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そのとき、フィルムはあるんだろうか

 以下、フィルムカメラを手放したばかりの人間の戯言。2022年12月、リコーがペンタックスブランドで「フィルムカメラ・プロジェクト」というのを発足させると発表したことで話題になった。いまのところ、写真愛好家には、概ね好意的に受け入れられているようだが、手放しで歓迎できるものなのかという疑念が残る。
 カメラについての現状は、車にたとえることができる。フィルムカメラがガソリン車で、EVがデジタルカメラだ。EVもデジタルカメラも、電気さえあれば動く。普及率という点では、車と違って、カメラではほとんど置き換えが済んでいると言える。
 どれだけEVが普及しようとも、ガソリン車を運転したいと思う少数派の人は残るだろう。ガソリン車のエンジン音が無いと、車を運転した気にならない。その感覚が失われてしまうくらいなら、もういっそ車なんて運転する気にならない。そういった細部に対する個人的な goût(趣味、好み) が、車と自分を繋ぎ留める一点だったりする。しかし、ガソリン車に対する思いだけでは、どうにもならなくなる場合が出てくるのではないか。言うまでもなく、ガソリンがなければ、ガソリン車は走らない。だが、石油というのはいつまであるのかわからない。石油が枯渇するのはまだだいぶ先の話にしても、脱炭素化の流れでガソリンスタンドが無くなる日はそう遠くないはずだ。ガソリンが簡単に手に入らなくなったら、どうやってガソリン車を動かせばいいのだろう。
 いまここでいうガソリンというのは、フィルムの置かれた現状に似通っている。ガソリン車がフィルムカメラなら、ここでガソリンはフィルムだ。フィルムだっていつまであるのかわからない。フィルムが減っている要因は、複数ある。いまここで、ガソリンについて述べた流れでひとつ挙げれば、地球環境的な要因がある。石油が資源的要因と環境への配慮によって過去のものとなっていくように、フィルムもそうなっていくという現状が実際にある。富士フイルムは、2021年8月に、ベルビア100のアメリカでの販売を中止した。これは2021年3月にアメリカの環境保護庁が定めた有害物質規制法(Toxic Substances Control Act)において、ベルビアの含有する化学成分が微量ながら指定されていたためである。
 ベルビア100のようなフィルムそのものだけでなく、フィルムに関わるものは基本的に環境には負荷がかかる。私は昨年末の大掃除で、挫折して放置されていたカラーネガの現像セットを処分した。現像液は当然のことながら排水口に流すことはできない。役所に問い合わせたところ、紙や布に染み込ませて燃えるゴミに出してくれとのことだった。言われた通りにしたが、それで環境への負荷がないと言えるのかはわからない(とはいえ、デジタルなら負荷ゼロとも言えない。発電に関して環境に負荷をかけるからだ)。
 私がここで言おうとしているのは、無くなっていくものには、それなりの理由があるということだ。写真の大部分がデジタルに置き換わったのは、別に環境配慮だけではない。それ以上のこととして、デジタルが業務上のワークフローを簡素化したことが挙げられるだろう。想像してみてほしい。洋服店の新聞折り込みチラシ、オフィスの備品の分厚い業務用カタログ、「FRIDAY」の袋とじ…… このようなものに掲載されている写真の全ては、デジタルカメラが普及するまではすべてフィルムで撮られていたということを。業務レベルでは、ひとつのスタジオだけでも1日あたり数十本本のフィルムが消費されていたのである。このような時代のフィルムの消費量は、いま趣味人たちが週末に1、2本使うくらいのフィルムの総消費量と比べるまでもなく多い。業務で必要とされなくなるにつれ、フィルムの需要は確実に減ってきたのだ。どれだけフィルムで写真を撮ることががブームになろうとも、フィルムの需要がかつてのように回復することはあり得ない。
 現に、フィルムカメラがブームになりつつあるなかでもフィルムの種類は減ってきた。富士フイルムのPRO400Hはもう無いし、PRO160NSですらない。しばしば品薄になる「レンズ付きフィルム」の「写ルンです」にしたって、かつては何種類もあったのに、いまでは1種類しかない。その上、残ったわずかなバリエーションのフィルムも、値上げに次ぐ値上げである(参考として、PRO400Hの代替としても用いられるようになったコダックのPORTRA400は、135mmのもので、1枚撮るのに約88円かかる。現像代も合わせれば、確実に1枚100円以上になる)。つまり、フィルムカメラを存続させたところで、フィルムがもう簡単には手に入らないかもしれない。たとえ手に入ったとしても、極めて高価で、ほんのごく一部の人しか手に入らないというものになるかもしれないのだ。
 またしても車に例えてみるが、カメラとフィルムは車の両輪のようなものである。カメラだけあったって写真は撮れないし、フィルムだけあったって写真は撮れない。いまガタが来ているのはどちらの車輪かと言えば、明らかにフィルムの方である。中古カメラなら今でも新宿やメルカリでいくらでも転がっている。一部はプレミア化していて、読者の中には壊れたら終わりとされるCONTAXのT2に20万円も捧げた経験のある人もいるかもしれない。もちろん、30年後には、中古のフィルムカメラも容易に手に入らなくなっているだろう。いま中古として出回っているフィルムカメラでも修理できるものが少ないくらいだから。その点では、「フィルムカメラ・プロジェクト」のような、カメラに関わる技術継承は必要だろう。その点では十分意義がある。しかし、瀕死のフィルムはどうなるのか。フィルム写真文化の差し当たっての課題は、向こう10年、20年、フィルムが供給され続けるかということである。いまこの存続を担っているのは、国内メーカーで言えば、富士フイルムだけと言っても過言ではない。
 プロジェクト立ち上げに際し、ペンタックスによって公開された動画では、フィルム文化の置かれた厳しい現状について、サムネイルに現れている男性が語る場面がある。

この中で、彼は「フィルムそのもの」について語ってはいる。が、値上がりと種類の減少について「仕方ない」と言い、「趣味を楽しむには非常に厳しい環境になってきています」とだけ述べてフィルムカメラの話に戻ってしまっている。ペンタックスとしては、カメラだけ作って、「あとは富士フイルムさんよろしく」ということなのだろうか。もちろん、そんな無責任なことはないと思いたいが、私としてはペンタックスの人にひとまずこう尋ねてみたい気に駆られる。「そのとき、フィルムはあるんだろうか」と。

変更歴
1/7 17:45:冒頭の2文目、「ペンタックスが」とあったところを、「リコーがペンタックスブランドで」に変更。

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