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流れ星の正体-救うのではなく掬う-

こんにちはイチニシチです!
またもや番外編です!
本編は、似たようなこと書いてる人が多いのでとても書きづらいなと思っています。というわけで気楽に番外編いきます。

今回は歌詞に関して思ったことですね。
パンプの流れ星の正体の歌詞です。

情報のソースとかはあんまり正確には覚えてないので、うろ覚えのソースには頼りすぎず、ただ思ったこと書いてきます。

ひとりにせずに掬えるように

君が未来に零す涙が
地球に吸い込まれて消える前に
ひとりにせずに掬えるように
旅立った唄 間に合うように
BUMP OF CHICKEN「流れ星の正体」

これが今回注目する歌詞です。2番のサビの部分。
「掬えるように」と歌っています。

何かのインタビューで(多分CUTかロッキングオンジャパンあたりです)言ってたのですが、
「救う」のではなく「掬う」というのは意識していたみたいです。

他の曲でも…

パンプの曲ではこういった観点はずっと意識されてると思います。

あー僕らは
寂しい雨の日に
君の横で
うるさい音を
優しく鳴らす
へなちょこの四人組
BUMP OF CHICKENのテーマ

あくまで「君の横で」音を鳴らしています。

お訪ねします
この辺りで ついさっき
涙の落ちる音が聴こえた気がして
駆けつけたんだけど
誰の涙かな
そういや君は ずいぶん赤い眼をしてるね
ええと、うん、そうだ!
いくつかの物語をプレゼントしてあげる
ちゃんと読んでおく事、いいね?
それじゃ、また、後で
Opening/プレゼント

涙の落ちる音を聞いて現れたこの人ですが、
結局最後になっても、物語をプレゼントして、
その住人たちは味方だよ、と伝えて去っていきます。

そこで涙をこぼしても
誰も気づかない 何も変わらない
少しでもそばに 来れるかい?
すぐに手を掴んでやる
メロディーフラッグ

誰も気づかない涙を零す人の手をすぐに掴んでやると言っています。

やかましく泣き喚いたりもせず
必死に寄り添ってる
beautiful glider

特に大きく干渉するわけではなくとも
必死に見守っています。

涙には 意味があっても
言葉に直せない 場合も多くて
こぼれたら 受け止めるよ
そうすればなぜか ちゃんとわかるから
spica

涙が零れたら受け止めにいってます。

共通するスタンス

他にも似たような描写は多々ありますが
涙は受け止めに行く。
しかし、あくまでそばで寄り添うのに徹する

悲しんでいる人がいたら近づいて声をかけに行くが、直接救済する、というよりは立ち上がれるように応援する、といったスタンスです。

涙を受け止めに行くときは、
鉄パイプもって窓を割ったり
逃げ込んだ檻の隙間から引きずり出したり
結構強引です。

でも、涙を受け止めて、
そのあとは、ただ寄り添って応援する、
というスタンスを取りがちなのです。

このあたりはよくライブのMCでも言ってるようなスタンスな気がします。

あくまで僕らの音楽は主役じゃなくてBGMであってほしい、とか
もう笑えねえって日が来たときに、俺らの音楽を聞いてくれ、なんて無責任なことは言えないけど、そんな日でも、絶対に俺らの音楽は君のそばにいるから、とか
そんなようなことを言っていた気がします。うろ覚えですが。(このあたりのMC超カッコいいですよね笑)

こういったスタンスは、総じて、
涙を「救う」のではなく「掬う」スタンス
と呼ぶことができます。

「救う」と「掬う」

「救う」と「掬う」にはどういう違いがあるでしょうか?
個人的には他者との関係性の違いが大きいと思っています。

「救う」は依存的であり、
「掬う」は自立的であるという違いです。

「救う」は、上の方から、何か圧倒的な力で、現状がひっくり返る、ヒーローに窮地をひっくり返してもらうイメージです。
あくまで圧倒的な力に頼り切って、
一方的に寄りかかってるイメージです。

「掬う」は、最低限、死なないように、
受け止めてもらうイメージです。
そしてそのあと立ち上がるのは
自力となるので、
自立の補助というイメージです。

涙を受け止めるイメージの違いに関しては
「救う」は力強く
「掬う」はひとりにしない、寄り添う、
といったイメージでしょうか。
正直ここのイメージはあくまでイメージで、お互いの要素が混ざり合うこともあると思います

掬えるように

さて、純粋に力強く「掬う」ってめっちゃカッコいい考え方だな〜と思いますが、

人と関わる上で「掬う」スタンスは
とても重要に思えます。

特に長い目で見れば。

「救う」ことばかりしてしまうと、
「救う」ときに生じる依存の関係はいつまでも続くとは限らず、その人が長い目で見て良い方向に向かう可能性は下がります。

これは悲しみに暮れているときに限らず、
教育や人材育成のときも同様で、
その人が困っていて、直接救済しても、
長期的に良い方向に向かうわけではありません

世の中にあらゆる意味で困っている人はいて
その多くの涙が地球に吸い込まれて消えていると思います。

そんなとき本当にその人が良い方向に向かえるように、
涙を「救う」のではなく「掬う」人でありたいものですね。

補足〜ひとりにせずに〜

「救う」と「掬う」の違いを
他者との依存関係の違いから述べましたが

依存関係以外にも
他者の立ち位置の違いがあると思います。

「救う」は上から手を差し伸べるイメージ
「掬う」は横で寄り添ってくれるイメージ

そういう違いがあると思います。

「救う」には現状の課題を外側から違う立場で解決するイメージがあり、距離感は少しありますが、

「掬う」は寄り添ってくれて、
孤独じゃない、ということを印象づけてくれるイメージがあります。

やっぱり「掬う」ができる人になりたいですね



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