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ディープインパクトが絡むと途端にアホになってしまうJRAに対して思うこと。

はじめに


 JRAという組織がある。言うまでもないが日本の中央競馬を管轄している。地方競馬に関することはNRAという組織が管轄している。今回はJRAと人間の奇妙な面白さについて書いてみることにする。

伝統と改革

 何者も、あるいは何事も、変わらずにいられることは幸せなことだ。人間はそのうち大人という存在にならなければならないし、肉食動物はいずれ冷徹なハンターにならなければならない。草食動物はそうでないかもしれないが、いつか自分の命のために仲間を見殺しにする日が来るだろう。

 そうして少しずつ、人や組織、社会の中で変化をしていくことが、生命というものに課せられた一つの宿命なのかもしれない。有機物に限らず、無機物だってそうだ。あの当時、大阪城にエレベーターがついていたら、秀吉がどれほど喜んだだろう。こんなものを創造できる豊臣家にはかなわない、と歴史が変わっていたかもしれない。建物とて、時代にまつわる変化を受け入れざるを得ない日が来るものだ。

 そうしてJRAは、ある変化をもたらした。

 開催するたびに悪名が高まっていく、『弥生賞ディープインパクト記念』だ。

 もともとは弥生賞という古風なレース名だった。だがこの単純にして和風のレース名は、風格ある登竜門としての看板にぴったりだった。このレースの決勝線を一番に駆け抜ける馬は、過去の歴史と現在の称賛、そして未来の展望を手に入れることが出来る。これは昨日今日に誕生したレースの為せるものではない。馬事に関わる多くの人の尽力によって、弥生賞というレースの名の格は今に至っている。

 そのレース名が、あっという間に変わってしまった。それが弥生賞ディープインパクト記念だ。なぜ看板が真新しいものにすげ替えられてしまったのかは定かではない。一節によるとディープインパクトの功績を称えるためと言われているが、この見解には甚だ疑問である。

 そうであれば伝統と格式の上にその名を冠するのではなく、ディープインパクトという名前に伝統と格式を与えるために、別のレースを開催するべきだっただろう。また正味の話をすると、ディープインパクトがその名を競馬界に轟かせたのは若駒賞だ。競馬史に残すべきレースを10レース挙げるとするならば、ディープインパクトが勝った若駒賞はその一つに組み込まれていてもなんら不思議はない。人によっては組み込まなければならない、と言っても過言ではない。

 けれどもJRAはなぜか、もともとある風雅な格に、いずれ比肩するだろう馬の名前を抱き合わせてしまった。奇妙なことではあるが、JRAは時々、ディープインパクトのこととなるとアホになる悪癖がある。確証はない。だが、ディープインパクトのこととなるとJRAは前後不覚に陥り、スーパースターを目の前にした女学生のように奇声を発して舞い上がってしまうようだ。しかしこれは無理もないとも思う。

 2000年代に差し掛かる頃、競馬ブームが過ぎ去ろうとしていた。売上は低迷し、観客動員数も右肩下がり。一方でパチンコやパチスロといったレジャーがブームになり、どんどんと客を取られている時代が続いていた。そこへ現れたのがディープインパクトだ。1994年にナリタブライアンが三冠馬となり、無敗の三冠馬としては1984年シンボリルドルフ以来の快挙を、ディープインパクトは2005年に成し遂げた。

 これでまた競馬ブームがやってくるに違いない。JRAはそう感じただろう。三冠が達成されるよりも前に、ディープインパクトを模した巨大な像を作ってしまうほど、あの当時のJRAも衝撃を受けたことは歴史が物語っている。

 その気持ちは理解出来なくはない。どの業界においてもいつだって順風満帆ということはない。あの時はなかなかたいへんだったね、と振り返る時間はかならずやってくる。そういう時に現れたスターに対して、思い入れと思い出が強く残ることはあるだろう。ディープインパクトとは時として、公正競馬を標榜するJRAですら惑わせてしまうほどの輝きを放つ、唯一無二の存在だった。

 けれども、だからこそ、オレ達の世代のヒーローを扱う際には、アホになってはいけないという自戒の念を持ってほしいと思う。あの頃若かった職員の人たちも、今や昇進して重責を担っていることだろう。結託してディープインパクトの印籠を片手に、横車を押すことだって出来るかもしれない。したとは言わない。確証がないからだ。だが、しただろうという憶測は出来る。

 その証拠が弥生賞ディープインパクト記念(皐月賞トライアル)だ。

 なによりこのレース名、『語順がバカバカしい』のだ。

無意識にある人間の補正能力

 錯視というものがある。まっすぐの線なのに曲がって見えるだとか、モノクロのはずなのに色がついて見えるだとか、青と黒なのに金と白に見えるだとか、錯視の代表例は枚挙にいとまがない。錯視という漢字のもたらすイメージは悪いが、これは目と脳の処理がもたらす無意識の補正能力によるものだ。

 錯視は絵に限らず、言葉や文字でも置き換えることが出来る。

「あめがふってきた」と言われてカゴを持って外に出ることはないだろう。傘を持って出るか、洗濯物を取り込みに急ぐことが普通のリアクションだ。雨は降るものだが、飴だってその気になれば降らせることは出来る。

「おなかがへってきた」と言われて、ダイエット頑張ってますね、とは思わないだろう。物質的な空腹と、物理的な減量とを、この文章から取り違えることはまずない。そうであっても食事制限と適度な運動を続けることで、おなかをへらすことは確かにできる。

 このように人間は、言葉や文字の前後関係を把握して、無意識の内に処理・理解することが可能だ。

 弥生賞を意識して処理・理解すると次のようになる。

『弥生(の)賞(=レース)』

 弥生の月に行われる、行われていた、賞=レースというふうに理解が出来るだろう。これが弥生賞ディープインパクト記念となると、なかなか込み入った話になってくる。

弥生(の)賞(レースは)ディープインパクト(を)記念(したものです)』だとか、『弥生(に行われる)賞(このレースは)ディープインパクト(が勝った)記念(の)』だとか、『弥生賞(は)ディープインパクト(が)記念(=優勝したレース)』だとか、弥生賞ディープインパクト記念を日本語として補正しようとすると、ややこしい倒置法や体言止め、必要以上の単語を用いなくてはいけなくなる。
 
 ただでさえテストに登場して受験生の頭を悩ませる倒置法を、無意識レベルで扱える人はそう多くない。世間の評判の悪さがそれを物語っている。ましてや理解するにはいささか複雑だろう、この弥生賞ディープインパクト記念は。

 これがもし、『ディープインパクト記念弥生賞』であれば、もっと世間の批判を抑えられたのではなかろうか。『ディープインパクト(を)記念(した)弥生(の)賞(=レース)』と収めることが出来る。『ディープインパクト(が)記念(=優勝した)弥生(の)賞(=レース)』としても、すんなり意味は通るだろう。補正する語句は少なく、これらを取り払ってもやはり成立し得る。

 レース名の改変に寄せられる批判の多さは、弥生賞の格式とディープインパクトの将来性をひとくくりにしたこともそうだが、この語順のなんとも言えない倒錯が原因なのではないかと思えてならない。無意識下で行われる自然な理解・処理に反するネーミングセンスに、みな怒り、そして呆れているのではなかろうか。

最後に

 この弥生賞ディープインパクト記念が本稿になった際、JRAの人たちはだれも奇妙さを感じなかったのだろうか。それとも、「これくらいの奇妙な日本語であっても、競馬という複雑なスポーツをわかった気になっている人なら理解できるだろう」とでも思っていたのだろうか。そうだとすると、やはりディープインパクトが絡むとJRAは途端にアホになることに、アホ判断ながら辻褄が合ってしまう。

 せめてディープインパクト記念弥生賞にするか、通称弥生賞でディープインパクト記念まで強いないか、若駒賞をディープインパクト記念にするか、ディープインパクトを記念したレースを新設してほしい。弥生賞とディープインパクトの両雄は必ず並び立つ。
 
 JRAのモットーは公正競馬だ。特定の馬に対して格別の扱いをする場合には、最新の注意を払ってしかるべきだ。アレはオレが改革してやったんだ、という個人的な栄誉のために弥生賞も、ましてやディープインパクトも、軽く扱ってはいけないだろう。そうすることによって過去同じ三冠馬であるはずのミスターシービーやナリタブライアン、シンボリルドルフの扱いまで軽んじることになり、カブトヤマやクモハタといった歴史そのものまで軽視する風潮がいずれ生まれてくるだろう。

 好むと好まざるとにかかわらず、人間は変わっていく。そういう宿命だ。

 組織という無意識の補正の中で、いつかあってはならない選択が行われないことを願うばかりだ。

追伸……アホって言ってごめんね。

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