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Business, Bureaucracy and Bullshit Jobs|weekly vol.0103

今週は、うでパスタが書く。

客にはあまり謝らない、をポリシーにしている「九段下パルチザン」だが、最近はこんなことを思い出した。
ダイヤルQ2みたいな電話の時代からやっている昔ながらの「競馬の予想情報サービス」がふたつあって、片方は分析力の高いチームが実際に予想を当ててくるのだが、もうひとつのサービスではあまり当たらないことがつづくと客にビール券を送るというようなことをやっており、売上は後者の方がよかったという。
まぁこういうのは本当に商売というか「商い」の機微だなと思うが、私にはこのセンスが皆無であってビジネスマンの端くれをやっているときにもそれは日々痛感していた。「適材適所」と言って末席に置いてくれた他の役員や従業員にはいまさらながら申し訳なかったと思う。

「商いは三方良し」といって、それは「売り手良し、買い手良し、世間良し」であり、つまり取引をするその両方が満足するのはもちろんのこと、直接かかわらない社会全体にも貢献するのがよい取引、商いであるというのが近江商人の本懐であったという話を聞く。
私は近江、つまり現在の滋賀県の出身だが、そこへ暮らしたあいだこういう人間にはついぞ知り合うことがなく、十八の歳に後足で砂をかけて東京へ出てきた。
一族で名古屋よりも東へ到達したのは私の前には曾祖父の弟にあたるひとだけで、このひとは私が生まれたときにはすでに世を去っていたが、その存在(または不在)はまさに「東京の叔父さん」という言葉で言及されるのが通常であって、私はいまだにこのひとの名を知らない。
その頃まではおよそ一〇代にわたってひとりの例外なく全員が百姓であった我が家の系譜において、東京の叔父さんだけは商才にめぐまれたひとであって、それがこそ後世にもたびたびその通り名が家族の口にのぼった理由に他ならなかった。

初夏の、おそらくはいまごろの季節になると東京から手紙がとどいて、いついっかに帰るからいつものように支度をたのむということがしたためられていると、祖母は幼い息子二人を連れて裏庭に自生しているなんとかという木になった花だか蕾みだかを金だらいに何杯も摘み取って、それをかまどの火で来る日も来る日も一日中、真っ黒のドロドロになるまで煮詰めたのだという。
それが一段落した頃、東京の叔父さんはひとりでやってくると、持ってきたいくつものガラス瓶にペースト状のそれを詰め込んでふたたび背負うと、田舎の家には貴重な現金を実家のちゃぶ台に残して東京へ帰っていった。
おそらく高く売れていたのだろう、残していった金額はいつもたいそうなものだった、と父が話している。

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