人類学の道第五回:「ティム・インゴルドに会いに行く」


帰り際に撮った写真。ちなみにインゴルドがフィンランドのサーミ人を調査対象に決めたきっかけの一つは当時交換留学でフィンランドに行ったときに奥さんと出会い、「フィンランドに調査に行けば奥さんともっと長く一緒に入れる」と思ったからだそう。愛は学問を超える。

最初の印象は「おじいちゃん」だった。

著書「メイキング」の翻訳を担当した金子遊氏が「たぐいvol.3」の論稿にて「自分は実際にあったことはないが聞いた話だと野生的な感じの人」だと書いていたので、熊みたいな大柄な人なんだろうななどと勝手に想像して怖がっていたものだから、駅に着いて自分に近づいてきたのが、自分とそう身長の変わらないおじいちゃんだった時は思わず「人違いじゃないか?」などと思ってしまった。おまけに駅の駐車場から出る時「先車の中で待ってて、僕駐車券とってくるから」と言いながら車をロックし、あまつさえ駐車場から出るのに随分と手こずっていたものだから(出口のバーが壊れていたのが原因だが)、失礼ながら「本当にこの人が人類学界隈で有名なインゴルドなのか?」などと思ってしまった。

僕の第一印象は、こんな感じである。

だが家に上がり書斎に案内された後、喋り始めた彼は気のせいかもしれないが、だんだんと大きくなっていくように思えた。もちろんそんなわけない、と読者諸君は思うかもしれない。だが声のトーン、身振り手振り、そして話す言葉一つ一つの深さから、僕は「ああ、この人は本当にティム・インゴルドだ」と確信した。ライターの故・立花隆氏はその知識量と頭の回転の速さから「知の巨人」と呼ばれていたが、僕自身、その異名はインゴルドにも与えることができるのではないかと思ってしまった。もちろん、立花氏の「知」が、「記述」に専念する「知識」だとしたら、インゴルドの場合は「知恵」になるのだろうが。

そう、僕は対峙したのだ。日本が、いや、世界が惹き込まれた「知恵の巨人」に。

詳しくはここでは書かないが、僕はさまざまなことを聞いてみた。マルチスピーシーズ民族誌について、哲学という学問について、文学について、ドゥルーズ=ガタリについて、人類学へ入門する心構えについて。そうした「ど素人」もいいところの彼の著書を読めばわかるような質問に、彼はユーモアを交えて丁寧に答えてくれる。いや、丁寧などという形容は不正確だ。これは本人にも思わず言ってしまったのだが、彼は1を聞いたら100の答えをくれるのだ。別れ際に「あなたの言葉はどれもインスピレーショナルだった」と言ったが、それは用意していたセリフではなく、本当に心の底から出た本音だった。兎にも角にも彼は正しく「知恵の巨人」であり、彼の喋る言葉は全てが「生きている」とさえ思えてしまった。

今日、多くの人文系の研究者の、いや、多くの人々の書く言葉と彼らの人間性が乖離しているのを多々見受ける。倫理についての論文を書きながら倫理に反するような言動や行為を行う学者、戦争に反対しながら奥さんや彼女に暴力を振るう一般人、教育について雄弁に語りながら暴力を平気で振るう教師、国民のための革命を謳いながらその国民を盾にしたと嘆いた元連合赤軍のメンバー、さらには世界が燃えているのに「〇〇人世」という名称を付けることに固執しながら冷房の効いた会議室に集まる研究者たち。まるで「理性」と「感情」という西洋的二元論をそのまま体現し、そしてさもかしそれが「真理」であるかのように振る舞う愚か者は多数見受けられるし、今後ともさらに増えるのだろう。そんな世の中だからこそ、本に書かれた言葉と語る言葉が一貫しているインゴルドのような人々が貴重に思えるのかもしれない。そして彼の人の言葉を聞きながら過ごす時間は確かに貴重であった。

もちろん、この生きた言葉は僕が文字起こしをしてここにツラヅラと書いても伝わる者では決してないし、「録音は個人使用にとどめる」と言った手前、約束を破るわけにもいかないのでここでその全てを伝えることはできない。だがこうして感想にして残しておきたかったのは、決意表明として残しておくことだけでなく、彼との対談で、僕がインゴルド自身も全く答えのわからない「問題」に直面したからだ。

清水先生と奥野克己氏の対談「今日のアニミズム」ならぬ「今日のアカデミズム」である。

インゴルドは最近の著書に「Anthropology and/as Education」という本や、「メイキング」で書かれているように、人類学がいかに教育と繋がるかを模索してきた人物でもある。その熱は凄まじく、彼が新しく立ち上げたアバディーン大学の人類学カリキュラムは、退官した現在でもイギリス国内の人類学教育ランキングでオックスブリッジに負けないほどの高い評価を受けている。

さらに教育思想だけでなく、新しく着任してきた総長がビジネス界隈出身で人文系の予算削減やスタッフたちのコストカットなどの政策を実行していく中、「学問としての場」がなくなることを危惧し、大学内外の人々と団結し、新しいマニフェストを掲げてその総長を退任させただけでなく、自ら率先して大学を「学びの場」として再編した経歴をもつ。「学び」や「教育」に人一倍情熱を注ぎ、さらにはそれを自らの専門分野と繋げることで、新たな「フィールド」を実践的に築いていこうとするその試みに、私は脱帽せざる追えなかった。

だが、そんな彼でも、自らの経歴を自慢するどころか、むしろ嘆いていたのが非常に印象的だったのだ。

私は教育の話を聞きながら、彼に日本政府による大学のコストカットや、日本社会で博士課程を取ることが何故リスクとして広く認知されているのかなどを語った。するとどうやら別段日本だけの問題ではないらしく、イギリス、いや、世界で似たような問題がどこにでもあるという驚きの返答が返ってきた。アバディーン大学は本人がカリキュラムを一から作ったからまだだいぶマシらしいが、それでも「世界最高」と言われるオックスブリッジ(オックスフォード・ケンブリッジ)ではそうした色が既に濃厚だと危惧していた。

それだけではない、アカデミズムのシステムはもちろんのこと、僕は日本の大学生がいかに「学び」に対して不誠実であり、結局は「良い企業」に行くための通過点に過ぎないかを説明すると、全く同じことがイギリスでも起きていると嘆いていた。

日本だけではない、全世界で、大学というアカデミズムが危機に陥っているのだ。そしてそれはシステムだけでなく、生徒たちの質にも、同じような問題があるのだ。

僕は思わず聞いてしまった。「でもどうすることもできないのではないか?」

すると手で顔を覆い、彼は力無さそうに「そうだ」と答えた。

いくら彼のような熱意や知恵のある人物でも、結局この「資本主義」的システムからどう抜け出せばいいのかわからないのだ。

そうして僕は外山合宿で習った新左翼の闘争や全共闘を思い出した。彼らもあの「資本主義的」な世の中から脱出するために必死に抵抗して、多くの影響を残しながらも結局は「テロリスト」の烙印を押され、歴史の渦に埋もれてしまったのではなかったかと。

だからこそ彼が「私もどうしていいかわからない」と未来を憂いていた時、なんだかとてもやりきれないと思ってしまった。

彼は社会科学者ではなく人類学者だ、解決策について何もわからないのは当たり前じゃないか、こういう馬鹿げた意見が聞こえてくるかもしれない。だが教育カリキュラムを一から再編し、Aレベル(イギリス高等教育システム)に人類学を取り入れるために邁進し、ビジネス中心の大学運営から脱却するために必死に運動をした御年74歳の老人が、本当に机に座って社会について客観的に考えるだけ考えて、大した社会運動もせず論文をつらつら綴る「社会科学者」と比べて「何も」わからないのだろうか?僕はそうは思わないし、賢明な読者諸君ならきっと共感してくれるに違いない(一応断っておくがこれはアカデミックな論文でもないし客観的視点から書こうなどという努力は一切していない)。国民のための革命を謳いながら、レストランのウェイターが食事を運んできてくれてもお礼のひとつも言えない革命家に革命を起こす資格がないように、権威という名の椅子の上で何もせずふんぞり返って難解な言葉を並べてわからなければ読者が馬鹿だなどとほざく愚かな人文学者やそうした連中を盲信する愚か者どもに、彼を批判する資格など一切ないのだ。

話を元に戻そう。結局資本主義とは巨大なシステムで、悪の元凶など別にどこにもいないように思われる。ジョン・スタインベックの有名な小説「怒りの葡萄」で皆が資本主義に苦しめられているのにまるで資本主義が心のない機械であるかのような描写をしていたように、「資本主義」というのは誰か特定の人物や、鷹の爪団のように秘密結社(?)が牛耳っているわけでもないのだ。もちろんCEOや富豪などと言われる連中は少なからずこの罪に加担しているかもしれないが、彼らを暗殺して回ったところで、別段世界はラディカルに変わることはないだろう。

ならば我々はどうすることもできないのだろうか?結局はシステムに「沿って」生きていくことしかできないのだろうか?

面白いことに、インゴルドは「それでも大学を変える可能性」を見出していた。そしてそれは大それた理念ではなく、私が今こうして足をつけている大地に、であった。

そう、スコットランドである。

実はイギリスという国は、四つのnation(国?)によって構成されている。ロンドンのあるイングランド、人より羊の多いウェールズ、アイルランドとの戦争で有名な北アイルランド、そしてウィスキーで有名なスコットランド。そしてインゴルドはこのスコットランドこそ、もう一度大学という場所を復興させることができるのではないかと言ってたのだ。なぜならイングランド(ロンドンのあるいわば「イギリス」という連邦国家の中心)と少し違う教育カリキュラムを採用しているからだ。

このアイディアはしかし、我々日本人には真似できない。教育システムは統一されているし、何よりイギリスとその歴史を異にする。真似したくてもできないし、真似したところで全く違った、大方失敗するような現象しか引き起こさないに違いない。

ならば我々はどうするべきか。どうしたら「アカデミズム」を復興させることができるのだろうか。どうしたら大学は再び「学問の場」になるのだろうか。ボブ・ディラン風に言えば、「the answer is blowin' in the wind (答えは風の中)」なのだろうか?

インゴルドは答えはくれなかった。なぜなら彼自身も、どこに答えがあるかを知らないのだから。

だが彼は、僕に「世界」の中に巻き込まれていくように促してくれた。

問題を外から見るのではなく、問題を「内側」から見る。ハラウェイ的に言えばstaying with the trouble(トラブルと共に生きる)、と形容できるだろうか。兎にも角にも彼が大学の問題へと「巻き込まれ」立場の異なる人々と「共」に問題を解決していったように、僕もただ客観的に語ったり分析したりするのではなく、教育という世界の中に「降り立たなければ」ならない、と。そうしてその問題を一人で抱え込むのではなく、多くの人々や非人間と「共に」取り組んでいけば、自ずと物事は良くなるかもしれないし、良くならないかもしれない。だがもしそうした問題を危惧するのなら、安全な場所から文句を言うのではなく、不安定な世界の中で他者と「共に」生きていく。これが我々が唯一、そうした問題を解決する手立てだと教えてくれた。

この言葉を聞いた瞬間、僕は長年不思議に思っていた疑問がひとつ解決したような気がした。もし禅仏教が言うように、世界が大きな流れであって私も流れの一部だとしたら、どうして逆らわずにただ流されるままに生きることが間違っているのだろうか?例えばものをなくしたらわざわざ探さずに「それが流れだから」と言って諦めればいいのではないか?例えば皆が赤信号を渡ったら、「それが流れだから」と言って一緒に渡ればいいのではないか?「人は流れに乗ればいい」とシャア・アズナブルはいったが、もし人が流れに乗ればいいのだとしたら、直面する全てに流されればいいのではないか?だから僕はこれが「流れのままに生きること」と同義でないと寺の和尚に言われた時に、「なんでなんだろう?」とずっと思っていたのだ。

だがどんな生物学的知識や反駁よりも前に、我々は身体を持ち、我々は生きている。そして我々が世界の中で「生きる」唯一の方法とは、世界の中で「becoming-with(共生成)」することなのだ。インゴルドが言うように、我々は生成途中で、そして他のモノと絡まり合うことによって生成に貢献する。ならば私が流れの一部として生きていると言うことは、流がされて生きることではないのではないか?それは流れという大きな現象から「私」を独立させ、そうして流れの中に身を投じていると考えているからではないのか?

そうだ、私はもうすでに流れそのものなのだ。そうして「世界」という流れの一部であるとともに、私はその流れを「生成」しているのだ。

インゴルドは多くの学者から自らの思想が仏教的だと言われ、僕が禅仏教の思想を紹介したら「非常に自分の考えと似通っている」と言っていた。だからこの考え方はあながち間違いではない、いや、むしろcorrespondしているに違いない。

だからこそ私はここに決意する。世界を見つめて分析していくのはもうやめようと。私は資本主義社会が嫌いだが、多くの恩恵を受けているのはまた事実である。ならばどうするべきか。それはうじうじ机の上で悩むのではなく、まずは私がこの世界の中に住まう存在であるとともに、世界を作る存在であるという自覚から出発すること。私は私ではない、しかし私は私でなくもなのだから。

そうしてそれは、哲学と人類学の大きな違いでもあるのだ。インゴルドは「哲学が風景を座って眺めて思考する学問だとしたら、人類学はその風景を歩いて学ぶ学問だ」と言っていた。そうなのだ。それこそが哲学をやっていく中で僕が人類学に惹かれた所以でもあるのだ。僕は、生きている。理性や言葉の前に、僕は「生きている」。ただ生きる、生きてやる。呼吸を止めてなるものか。ヒロトのように。マーシーのように。そして万物全ての「モノ」のように。

かくして2時間にも及ぶ対談の末、僕は晴れやかな気持ちで帰路に着いた。車窓から眺めながらエジンバラまでの道のりに感じていたのは、未来へのなんとも言えぬanticipation(期待)と、頭の中で何度も繰り返される、人類学者ティム・インゴルドのさまざまな言葉であった。




というのが感想です。どんな話したかは研究計画書き終わったらそのうち書きます、バイナラ〜



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