでしょうか。絶対に言われたことを忘れないと思います。はぁ、大人になりたくないですね。

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