「知覚の扉」   サブカルクソ野郎のための101の本

人間の感覚や認識は常日頃から多くのものを、ないものとして扱っている、有形無形問わず。
自分たちがいる世界をどのように捉えているのか、通常視覚や聴覚やらの五感、その器官をフィルターのごとく通して世界を外界を捉えている。
まるで一種のバリヤーのようにして、そうして慣れ親しんだ世界を私達は自分の眼球で確認して今日も世界に異常はないなと安心して過ごすことができる。
では世界は本当に目で見たままの景色がそこに広がっているのだろうか?
もし何らかの方法で感覚器官を弄ることが出来たとしたら、そしてそれによって慣れ親しんだ世界がそこに広がってないのだとしたら、一体五感というものは信用に足るのだろうか?

有名なSFディストピア小説『素晴らしき新世界』の著者オルダス・ハクスリーは幻覚剤メスカリンを服用することで、その驚異の世界を目の当たりにしたその体験を綴ったのが「知覚の扉」だ。

眼前に浮かぶ金色の光、偉大さを感じない「ゴッホの椅子」、永遠普遍を称える「ボッティチェリの平凡な作品の服のシワ」そして自分の歪んだズボンのシワ。
永遠や絶対を普段は気にもとめないものに認める一方で、静物に頓着を示せない、これはハクスリーいわく〈偏在精神〉説とされるあらゆる刺激を人間は受けているが、普段はあまりの情報量の多さから、生存に必要なものだけを情報として知覚できるものらしい。

メスカリンの服用によってその器官のストッパーが外れ、知覚が拡張され様々な些細な刺激にさえ意味を見いだせるようになったというわけだ。

メスカリンの幻覚体験とその体験の考察で構成されている。
またチベットの死者の書や仏法等も引き合いに出されていて、この一冊でドラッグや仏教等も見聞が広がるかもしれない。

ニューエイジ文化やヒッピー、ドラッグカルチャー等にも多大な影響を与え、精神的支柱になったという、今なお読むべきところがあると思う。

特にサブカルやってると避けては通れない謎多きヒッピーのマインド等が追体験できるかもしれない。


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