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大学院で研究しながら受験勉強してた日々のこと

こんにちは。バトルフェイス木村です。
記憶はいつか美化され、風化し忘れる。
合格してしまえばすべてを美しく書き出し兼ねないので、今のうちにすべてを記録しておこうと思います。きょうは大学院に通いながら受験勉強を敢行していた話です。時間をどうマネージできたか/できなかったかを書きます。23年6月からのおよそ30週間について。


この一年間やってたこと


・受験勉強
23年4月から、本格化したのは6月から。
・研究
23年内まで。24年1月以降は休止。計算科学に近い研究でした。
・事業
プライベートにかなり関わるため極力ボカすが、1年間継続。共通テスト3日前まで。
・アルバイト
事業だけでは足りなかった苦しい期間があり、小学生に国語を教えたり、コンビニでレジ打ちしたりしたいました。国語を教えるバイトはやめず、レジ打ちは23年6月まで。

1日のルーティーン(研究ある日)

朝9時
起床。大学院の研究室へ。研究室で朝食らしいものを摂りつつ研究。論文精読など。
朝10時〜昼15時 
大学院の講義へ。空き時間はラウンジや教室で課題を優先的に潰して、残り受験勉強。内職は先生には申し訳ないけどずっとしてて、暗記科目をまとめることに終始していた。数学とかは頭に入ってこないので、早々に辞めた。
昼15時〜18時
大学院のデスクでシミュレーション回して待ち時間に勉強。同期が研究室にたくさんいる時間帯なので、研究になるべく励む。
夕方18時〜21時
教授や同期が一時帰宅したりもうそのまま帰る時間なので研究室から人がいなくなる隙間の時間。数学や化学など理数の勉強に没頭する。
夜21時〜1時,2時
教授が帰ってきてもうひと頑張りしたり、夜型の留学生が来るため研究に切り替え。研究しているアピールにもなるし、この時間はみんな研究をラフに楽しんでいる時間なので、意見交換もできて論文や研究が進む。気が済むまで論文を読んだりコーディングしたりしていました。研究室に寝袋を持ち込んでいたので寝るか、気合でバイクを出して一旦家に帰るか。そしてまた朝九時半にはやってくるという生活でした。

1日のルーティーン(研究ない日)


朝6時半 
早朝ラン
朝7時半ー朝9時
喫茶店
朝10時ー気が済むまで
関大図書館で勉強
気の良い友達が関大にいたので、よく関大で勉強して昼を一緒に食べてました。それ以外は関大の広い図書館で勉強して、飽きたら周りを散歩したりスタバに行ったりしてました。
概ね12時間机に座って10時間を勉強に切り出し、そのうちの60%を数学に、残りを20%:15%:5%の比率で化学、物理、英語と分配していました。
1時までに絶対就寝

しかしこんな贅沢な時間の使い方ができる日は週に2日もあれば良い方で、あまりこういう日はなかったと思います。平均して週の勉強時間は40時間程度だった気がします。

1年間の時間の使い方

2023年
3月
大学卒業。中東からヨーロッパまで1ヶ月間バックパックひとつで旅行。前々から格差による命の選別に課題を感じており、医学部に行きたくなる。
4月 
大学院入学。研究は研究で進められるところまでやりきりたかったため、とりあえず研究に専念。数学と英文法、英熟語、化学だけ勉強する。
5月 
1回目の模試に向けて1週間だけとにかく受験勉強に専念。ここで地方医C判定とかなら受験はやめようと考えていた。残りの時間は研究。
6月 
1回目の学会と論文執筆。学会があるためほとんどの時間研究に割り当てる。模試の結果が返ってきたため望みありと判断。バイタルを上げて死ぬ気で時間を切り出し受験勉強する。
7月 
2回目の学会。しかも中国で実施。大学院の期末試験。ほとんど受験勉強できなかった。
8月
大学院の期末試験も全て終わり、一旦受験に専念できる。河合の夏期講習にも参加し、死ぬ気で受験勉強する。神戸にしばらく住む。
9月
夏休み継続中。ここで一度目の息切れが来る。勉強すれどもすれども数学の成績が偏差値63で止まる。手持ちの参考書も撃ち尽くし、迷走。タイガースの優勝が決まり、勉強どころではなくなる。
10月
大学院再開。授業は1単位のみ取ることとして、基本は受験に専念。コードを書くのはリモートでもできるため、うまくやりくりしながらリモートで研究を継続。石川県にしばらく移り住む。
11月
研究を少しずつ減速させ、担当教員にも博士課程には行かないことを正式に伝える。就活でM1が離脱する頃なのであまり研究室に行かずともとやかく言われることなく、フェードアウト。受験一本化。
12月ー1月
完全に受験に専念。集中力のピークを1/13に迎えるために、12月前半は沖縄に飛んでゆっくりと国語社会科目の暗記に努め、12月後半から鬼のように勉強。新年には24時間勉強配信も行った。共通テスト一週間前までは減速し、体調管理に努めた。
共通テスト後ー2月
自分の事業に忙殺され、最も大事な受験期に受験に専念できなかった。出願の書類や手続きにもかなり時間を取られ、上に書いたようなデールーティーンは完全に崩壊。最も反省するべき時期である。2月上旬の東京医大入試終了後から戦線の再構築を行い、しょぼくはなったがデールーティーンを回復させた。

時間の使い方への考え方

研究と違って受験勉強はかけた時間に比例すると考えました。研究のある平日は1日6時間を内職込で必ず確保し、そのうち70%の時間を数学に充てることとして、残りを化学の暗記に充てるという風にしていました。

研究のない日は普通の受験生の1割増で勉強しようと考えていましたが、体力がかなり厳しくあまりうまくいかなかったと言うのが実態です。研究のある日は常にフルで頭を使っているので効率がむしろ良く、勉強しかしてない日はどうしてもある時間にかまけるということです。

休学や研究の手を緩める選択肢を取らなかった理由


体験上仮面浪人で成功している人は(僕は仮面か再受験かどの分類でもないような気もしますが)単位をきちんと取っていること、学生生活を両立させているということを、4月の時点で知っていました。ですから、自分もまだもう少しやりたいと思っていた研究プロジェクトは全力でやり切り、大学院の単位もすべて取るということにしました。外国語の単位のみオンラインテストを毎週受け続けるというもので、あまりの面倒さに落としてしまったのですが、それ以外の物理学やキャリアデザイン、教養に関係する単位はすべて取得できました。これは自分でもかなり誇らしく思います。大学院の授業は課題含めてすべて英語で行われていたため、受験へ幾分かプラスに働いたと思います。

逆に、受験に専念し始めた23年の11月以降は自分で自分に与えた膨大な時間を持て余してしまい、効率が落ちたり頭の使い方を鈍らせてしまいました。もちろん、最後の最後の段階まで並行するというのは到底不可能な試みだと思いますが、もう少し引っ張っても良かったのかなと思います。

僕のアルバイトの後輩に、関西の中堅薬学部で一年仮面して、無事に最難関私立医学部に仮面を成功させた素晴らしく良くできた子がいるのですが、彼は一年、授業をやりきったそうです。僕はそういう意味では最後の最後で覚悟が一つ足りなかったかもしれません。反省するところです。

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