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死に向かって生きている

4日も空いちゃった!
昔の私なら、やっぱり続かない自分に嫌になって書く気がさらになくなっていくんやけど、自分の気分も大事にできるようになってきた

朝活も、夜勤や生理でリズムが崩れたら、そのままダラダラいっちゃうんやけど、布団の中で起きてるならいいっしょって、ゆるりな自分にオッケー出して頑張ってるわ〜

おはようございます☀

一つ前に投稿した患者さんは

孫の面会許可が出ていました
(なぞの15分面会とかはあるけどね)
家族が付き添いもされているみたいで
1人で亡くなっていくという状況は
免れたようで、良かったです

"特別面会許可"に思うことはありますがね

私が"死生観"に向き合い始めたのは
看護師15年歴なのに、最近のことなんですよね…。

コロナをきっかけにようやくです。

4年前、謎のウイルスに日本中が怯えて
人との接触、関わりを避けて
ウイルスから自分と周りを守らなければならないということが第一優先にされてきました

わたしも、医療従事者やし自分が感染したらえらいことだとちゃんと怖がり、出かけなかったし、後輩の結婚式も直前に断ってしまったんです

一生に一度の晴れ姿よりも、感染や世間体を気にしていました。

"人はいつ死ぬかわからない"
ということを、全く自覚していませんでした

日本の多くの人が、そうだったと思う。
会いたい人に会いにいくことを遠慮し、それがその人への思いやりであり、仕方ないことと認識していて、
そうしない人に対して不満を抱き、対話ができず分断していきました。

最後に見せた顔がマスク姿だったら?
会わずにそのまま死んでしまったら?
いつか行きたいねと言いながら、叶わなかったら?


全てのことが今しかない瞬間なのに
当たり前にくる日常だと思っていたことに、だんだん気付かされていきました。

自粛や顔の見えないコミュニケーション、面会制限、亡くなった時でも納体袋からの対面や触れられないなど

守りまくっていました

感染者数とか目に見える数字(上乗せ数字やけど)にばかり怯えて、
目に見えないものへの軽視がえぐかったですよね。

前ブログに書いたように、
この対策、価値観が正しい、みんながしてるからしよう、仕方がない
となってしまったことが

死に目に会えないくていい
と容認することになってしまうことなんだと
理解して、これからどうするか?
どう生きて、どう死んでいく??
って向き合う人が増えなきゃいけないなと
思います

これが、私が死生観を考える、死生観を持つ人を増やしたいと思うきっかけでした

死に向かって生きている

これを自覚して、毎日過ごしていられたら
見える世界も、人との関わりも、捉え方も
全然違うとわかりつつ、
実際は、家族だからと甘えて酷いことを言って後悔したり、やりたいと思いながら行動が遅かったり、まだまだできてない私なので
いつ死んでもいいぜー!って思いながら生きる
こんな生き方をしたい、こんな生き様を見せるぞ!!と思っているところです

そして、私の創りたい空間や写真活動へと繋がっていきます

またblogに書きます!




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