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08/私が写真を撮る理由

コロナ騒動を経験して
当たり前のように明日がくると思っている自分に気付き、生きることは死ぬことなんだと考えはじめました。
考えていくうちに、絶対に写真を仕事にしないぞ!と思っていた自分の考えが変わっていき、写真で伝えたいことあるわ。と思うようになり、細々と写真を撮らせてもらうようになりました。
考えるきっかけとなった話はこちら👇

▼死に向かって生きている
https://note.com/beyond_photo/n/nfc6df9868c19

そこへ辿り着くもっと前の
カメラとの出会いから、、、


長男が②歳半のころに宮古島へ行くことになり、せっかくならスマホじゃない写真が欲しい!と前日に手に入れられ、初心者でも扱いやすく、優秀!と勧められたミラーレスカメラがSONYα6000でした。

趣味で始めたカメラですが、飽き性な私がこんなに続いたのは、バスケとカメラくらい!
そこで出会うのが、"日常写真"というジャンルです。
日常の何を残すの?と初めはピンときませんでしたが、

日常の一コマを記録すると片隅に意識をおいておくと、目まぐるしい毎日の中でも
これだ!の瞬間を流さずにシャッターを切ることができて(もちろんそれどころではない日も多々ありますw)

自分はどんな瞬間を残したいんだろう?と日常の中に目を向けてみることができます

トップの写真は
私が体調不良で寝込んでいた時に、長男が剥いてくれたみかん🍊です
長男の優しさと、その時の感謝を忘れたくない気持ちで、顔をなんとか起こして撮りました

そして、スキ!の瞬間を写真におさめることを繰り返していくと、
自分がどんなものが好きで、どんな景色が好きで、どんな出来事が好きで、どんな仕草や顔が好きなのかと
自分を知るきっかけになります

"心が動くもの"って、意識を向けないと
わからなくなっていたんだなぁと写真を通して気がつくことができました。

自分の好きがわからない人もいれば、わからないことに気付いていない人もいるし、それって淋しい感じがしませんか?
わからなくなることで起こることってなんだろう?と考えると、

心動いていたものが
"当たり前"になっていくのではないかな?と
思います。

その時の空気、ストーリー、会話まで閉じ込めるような日常を記録に残すことは、
今ある日常が当たり前の景色ではないことに気が付き、さらに愛おしく大切に感じられるものです。

それを通して内観することは、
自分の生き方に向き合う第一歩
自分の死生観というものを持つきっかけになると思います。
私が写真を通して伝えたいところはここにあります。

コロナ騒動の中で
感染症にかからないことが最重要とされて
誰しも限られた時間であることは忘れ
楽しみも我慢して
会いたい人に会わず
行きたいところに行かず
顔を見せないコミュニケーションを4年やり
このまま死んでも後悔しない選択だったの?
と思います。
なんのために生きているの?と思います。

このような社会になったのは
明日も当たり前にくる、いつかできると思って今を大切にできていない人が多いこと
だと思っています。

だから、私は写真を通して
自分の暮らし、生き方、死に方に目を向ける人を増やしていきたいです。

それが私が写真を撮る理由です。

そんな私を選んでくださる方
ご依頼お待ちしております😊






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