真夏

 実はとてもシンプルで、八月の猛暑日に生まれたからその名前にしたんだ。ママは死ぬほど汗をかいていて、からだが溶けていくようだった。それこそ君が生まれた瞬間、ママのからだは小さくなったよ。
 パパがこめかみをかきながらそう笑いかけてきたとき、私はもっていたノートとペンをパパにぶつけたくなった。まさか本当にそんな短絡的につけられた名前だったなんて。いくら八月生まれの「真夏」だとしても、彼らなりの奥行きのあるエピソードがあると心のどこかでは期待していた。
 それじゃ、六月の梅雨の時期にうまれてたら名前は「梅雨」で、九月の暑い日だったら、「残暑」になっていて、七月のなんてことない暑い日だったら「夏」にでもなっていたということだろうか。私の中で、両親に対する信頼度は極めて下がった。本当にこの人たちを信用して良いのだろうか。信用するしかないのだけれど。
 私はパパに背を向けて、入ってきたドアに再び手をかけながら、これでは私の発表は十秒で終わってしまうと危惧した。私の名前の由来は、真夏に生まれたからです。こんなの、きっと笑われてしまう。ドアノブは冷えていて、回しながら早く手を離したいと思った。
 ふと、パパとママの名前を思い出そうとする。でもなかなか頭に浮かんでこない。パパはパパで、ママはママで、この家では私以外の誰の名前も出てこないのだ。
「パパは──」
 半開きになったドアのまま、それほど大きくない声を出してみた。この質問をしていいのか、ひょっとすると、パパが傷つくんじゃないかと思いながら。
「どうした?」
 パパの優しい声が聞こえる。きっと私の次の言葉を待っている。けれど私の心の決着はつかないでいた。
「パパのは──」
 自分からは振り向くことはできなかった。でもパパの頭は良いらしい。優しくて賢いのだ。
「パパの名前か?パパの名前の由来はそうだな……」
 考え込むパパなら見ることができた。パパの部屋は簡素で何もそそられるものはないけれど、それがパパらしいとも思う。
「親子の親に、憲法の憲で、ちかのり。みんなと仲良くて、みんなの手本になってほしいって意味が込められてるらしい。画数多くて難しい漢字だから、テストで損した記憶しかないよ」
「ちかのり」
 説明された漢字は書くことはできないけれど、私ほど安易な名前ではない。よっぽど、こっちのほうが発表に向いている。
「ちかのり、いいじゃん」
「こら、パパを呼び捨てにすんなよー、まなつ」
「ちかのり、ちかのり」
 私は逃げるようにパパの部屋を出た。
「ちかのり、ちかのり」
 次第に小さくなる声は、自分の部屋の前で途切れた。
「ちかのり。まなつ」
 こみ上げる感情がなんて名前なのかはわからなかったけれど、喉元で止めなければならない感情だとは判断できた。
「まなつ。まなつ」
 私の名前には、もっと複雑で高度な意味がきっとあるはずである。「ちかのり」のように、親からの深いメッセージが込められていてしかるべきである。そうだ。パパは照れて、私に本当の名前の意味を教えるのを躊躇しているのかもしれない。
「何にしよう」
 自分の意味は、自分で意味付ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?