「何度目の自分探しの旅なんだ」という父の問い

ちょうど1ヶ月前の兄の結婚式のあと、わたしは両親に「来月から1ヶ月間キプロス島というところに行く」と伝えた。

社会人になって2度目の退職以降は、わたしがどこで何をしているかまったく伝えて来なかった。なぜなら心配させるだけであることが、容易に想像ついていたからである。前職のかき氷屋のことも一言も話したことがないし、前々職のITベンチャーもそうだ。

仲が悪いとか、連絡をまったくとらないとか、まったく会う機会がなかったわけではなく、自分ですら堂々と胸を張って意気揚々と人生の駒を進めている自信がなかったから、親だって心配するのは目に見えていたというだけである。だから、特に仕事のことは話さなかったけれど、ちゃんと働いていて生活できているということと、元気な体があることだけは、しっかり伝えていこうと思っていた。

しかし1ヶ月間日本を離れるとなると、その間に冠婚葬祭が入ったりとか、犬の世話を頼まれたりとか、何かあるかもしれないと思い、久しぶりに伝えてみた。キプロスで何をするだとか、どういう経緯だとか、そういうのはこれまでもそうだが話せてこなかったので、ただ、行くことだけを伝えてみた。

すると父は言った。「何度目の自分探しの旅なのだ」と。

冗談混じりな言い方だった。でも、もちろん嬉しくないし、悲しくもないけれど、悔しいというか切ないというか、そういう気持ちになった。

自分探しなどしたって意味のないことは、よく分かっているつもりだ。社会学的には、他人を通してしか自分を認識できないと言われているし、自分は日々変化し、探すものでも見つかるものでもないと思う。それに、わたしは自分探しに来たわけではない、と心の中では思っているのだ。他人からはどう見えようと、わたしはそう思っている。

探しても意味のないことは分かっている。だけれども、ただ、正直に生きたいのだ。なんか違うなと思いながら、人生を進めていきたくないと、いまは思ってしまうのだ。これが20代の悪足掻きならばそれでもいい。20代らしく生きてるではないかと、逆に誇りに思えるではないか。


デザイナーというわたしが世界で一番かっこいいという職業、わたしには向いているのか向いていないのか分からないけれど、片足をつっこめているおかげで、こうして日本の反対側にいても少しばかり仕事はできるし、会社を辞めたって生きていくことはできるから、デザイナーには感謝している。このままじゃ、デザイナーとしてはデザイナーに失礼なレベルだから悔しいけれど。

どうして日本のwebデザイナーはこうも地位が低いのか。建築だって、なんだって、指示できるものを作る方が力があったりするのに、どうしてwebだけはこうも地位が低いのだろうかと本当に疑問でならない。デザイナーは好きなのに、人に指示されてその通りに動いたりすることが嫌いすぎて、やる気が削がれすぎて、それゆえデザイナーをやっていると精神が安定しないのだ。

必ず肩書きをつけなければならないと言われたら、わたしは間違いなくなんちゃらデザイナーを選びたいと思う(まだ知識が浅すぎて恐縮だが、UXデザイナーかな)。そうすれば自分で自分を誇れるし、デザイン(専ら人の行動や感情を考えることが好き)を考えている時間は楽しい。だけれど、ひとつだけ職種なんか選ばなくてよくて、誰かが作った何かに真剣に時間を割かれる必要がないならば、もっと違うことがやりたいよ。




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