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【プロの仕事とは。Vol.1】物言わぬ写真が雄弁に語る。上田義彦さんの仕事とノルウェーの寒空と。

プロの仕事って何だろう。ひとりで起業して、さまざまな困難が目の前に不可避的にやってくると思う。自分はプロなのか?ちゃんとやっているのか。そのとき決まって思い出すのはノルウェーのニセモノの雪と見たことのない骨董品みたいなカメラだ。

前職の広告代理店電通時代、大手アパレル会社の営業をしていたときのこと。冬用インナーウェアを担当をしていて極寒のノルウェーに行くことになった。氷で楽器を作ってバンド演奏するアーティストの面々を撮影することになった。「めちゃくちゃ暖かい〜」と日本語で歌いながら(当然めちゃくちゃカタコト)氷で出来たギターや木管、笛などを演奏するTVCMとグラフィックを撮影したのだけど、カメラマンをお願いしたのが上田義彦さんだった。

上田義彦さんの説明は省かせていただくが要はこれまで数々の広告写真を撮影してきた超大御所だ。このアパレル会社はよく上田義彦さんに写真を依頼して、いつも美しく静謐な広告写真を仕上げていた。

2016年エルメスの広告。他の方のサイトから転写しています。
美しい。ただただ美しい。どの写真も上田義彦じゃないと撮れない何かがある。

初めて行った北欧の国、ノルウェーは9月にもかかわらず寒かった。そして静かな街だった。首都のオスロに行ったにもかかわらず新宿のような猥雑さや渋谷のような賑わいはどこからも感じない。寒々しい街であると同時に街行くノルウェー人の目も不思議な色をしていて、どこか物悲しい雰囲気をより一層醸し出していた。

撮影は氷で作った楽器が溶けないように極寒のスタジオだった。背景に映る雪は実際の雪ではなくスチロール微粒子で出来たものを使っていたけど、上田さんは一粒一粒ケーキを作る調理器具みたいなものをかけて背景を作っていいく。パフパフパフ・・パフパフパフ・・・・という音だけが響き渡る中、2時間ぐらいたった。その間、ノルウェーの現地スタッフも物珍しそうに作業をしている様子を眺めていたが、それもすぐに飽きたのか思い思いに休憩している。僕は時間通りに撮影が終わるのか固唾を呑みながらヒヤヒヤしていた※1。ようやく思った通りの背景が出来たのか、にわかにデジタルカメラを持ってパシャパシャと撮影を始めた。アーティストもようやく撮影が始って安心したようで穏やかな笑顔でシャッターを切られていた。そんなときに事件は起きた。

コレひとつで10mぐらいの舞台に雪山を作るという神にも等しい創造力。

上田さんがいきなり撮影をストップした。そしてスタジオの端っこにいたバキュームカーみたいな車からでかいホースを出してスチロール微粒子を一気に噴き出したのだ。元々用意していたバキュームカーはケーキ調理器具のせいでお役御免になりかけたが緊急出番と相なった。バキュームカーはそれまでの鬱憤を晴らすがごとく、すさまじい轟音で大雪を噴き出していく。どんどんスタジオに雪が舞っていく様子は、テレビで見た新潟や北海道の雪景色のソレだった。ニセモノのはずなのに見ていると寒く感じてくるから不思議だ。みんな、雪がすでに降りかかったスタジオに更なる雪が勢いよく積もっていく不思議な様子をぼんやりと眺めていた。美しかった。と同時にどうしようもなく不安だった。今までの作業は何だったんですか?とは誰も聞けなかった。

ひと通り雪をぶっ放した上田さんはアシスタントに「バイテンを用意して」と穏やかに言った。バイテンとはフィルムで撮影する8×10インチ(エイトバイテン)の大判カメラのこと。下敷きのようなフィルム板を一枚一枚カメラにセットして自らフォーカスを調整しながら撮影していく。ヴィンテージというか骨董というか歴史の教科書に載ってそうなビジュアルのカメラだ。アシスタントさんが手際よく用意しながら、カメラに大きな遮光布をかけて細かい調整を繰り返す上田さん。近くにいた僕は上田さんから「覗いてごらん」と言われたので、言われた通りに覗いてみた。昭和初期のカメラのように被写体は上下逆で写っていた。頭が下を向いている。ますます骨董物のような大判カメラに驚いた僕は上田さんに聞いてみた。

僕:「すごいですね。一枚一枚フィルムで撮影するカメラなんて初めて知りました。何枚ぐらいフィルムはあるんですか?」
上田さん:「11枚だね」

バイテンは↑では見えないけどフィルムを一枚一枚カメラの横に装着して撮影する。
他の方のサイトからの転写です。

ノルウェーで撮影する必要カット数は8カット=枚。対して撮影できるチャンスは11回。これはあり得ない数字である。広告写真は普通、1枚の写真に決まるまで何十枚、時には何百枚も撮影する。特に人が被写体のときは色々なポーズや表情をしてもらって撮影しまくる。デジタルカメラは何枚撮影してもコストが変わらないから。そして撮影後にモニターでクライアントが納得したら終了で、良くないときは再度撮影することもある。こうして奇跡とも言える一枚を探り当てるのだ※2。にも、かかわらずチャンスは11枚。しかも、ここはノルウェー。No Way!(=嘘でしょ、信じられない!)である。

上田さんの極限まで研ぎ澄まされた撮影が始まった。表情も姿勢も何もかもやり直しがきかない一発勝負だ。一枚一枚、アーティストに細かく指示しながら撮影が進んでいく。カメラマンと被写体の真剣勝負だ。僕ら外野選手は黙って緊張しながら上田さんの背中を見つめる他ない。こちらの緊張感が伝わったのか、現地スタッフも黙って見つめていた。ただ黙っていたほうが早く帰れると思っていただけかもしれない。撮影がいつ終わったのか覚えていない。とんでもない時間がっかったような気がしたけど、体感時間はとんでもなくあっという間だった気がする。帰国後にすごい費用の残業代がノルウェースタッフたちから請求されたことはしっかり覚えているけど。結局、上田さんは8カットに対して8フィルムをきっかり使って撮り終えた。

そして、誰もどんな写真が撮れているのかわからないまま帰国の途についた。フィルムだからその場での確認も出来ない。もちろん撮り直しも利かない。何が撮れているのかわからないのでクライアントも僕も共に不安だった。クライアントがどうやって社内の関係部署を納得させたのか今でもよくわからない。何せ帰国しても社内の人たちに見せるものがないのだ(TVCMはあるけど)。その時からこのクライアントの事を、すごく優秀な方だなと思っていたが、今もってますますその念を強くするばかりである。

1週間半後、上田さんの事務所から現像が終わったとの連絡がありすっ飛んで行った。場所は麻布十番だったか、記憶は定かではない。事務所のテーブルにA2ぐらいの大きめに出力された8枚の写真が並べられていた。
その写真を見た瞬間、あまりの美しさに息を吐いた。と同時に息を呑んだ。どえらいものを見てしまった。人間は驚くと相反するふたつのことがいっぺんに出来るようだ。魂と一緒に体の中の空気が全部抜けると同時に、写真の持つ静謐だけど力強い写真の像が目から入って脳みそまですべて支配されたような感覚だった。アーティストの凛とした佇まい、雪の白さがもつ純粋無垢さ、冬という季節の空気感が放つ冷酷さ、そして肝心の洋服がもたらす存在感・・・写真自身は何も声を発さない。モノ言わぬ物である。でも、この写真はアーティストの物語、ノルウェーの物語、そして洋服の物語を雄弁に語っていた。もうひとつ、プロの仕事ってこういうものだということも静かに語っていた。

プロの仕事って何て尊いんだと思った。と同時に、何てエゴイスティックなんだとも。もし普通にやっていたら背景はバキュームカーで作った雪景色だったはずだ。いや、実際にはそうなったんだけど、それまでに細かくケーキを作る繊細さでやり切った雪世界を何の逡巡もなく壊してしまった。もし普通にやっていたらデジタルカメラで撮影していただろう。それもあっさり放棄して失敗の許されないバイテンなるフィルムカメラを使った。

そこにはクライアントや広告代理店や制作会社や現地スタッフや被写体のアーティストの事情、予算や拘束時間など様々な条件を全部無視した独善的な態度がある。あらゆる事情を全部捨てて、良い写真を撮影したい純粋な思いだけがあったのではないか。上田さんの意思なんて僕には高尚すぎてわからないけど、きっとそうなんだと思う。きっとプロってこういうことなんだ。

いま、その時の写真を僕たちは見ることができない。ホームページには当然載っていないし、Googleで商品名やコピーなどの概要を検索しても出てこない。その時、携わった人たちの記憶の中でのみ存在している。しかも、人間の記憶には忘却という諸刃の機能もあるから忘れてしまったスタッフも多いだろう。

でも、あの神々しくも寒々しい鮮烈な写真は僕の記憶の中で生きている。そして語りかけてくる。プロの仕事をお前はしているのか?と。


※1・・ちなみにノルウェーは物価が滅茶苦茶に高い。さすが福祉国家で税金がすごい高いのか何なのか500mlのミネラルウォーターが当時で1,000円近くして腰が抜けそうになった。撮影時間が過ぎるとスタッフのオーバーチャージ(残業代)がかかる。ただでさえ予算がないキャンペーンのこと、このオーバーチャージをどう請求しようかお金を司る営業職の僕は頭を悩ませていた。

※2・・僕はグラフィック撮影の立ち会いがとても好きだ。被写体が人でも物でも。カメラマンと周りにいるスタッフが被写体に向き合うときの「凝縮した本気」が見れるから。スマホのカメラが高性能になって、SNSが普及して国民総クリエーター時代になっても、カメラマンの熱意と才能を再現することはできない。