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Dying Lightの盗賊たち【第1話】

 住宅地と埋立地をつなぐ橋の上から、黒々とした海水の帯のなめらかな表面が、両岸に対になって並ぶ外灯の投げかけるオレンジ色の光を、磨りガラスの不規則な凸凹がきらめきくように反射しているのが見える。
 琉樹はメロンソーダの残りを飲み干し、助手席のパワーウインドウを開け、磯のにおいと夜の冷たさが混じる空気のなかに暖色の光を照り返す水面めがけて、ペットボトルを投げつけた。ペットボトルは斜め後ろの方向にふらついた軌道を描いて落下し、ガードレールと相方積みの石垣を模した欄干の間をカンカラカンと音を立ててジグザクにバウンドして、やがてくすんだ緑色の点となった。
「おいおい」運転席からの声。
「とんでもない不良少年を車に乗せちゃったかなぁ?」カズアキはハンドルを両手に乗せながら、ポイ捨ての罪を冗談めかした口調で咎めた。文句を言い終えたあとの口角はうっすらと上がっている。
「や、すみません」琉樹はダッシュボードに視線を落としながら、独り笑いと興奮が混じった声で答えた。
「いや、ポイ捨てするようなキャラだったかお前?」カズアキが柔らかい口調で訊く。
「もしかして、緊張してんの?」
「緊張は……してるかもしれないすね、いや……してないです、たぶん」琉樹は硬直した笑みを浮かべつつ、全く答えになっていない返答をした。
「なんだそれ」カズアキは笑いながら、琉樹の右肩を左手で叩く。
「大丈夫だって、お前は今回、特にやることないから。車の中にいて座っておけば、それで万事OK。簡単な案件だよ」
「そうっすね、ホントそれっすわ」
『今回』というワードが琉樹の心に引っかかる。その瞬間、背の高いモクマオウの樹影が道路左側の照明灯を覆い尽くし、視界が暗くなった。
 橋を渡り終えて、カズアキたちは車をいかにも埋立地らしい、まっさらな方眼ノートの罫線を思わせる片側一車線の直線道路を海の方向に走らせていた。道路の両側には貸倉庫ばかり並んでいる。ほとんどの倉庫は閉まっているが、二、三軒は開いており、パレットに段ボールの積荷を満載したフォークリフトが倉庫内をせわしなく駆け回っている。
「だいぶ早く来すぎたかもだわ」カズアキは速度メーター横の時刻表示をちらりと見ながら言った。「あそこの路肩に停めて、一服するか」
 助手席のドアが閉まる。振り向くと、琉樹の目の前に海が広がっていた。視界の左から伸びている半島の垂直上に昇る欠けた月が、葉のまばらなモモタマナの枝の広がりの隙間から見える。護岸と平行に防風林として植えられたモンパノキの葉に生えている産毛の一本一本をしっかりと見分けられそうなほど、この夜の空気は冴えわたっている。
「お前も吸う?」カズアキがタバコを差し出す。
「や、あざっす。でも今日のどが痛くて」
「やっぱ緊張してんじゃん」今度は作業服の胸ポケットからのど飴をつかみ、琉樹に渡した。
「あざっす。マジ助かります」
「まぁ、最近空気乾燥してるからな」
 カズアキがのど飴を自分に渡す一連の行為に、琉樹は用意周到さを見いだそうとした。今夜の計画に何も問題はない。俺は明日も明後日も正午過ぎに起きて、食卓の上で冷めたスパムと卵焼きを、レンジで温めながらテレビをつけ、ワイドショーを横目に、スマートフォンでソーシャルゲームのアプリを開く。そうした日常は変わらない。変わるはずがない。そこに今夜の結果としての二十万円が入ってきて、それで俺は自分だけで考えた計画を実行するだけだ、と頭の中で自分に言い聞かせる。ふとカズアキの作業服の右胸に『(有限会社)ガジュマル運送』と刺繍されているのに気づき、その小細工に、自分より二つ年上のこの男の抜け目なさを感じ取っては、胸に残る不安をかき消そうとした。
「そういえばさ」カズアキが煙を吐く。「この前、俺の知り合いの池宮城ってヤツの地元の先輩の話、お前にしたっけ?」
「あっ、ハイ」琉樹ははっと我に返る。「内地に行っていろいろ手広く悪いことしてるヤバい人ですよね、去年の夏くらいから」
「そうそう、よく覚えてるな、アイツさぁ」カズアキは下を向き、靴底で吸い殻の火をもみ消し、海を正面にして左側にいる琉樹の方向に首を振った。「警察に捕まったみたい、おととい」
「あっ、そうなんすか、はぇぇ」それは琉樹にとって意外な結末ではなかったが、カズアキの話にちゃんと興味をもっているということが伝わるように、やや演技っぽく答えた。
「バカだよな、振り込め詐欺の出し子なんて足がつくに決まってんのにな。池宮城はそいつから保釈金やら何やらタカられるのがマジで嫌だから即LINEをブロックしたみたいだわ。まぁ当然だわな。そもそも保釈されんのかって話だけど。そこらへんよくわからないけどさ」軽自動車ナンバーのバンのハザードランプの点滅が、街路樹として植えられたアダンの根元にはびこるタチアワユキセンダングサの白くて小さい花を、周囲の暗闇からより一層際立たせている。「ATMには必ず監視カメラが設置されているし。もちろんダミーじゃないヤツ。あと、内地の警察はそんなバカじゃないからね、やっぱり」
 カズアキは昔から使い慣れているかのように、「内地」という単語を違和感なく発音したが、琉樹の言うそれとはアクセントが違うように聞こえた。
「俺は、いや俺らはそんなマヌケなことはしない。そいつみたいにアタマは悪くないから、リスクはできるだけ小さくとる」
「そうですよね」そうだといいんですがね、と琉樹は心の中で強く願いながら相槌を打った。パーマを当てたカズアキの前髪がなびいている。そのファッショナブルな髪型や、ごく自然に整えられた眉、手入れの行き届いたあごひげは、サイズが微妙に合っていない、色あせた紺色の作業服にふさわしくないのではないか、と琉樹は考えた。そのミスマッチぶりが琉樹の胸に再び不安をじわりと広げる。
 やがて琉樹は寒さに耐えられなくなってきた。ズボンのポケットに手を入れながら体を小刻みに震わせる。今夜の計画の首謀者のほうは、いたって平気そうに立っている。
「寒くないんすか、カズアキさん」
「んー、めちゃくちゃ寒い。正直いってナメてたわ」靴底で消した吸い殻を拾ったあと、カズアキは笑って答えた。
「中にヒートテック着とけばよかったわ。先に車戻っといても全然いいよ」
 助手席のドアには『(有)ガジュマル運送』とプリントされたステッカーが貼られている。後部座席は倒され、前方座席のヘッドレストと背もたれシートの境目の高さまで、段ボールや半透明のプラスチックケースが隙間なく積み込まれている。
 琉樹は運転席横の窓越しに、黒板の表面を煮詰めてさらに濃くしたような暗緑色の丘の連なりが、北東へと続いていくのを眺めた。画鋲で穴をたくさん開けた黒画用紙に太陽を透かしたみたいに、丘の中腹や頂上に散在する邸宅、電波塔、道路灯の自ら放つ光が輝いている。目をこらすと、有名な義賊伝説のある丘も見える。
 ハンドルの方に視線を移すと、カギが差しっぱなしだった。「そろそろ行くか」カズアキがドアを開け、吸い殻を空き缶に入れる。
「あ、琉樹、言い忘れてたけど」エンジンをかけ、サイドブレーキを解除しながらカズアキは真剣な顔をつくった。「橋を渡った時さ、お前ゴミ投げたじゃん?次からああいうのやめてくれよな、もし人に当たってたら騒ぎになって計画に支障が出たかもしれないし」
 はい、すみませんでした。としか、琉樹は答えるほかなかった。反発する気持ちはなかった。ヘッドライトが路面のブレーキ痕を照らし、カーオーディオから音割れ気味の重低音とモゴモゴとした感触の発音の英語のラップが流れる。対向車線のバイクのハイビームが、二人の顔を白く染めた。これからが本当の計画のはじまりなのだ、と琉樹は心の中で自分に言い聞かせた。


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