藤岡康太騎手によせて

 

はじめに

 野球界におけるミスターパーフェクトといえば、槙原寛己氏だ。彼の名前が長く取り沙汰され続けたのは彼の足跡によるものだが、ひとえに彼が『最後の人』だったという理由は大きいだろう。
 槇原氏はいわゆる、『最後の完全試合達成者』として長く語り継がれてきた。完全試合を達成した投手は多数いる。中でも金田正一氏や八木沢荘六氏、外木場吉郎氏のような偉大な投手も列挙されているが、その名が槙原寛己ほどメディアに登場しないのは、やはり最後の人ではないからだろう。
 最後の人というものは、長く語り継がれることになる。

訃報

 まず藤岡康太騎手の御冥福をお祈り申し上げます。
 本当に、本当に残念というほかない。
 火曜日の段階で軽くない症状であるという予感はあった。競馬界はムラ社会と揶揄されるほどの独特な習慣があり、怪我については一層奇妙な習慣がある。
 怪我とはまったく個人的な問題だ。それがプライバシーの塊であるという概念は想像に固くない。けれども競馬の世界では、これは公表されるべき当然の情報として扱われる。

左上腕骨開放骨折

左肩甲骨骨折

外傷性気胸

L4(腰椎)横突起骨折

左尺骨骨折

右大腿骨骨幹部骨折

左足関節脱臼骨折

右下腿部裂創

右第一肋骨骨折

右肘関節(尺骨)脱臼

https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-224463.html

 これは佐藤哲三元騎手が2012年の落馬によって負った怪我の症状である。このようなプライバシー性の高い情報をわざわざ公表する理由もファン目線からすると不明だが、とにかく競馬の世界はこれを出走情報や取り消し、騎手の勝ち負け、血統などと同様に広く公表されて扱われる。
 この情報が早い段階で公表されなかったことに極度の不安を感じていた。もっともこの感情は、情報の開示がなされているからという前提条件によるものだろう。疾病内容の公表がなされなければ、こういった思いにはならず、突然の訃報に涙していたに違いない。

 あの落馬は生死に関わる自体を引き起こしたに違いない。現状は意識不明の重体で、目が覚めれば御の字と言えるような大アクシデントだったのだろう。そしてこの予感は、なかば確信めいていた。どうあれ助かってほしい。生きていればそれに勝るものはない。強く思い、そして願ったが、祈りとは裏腹に予感ばかりが先行し、そして木曜日の発表を迎えることとなった。
 本当に残念でならない。

 このことに端を発して、いくつか騎手の安全にまつわるとりとめのない提言が飛び交った。内容は取るに足らないといえば言葉が過ぎるのかもしれないが、これまでに何度も提案されてきたアイデアをなぞるばかりの、車輪の再発明と言えるものだった。
 それはそれで良いと思う。
 あのあてのない、やりきれない深い悲しみをどうにかしたいという一心からだろう。このノートもそうだ。

 中央競馬における『最後の人』は、竹本貴志騎手になる。その名前をつい先日、高知競馬所属の塚本騎手の訃報によって見聞きした。高知競馬における最初の殉職であり、その夭折は競馬ファンとして、また一人の人間として心が痛んだ。

 それからまもなく、再び竹本騎手の名前を目にするようになるとは思いもよらなかった。五月晴れと呼べる陽気な日差しとは裏腹に、重く暗い皐月賞をテレビで見ていた。
 来年の皐月賞も、その次も、思い出がある限りずっと、別れの春というものを思い起こすことだろう。
 竹本騎手の名を見るのはこれで最後になるはずだ。この予感は、なかば確信めいている。竹本騎手は最後の人としての役目を終え、歴史の中でも眠りにつくことになる。

 競馬はこれからも続いていく。皐月賞を終え、ダービーを目前にし、それが終われば2歳馬がデビューする。そうして季節は巡り、競馬も巡る。時が過ぎれば誰の胸にも最後の瞬間というものは訪れるものだ。
 それがごく穏やかで、緩やかなひとときであればいいなと、そう思う。

最後に

 藤岡康太という名前がこれからも続く競馬史における、
『最後の人』として記されることを切に願うばかりである。
 心より、感謝と追悼の祈りを込めて。

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