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オタクに優しくしないといけない刻印を刻まれたギャル

 アタシはでろが。高校二年生、青春真っ只中のギャルである。そして、アタシはオタクが嫌いだ。


――――――


 ドンッ


「・・・・・・・・・・・・ぃってーな。前見て歩けキモオタ!」

「あ、ご、ご、ごめん!!」

 アタシにぶつかってきたオタクは、逃げるように廊下を去って行った。

「はぁ・・・・・・キッショ。あいつ、同じクラスのまつとか言ったか・・・・・・?」

 教室に入ると、やかましい喧噪がアタシを包んだ。

 自分の席に座り、頬杖をついて教室の空気を味わう。共学だからこそ味わえる、青春の空気だ。しかし、サイコーにハッピーな空気をよどませる、ゴミのような存在が混じっている。そう、教室の隅に固まるオタクである。

「キャルやばいよなw 殴りたいw」「殴るのは馬鹿だって。手が汚れるだろ」「そんなら俺は馬鹿でいい!」「やばいですね☆」「ここでペコリ―ヌは笑うwww」

 全く何を言っているのか分からないが、どうせ美少女の話だろう。アニメやゲームに夢中で、周りにいる女子なんて眼中にないかのように群れている。不潔。そのくせ、いざ自分に気があるかも知れないと錯覚するとあいつらは鼻息を荒くして近づいてくる。キモすぎ。さらにタチの悪いことに、自分からは積極的にアプローチしようとしないのだ。逃げて逃げて逃げ続けているくせに、期待だけはするゴミクズ。恋愛なんかよりもアニメ、青春なんかよりもゲーム。しかし家に帰れば女でオナニー。あいつらのそういう態度が、アタシをイラつかせる。

   そして、何より気にいらないのが―――

「ギャルはオタクに優しいって最初に言ったやつ、ぜって―ぶっ殺す・・・・・・」

 ―――最近流行りだしたこの迷信である。何でも小馬鹿にするオタクの習性だろうが、アタシたちギャルの品性が疑われるような迷信を流して何が楽しいのだろうか? ギャルがオタクに優しくするわけがないだろう。キモオタはキモオタらしくアニメでも見て、現実を楽しむアタシたちには関わらないで欲しい。

 クイっ

「でろが、茶髪にしたんだ~!」

 その時、アタシのポニーテールが軽く後ろに引っ張られた。見上げると、ダチのえだまめがニヤニヤと笑っている。

「そういうアンタは金髪ロングか。夏休み明けだからって、はっちゃけすぎじゃね?」

 えだまめは制服を着崩し、浅黒い太ももを惜しげもなく露出していた。ちなみにアタシも同じような格好である。

「まあネ。つーかでろが、なんかイラついてね?」

「ああ、ちょっとオタクにね・・・・・・」

「でろが、ホントにオタク嫌いだよねー」

 ちょうどその時、教室の後ろからまつが入ってきた。背筋は自身なさげに曲がり、視線はキョロキョロとおぼつかない。まつはオタクの中でも特に浮いて見えた。

「ああ・・・・・・。本当にキライ」


――――――


 帰り道。通学路は夕焼けに染まっている。

「あー、バイトだりぃ・・・・・・」

 バイトのせいで放課後のダベりに参加できなかった。一人きりで帰宅するなんてギャルらしくない。サイアクだ。

「ん?」

 だらだら歩いていると、橋の上に怪しい男が立っていた。ネズミ色のパーカーを着て、フードを目深に被っている。

「ボクサーかよ・・・・・・」

 一応、少し距離をとってすれ違う。周りに人はおらず、非常に気味が悪い。

 刹那。


 風が、吹いた。


 ガッッッッッ!!!!!!!!


 かすむような速度でアタシの懐に入り込んだ男が、腹に掌底を叩き込んでいた。

「ゴフッ・・・・・・!」

 一瞬で空気を吐き出してしまい、息を吸うことができない。意識が明滅し、思考することもままならない。

『お前の一番嫌いなものに、優しくしなければならない呪いだ』

 耳元で囁かれる、作ったような男の声。顔は見えない。

   ドサリ、と。

 膝から崩れ落ちるアタシを置いて、立ち去る男。

   視界が白く染まっていく。世界が霞んでいく。

(一番嫌いなものに、優しくしないといけない呪い・・・・・・?)

   アタシの一番嫌いなもの。それは―――

「オタクじゃん・・・・・・」

 気づくと同時に、アタシは意識を手放した。


――――――


   目を開けると、自分の部屋の天井だった。

   ゆっくりと体を起こして状況を確認する。

「あれ・・・・・・? アタシ、橋の上で倒れて・・・・・・」

   しかし、今アタシがいるのは自分の部屋のベッドの上だ。悪い夢でも見ていたのだろうか?

(オタクに優しくしないといけない呪い・・・・・・)

   記憶も問題ない。夢の内容も覚えている。

   念のため、部屋の鏡でお腹をチェックしてみる。すると、そこには―――

「なんだこれ・・・・・・タトゥー?」

   ―――黒い、ハート型の刻印が刻まれていた


――――――


   それから、何事もなかったかのように日々が過ぎた。

   ギャル友達とダベり、チャラ男たちとカラオケに行き、適当に授業を受け、時にはサボり、プリクラを撮った。何も変わらないギャルの日常。

   しかし、一つだけ変わったことが―――

「あ、はい、でろがちゃん。これ、次の巻」

「お、サンキューまつ!」

 そう、オタクと交流するようになったのだ。特にまつとは良く絡むようになり、今ではラノベを貸し借りする仲だ。

(アタシ、今でもオタクが気に入らない。あいつらの生き方は、アタシとはまるで違うから・・・・・)

 ・・・・・・好きじゃない。けど―――

 机の引き出しに借りた『新妹魔王の契約者8』をしまいながら、教室の隅に固まったオタクの集団を流し見る。

「Fateの映画やばかったよな!」「ああ、あれはマジでやばい」「やばいですね☆」「宝石剣のシーン好きだわー」

 ―――憎めない。

 彼らが何について話しているかが分かり、すぐにでも会話に参加したくなる。アニメやゲームに夢中で、アタシみたいな女子がいったら迷惑かなと思ってしまう。寂しい。でも、純粋そうだから少し話しかけたらアタシのこと好きになっちゃうのかな。かわいい。女の子に慣れてなくて、奥手なのがオタクのいいところだ。ヤることしか考えてないヤリチン男なんてこの世のクズだ。恋愛なんかよりもアニメ、青春なんかよりもゲーム、なんて素晴らしい生き方だろう。恋愛なんかに囚われず、青春なんかに固執せず、自分の生き方を貫く。あいつらのそういう態度に、アタシは憧れずにはいられない。

「なんかでろが、オタクを見る目変わったよねー」

「まあね」

 机に腰掛けてきたえだまめにテキトーに返しながら、考える。

 アタシがオタクを憎めなくなったのは、今もお腹にあるハート型のタトゥーのせいなのだろうか? これが消えたらまたオタクが気持ち悪くなってしまうのだろうか?

「なあ、えだまめ。真実の愛ってなんだと思う?」

「何その質問w   あんた、結構色々考えてるタイプのギャルだよねー」

「・・・・・・・・・・・・」

   この気持ちは、価値観は、あの男に植え付けられた幻想なのだろうか? しかし、考えれば考えるほど、昔のオタクへの偏見が間違っていて、今のアタシの考えのほうが正しい気がしてくる。

「ああ、もう分かんない! アタシはやりたいようにやるよ! ギャルだし!!」

 えだまめを残して、駆ける。

「なあ、アタシも混ぜてくれよ!! アタシもFate見たんだ!」

 言うと、オタクたちは少し驚いたあと、快く会話に混ぜてくれた。


――――――


 季節は過ぎ。

 文化祭―――クラスのみんながやりたがらない仕事をオタクたちが必死にやってくれて、マニアックな展示は来校客に大好評だった。アタシも手伝って良かったと思った。

 中間考査―――勉強が苦手なアタシに、オタクたちが集まって教えてくれた。偉人をモチーフにしたアニメを見たおかげで、歴史だけはスルスルと入ってきた。

 期末考査―――オタクたちのおかげでアタシは赤点を一つもとらず、ママが泣いて喜んでくれた。お礼として、一番世話を焼いてくれたまつを買い物に連れてってやった。少しはイケてるファッションになったんじゃないだろうか。プリも撮った。

 冬休み―――まつと二人で冬コミってやつに行った。まつは優しく冬コミの作法を教えてくれて、大満足で買い物をすることができた。まつの優しさはあったかくて、アタシはだんだんまつのことを考える時間が多くなっていった。

 そして、一月。

   冬休みが明けて少し経ったころ、事件は起きた。


――――――


 朝。

 いつものように教室のドアを開けると、笑い声が聞こえてきた。

 クスクス。クスクス。クスクス。

 普段のような明るい笑い声ではない。人を馬鹿にし、貶め、嘲笑うような嫌な笑い声。クラス中から響く不協和音。

(なんだ・・・・・・・・・・・・?)

 それもどうやら、教室に入ってきたアタシを見て笑っているようだった。コソコソ、チラチラ、ニヤニヤ。クラスに漂う異様な空気が、明確な意思をもってアタシに向けられている。

 ふと。

 黒板を見ると、相合い傘の落書き。

 中に二つの名前が書いてあった。

 ―――まつ。でろが。

(―――なんだよこれ!!!!)

「っ小学生かよお前ら!!!!」

 アタシは黒板消しを取ると、鞄も置かずに消した。消して、消して、消し尽くした。

 クスクス。クスクス。クスクス。

 背中から聞こえる笑い声は、アタシが必死に消すほど大きくなった。黒板の落書きは相合い傘だけでなく、周りに『電動射精装置』や『妊娠適齢期』といったいわれのない誹謗中傷も書いてあった。

(誰だ・・・・・・!!! 誰だよ・・・・・・!! 誰がこんなこと・・・・・・!!!)

 その時。

「おーおー、今日の日直はまつだぞ? やっぱギャルはオタクくんに優しいなぁ、でろがァ?」

 振り返ると、窓際の席にふんぞり返って座るチャラチャラした男。周りをニヤニヤと笑う不良っぽい男女が囲んでいる。あいつは―――

「こいしーむ!!? お前がこんな子どもっぽいことしたのかよ!!?」

 ―――元カレの、こいしーむだった。

 アタシが叫ぶと、こいしーむはニヤニヤと笑う。

「知らねえなあ? あっちのオタクくんたちじゃねえの?」

 見ると、教室の隅にいつものオタクたち。アタシを心配するような表情を浮かべているが、こいしーむが怖くて何も言えないのだろう。

「でろがァ、最近付き合い悪いよなぁ? キモオタのまつとヤリまくってるらしいけど、たまには俺とも遊んでくれよぉ。まつなんて、オタクの中でも浮いてるオタクだぜぇ?」

「おい、こいしーむ!! 恥ずかしいことやってんじゃねえよ!!」

「黙れよ豆やろう!!   お前こそ、今どき黒ギャルなんかやってて恥ずかしくねえのかぁ?」

「くっ・・・・・・」

 ギャル友達すら、教室の空気を支配するこいしーむには逆らえない。

 こいしーむは席を立つと、黒板の前に立つアタシに近づいてくる。

 クスクス。クスクス。クスクス。

 嘲笑は、全てアタシに向けられている。クラスの大半がこいしーむの味方。チャラチャラと、ニヤニヤと、ギャルとオタクという物珍しいカップリングを作って馬鹿にして楽しんでいる。

「また前みたいに股開いてくれよぉ。お前は時代遅れのギャルだけど、胸だけは最高だったなぁ。今ここで揉んでやろうか?」

 アタシに伸びる、手。ガッシリとした、男の手。

 アハハハハハハハハ!!!!! アハハハハハハハハ!!!!!

 嘲笑は、爆笑に変わっていた。アタシが辱められるその瞬間は、彼らにとってはショーのようなものなのだろう。青春が詰まっている。そう思っていた教室は、牢獄になっていた。

「~~~~~~~!!!!」

 逃げる。教室の出口に走って逃げる。こんな場所、嫌だ。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

(誰か、助けて・・・・・・!!)


 ドンッ


 教室の出口、誰かに、ぶつかった。

 意思の籠もった、鋭い瞳。

「ごめんね、でろがちゃん。すぐ、終わるから」


 風が、吹いた。

 

 その男はかすむような速度でこいしーむの懐に入り込み、腹に掌底を叩き込んだ。

「ゴフッ・・・・・・!」

 倒れ込むこいしーむ。一瞬で空気を吐き出してしまい、息を吸うことすら苦しそうだ。

 既視感。

 意識を失うこいしーむ。

 ゆっくりと、こいしーむに掌底を叩き込んだ男が振り向く。

「このあと、屋上に来てよ。話したいことがあるんだ」


 その男は、まつだった。


――――――


 風が吹いている。

 アタシが屋上の扉を開けると、一人の男が後ろ向きに柵に腰掛けていた。少しでも強風が吹けば、下に真っ逆さまだろう。この校舎はあまり高くはないが、落ちれば確実に死ぬ高さだ。

「よお、まつ。そんなとこいると落ちちまうぞ?」

 声をかけると、振り返りもせずに男は答えた。

「でろがちゃんは、もう気づいてるんでしょ? 僕が君に、刻印を刻みつけた犯人なんだって」

「・・・・・・・・・・・・」

 風が通り抜けるような移動速度。目にも止まらぬ掌底。

 否定など、できない。

 まつは、アタシにオタクに優しくしないといけない刻印を刻んだ張本人だった。

「すごいじゃねえか、まつ。お前、あんなに運動神経良かったんだな」

「・・・・・・聞かないの? なんであんなひどいことをしたのか」

「ああ、あのハートのタトゥーか? あれ、結構イカしてるよな」

「どうして・・・・・・。どうして・・・・・・君は・・・・・・」

「ん? どうしたんだ、まつ?」


「『いい加減にしろよ!!!!!!!!!!』」

 

 まつはこちらを振り返り、叫んだ。

「僕を責めろよ!!! なんてことしてくれたんだこのキモオタがって責めろよ!!! 良い子ぶってんじゃねえよ!! 僕は、君が気に入らなかったんだ!!!!   オタクを見下して、チャライ男とヤリまくって、現実を楽しんでいることを自慢してるみたいだった!!!!!」

「・・・・・・だから。だから、アタシに刻印を?」

「ああ、そうだよ。愉快だったね、オタクを一番嫌っていた君が、オタクにどんどん優しくなっていく姿は。二度と消えない刻印を刻まれて、君がどんどん僕に惚れていく姿は!!  ・・・・・・僕の力はさ、生まれつきなんだ。掌底を食らわせるだけで、たったそれだけで、人の価値観をひっくり返しちゃうんだ。一回食らわしたらそいつは、もうそいつじゃなくなるんだ。僕はもう、何人もの人間を作り替えてきた。・・・・・・僕にはもう、三次元の人間と関わる資格なんてなかった。でも、オタクを馬鹿にする君を見ていたら、久しぶりに遊びたくなったんだ!!」

「じゃあなんで、さっきあたしを助けたんだ?   こいしーむなんてほっといて、知らない顔をしていればよかったのに。そしたらもうちょっと遊べただろ?」

 ゆっくりと、まつに近づいていく。

「勘違いすんじゃねえよ!! あんなの気まぐれだ!!!   僕はただ、楽しかったんだ!! ギャルはオタクに優しいって言うけど、お前はちっとも僕に優しくなかった!! 馬鹿にしていた!!! 上から目線の女を屈服させて、僕に惚れさせてやりたかっただけなんだ!!!!」

 ゆっくりと。

「おい、来るなら来いよ!!! なにノロノロ近づいて来てんだこのビッチ女!!!! さっさと憎んで走って駆けて僕を蹴り落とせよ!!!! 僕はそうされて当然の人間なんだ!!!!」

 近づいていく。

「ああ、楽しみだなあ!!! 生まれ変わったら、こんな能力のない体になれるんだ!! 僕は普通の人間になって、何の罪も負わず、友達もできて、恋をして、ちゃんと死ねるんだ!!! 楽しみだなあ!!!!」

   風が、吹いた。


「じゃあさ、なんで泣いてんだ?」


 抱きしめる。

 まつの苦しみを、悲しみを、全て癒やしてあげられるように。

 優しさで、包んであげられるように。

「あ・・・・・・・・・・・・」

 まつの瞳から次から次へと涙がこぼれ、アタシの肩を濡らす。

「まつのこと、ちゃんと分かってあげられなくてごめんな? もうボロボロで、壊れそうだったのに、気づいてあげられなくてごめんな?」

「ぅ・・・・・・」

「アタシ、あんたに出会えて良かったよ。刻印?ってやつを刻んでもらえて良かったよ。オタクって、面白いんだな。美少女だけが目当てなんだって勘違いしてたよ。そこには色々なアニメがあって。熱いバトルも、別れの悲しみも、恋の甘酸っぱさも、出会いの苦しみも。アニメ見なきゃ、アタシには一生分からなかったことだ」

「ぅう・・・・・・」

「ああ、ゲームもしたっけ? 二人で買い物したとき、一緒にゲーセン行ったよな。お前、音ゲーってやつめっちゃうまくてビックリしたよ。あ、そういえば、お前にラノベも借りてたんだ。お前が死んだら、誰に返せば良いんだ? あんなエロいやつ、誰にも見せらんねえよ」

「う・・・・・・ぐっう・・・・・・うぅ・・・・・・えっぐ・・・・・・」

「タトゥーがなんだよ。刻印がなんだよ。水くせえな。アタシたちが過ごした時間は偽物だったのか? お前はずっと嘘をついてたってのか? いいや、違うね。あのときの時間は、間違いなく本物だった。それでいいんだよ」

「ぁ……ぅう・・・・・・グスッ・・・・・・・・・・・・」

「アタシも悪かったよ。お前たちオタクに偏見をもって接してた。ぶっちゃけお前のしたことより、アタシのしてたことの方がひどかったと思うぜ? まあ、なんつーか、だからよ。おあいこってことだ。ありがとうと、ごめんなさいってことだ。つまり、アタシの言いたいことは一つだけ」

「・・・・・・・・・・・・」



「アタシは、まつのことが、好きだ」



「うああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 まつは、泣きじゃくってアタシに抱きついてきた。

「ごめん!!!! ごめんでろがちゃん!!! ごめん!!!!!! 僕も!!!! 僕も君のことが好きだ!!!!」

「よしよし・・・・・・よくがんばったな・・・・・・」

 なでると、まつの髪の毛はサラサラだった。指通りがよくて、心地いい。

(やれやれ、これで一件落着か・・・・・・・・・・・・)

   まつの手をとって、屋上の柵から降ろそうとした、その時。


   強い風が、吹いた。

   そこから見えたのは、スローモーションのような光景。

   風に煽られ、後ろに倒れるまつ。必死に足を掴もうとするが、ギリギリ届かないあたしの手。

   まつの体が反転し、見えなくなる、その寸前で。

 お腹に痛みを感じた。

 さあ、お前はどうする? とでも言うように。

 偽物のために死ねるのか? とでも問うように。

(アタシはギャルで、あいつはオタク。本当だったら、関わることなんてなかった。あいつが刻印を刻まなかったら、アイツのことなんて気持ち悪いと思い続けていただろう。今だって、ヨユーで見捨てることだろう。でも・・・・・・)


   ―――それでも、今は。


「お前のことが、好きだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」

 決断は一瞬。

   アタシは柵を飛び越え、空中へ飛び出した。

   ―――世界が流転する。


 

 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!

 落ちる。墜ちる。墜落する。

 まつの足を掴み、二人一緒に墜ちていく。

 校舎の屋上から地面までなんて、飛び降りたらほんの一瞬。あっという間に墜落死だろう。

 ゴオオオオオオオオッッ!!

 目が痛くてつぶってしまう。風切り音がこれでもかというほどアタシの耳朶を揺らす。本当にこれで良かったのかと問うように。死への警告を発しているかのように。

(良かったんだ・・・・・・これで・・・・・・)

 もうすぐ地面だろうか? そう思って目を開けたとき。

 見えたものは―――

(ああ、これもまつの・・・・・・・・・・・・)


 ドスンッ!!



――――――


 


   アタシたちは、巨大なマットの上に落ちていた。

 まつと顔を見合わせていると、上から声が響く。

「ったく・・・・・・飛び降りるのはやりすぎだろぉ・・・・・・」

 こいしーむだった。

 周りには、こいしーむの仲間たち。飛び降りようとしているまつを見て、体育倉庫から体操用の分厚いマットを持ってきてくれたのだろう。

「ありがとな、こいしーむ。でも、なんでこんなことを?」

「ああ・・・・・・なんか、憎めなくてなぁ・・・・・・」

 

   アタシが聞くとこいしーむは、まつの方を向いて答えた。


――――――


 風が吹いている。

 

   ふと気になって、自分のお腹を覗き込むと――

 

 ―――アタシのお腹には、もう何もなかった。


                   おわり

   




 


 


 


 

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