ごとうのぶひこ

自然のそばで暮らしています。人と自然をつなぐ手伝いができたらいいなと思っています。

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マガジン

  • のんきから学んだこと

    のんきさんというスーパーマンから学んだあれこれをシェアしようと思います。

  • ヤギから学んだこと

    2頭の双子の娘山羊たちから学んだことをシェアしていきます

最近の記事

流行らせるのは廃らせること

何かと効率化ばかり叫ばれて、時間がかかることが疎ましがられる世の中である。何をぼんやりしてるのだと、関係ない人にまで言える世の中なのだ。 だけどあえて言おう。 本当に強いのは時間をかけて作り上げたものだけだ。 流行るものは廃れる。 盛者必衰の理。 けれど、世の中どうやってはやらせようかというムードが満載で辟易している。 揺り戻し。 一気にある方向へ向いたものは、やじろべえのように逆側にも振れる。安定することなく今度はまた逆側に。ぶらんぶらんと不安定に動くだけ。

    • 人生と真理

      人生について考える。 人の人生なんて一瞬だと言う人がいるけれど、これはある意味ほんとう、ある意味違うのかもしれない。 というのも、この世の真理がバチッとわかるというか理解するのが死ぬ間際なんじゃないかなぁと思っている。 その真理というのは幸せであればいいとか、どう生きればいいのか、みたいなことだ。それに対する答えのようなものが、ある程度生きた人なら死ぬ間際に何となく腑に落ちるようになる。 それまではもがく。なやむ。考える。 考え抜いても答えが出ないこういう種の問題

      • the first slamdank

        書かざるを得ない案件ができた。 スラムダンク。そして、バスケットボールのこと。 わたしは実は中学生の時にバスケットボール部に入っていた。ポジションはガードだが、私より背の低いメンバーが二人いたので、実はSGとかSFだったのだろうけど、当時はそんなポジション制ではなかったような気がするし、(ゾーンプレスとかマンツーマンディフェンスはあった)頭でプレイしようにも情報が少なすぎた。ただただ愚直に個人の能力に頼っていて、チームとしては実に未熟だったと思う。戦術、皆で頑張って攻めて

        • 自給自足の構えを取ること

          自給自足。自分の食べ物や衣類や住まいを自分で賄い、暮らしていくこと。 十年前、40歳の私は50歳になるまでに自給自足できるようにとこの地に越してきた。 きっかけはのんきさん。 この人のように生きたいと暮らしを第一に据えようと、お金を稼ぐ仕事から暮らしをつくる仕事に変えたのだ。 それまでのわたしは、お金を稼ぐことに嫌気が差していて、お金との距離を置きたいと願っていたのだろう。このままずっとお金の心配をしながら、誰かのために人生の時間を費やすのだろうか。いつその生涯を閉じ

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        記事

          苦しいときほど吐き出すチャンス

          この世は陰陽。振れ幅が大きいほど、生きていて気持ち良いのかもしれない。 陰極まって陽に転じる。 苦しいときほど、その苦しみを表現する。 そんなことしたくないから苦しいのだけど、その苦しみを分解して、他者に差し出すことで、そこから脱するヒントになり、前に進める。 自然の力。 苦しみが深いほど、喜びも深い。 だから、苦しむことを恐れないで、大いに苦しむ。苦しむことを楽しむ。

          苦しいときほど吐き出すチャンス

          縁あって流れ着いた場所で、縁をくれた人のために全力を尽くしてことに励んでいたら、えらくたくさんの幸せをもらえて、それに感謝しつつ、自然の中で伸び伸びと生かせてもらったら、自分の使命もなんとなくわかった。 目の前に現れたことやひとはとっても意味があって、ある人はいろんな知恵を授けてくれ、ある人は身を持ってなりたくない自分を想像させてくれ、ある人はともに手を取り合っていまを生きてくれる。すべての目の前のことが血となり肉となる。血として肉とする。 この瞬間に生きとし生けるもの、す

          おかねとじかん

          資本主義の行き詰まった社会、つまり現代の世の中では、 お金にならないこと を徹底的に切り捨てる傾向にある。効率化という考えのもとに。 見えないことをゼロ円でカウントしていまうのだ。 そのコストを計算に入れないため、1円玉を全力で拾いに行き、転んで怪我して入院。なんていう事態があちこちで起きている。 一度その、お金至上主義に陥ってしまうと、なかなかその考え方からは抜け出せない。抜け出せないことを悲観的に思うことはないし、それがその仕組みのからくりとも言えるのでそういうものだと

          おかねとじかん

          ブツブツ交換はなぜ気持ちがいいのだろうかメモ

          気持ちいいのは言葉じゃない。ダイレクトに心に響くから気持ちがいい。言葉で説明しないから気持ちがいい。頭に言葉が浮かぶ前に心が動かされているのだ。 それと同じで、わたしたちは便利さを追い求め、変換、交換をするようになった。代表的なものがお金だ。わたしも消費だけしているときには気づかなかったのだが、その世界を捨てて、つくることをはじめたときに、お金に変換することがとてもバカらしく感じることがあった。例えば農産物、自分で長い時間をかけて作ったものが、お金に変換されたときの残念感。

          ブツブツ交換はなぜ気持ちがいいのだろうかメモ

          ググるは会話の愉しみも奪うのか。

          会話はキャッチボールだなんて言葉のように、人との会話にはなにか特別なものがあるように思う。特に直接あってお互いの顔を見ながら対話をすること。その人のこまかい表情や仕草なども含めて、感じる、感じてもらう、のやり取り。同じ言葉を発しても伝わる人と伝わらない人の違い。 いま、ネットの社会になり、コロナの洗礼を経て、直接対面しないことが多くなった。先日会った大学生なんて、入学してからオンラインばかりで(直接の対面が)緊張します、なんて言っていた。早くマスクもなく話し合える時代が来る

          ググるは会話の愉しみも奪うのか。

          おいお前!

          おいお前、いつまでうだうだやってるんじゃ。いいかげん好きなことだけして暮らせよ。 それじゃ食えないとか、子供がいるからとか、心配だからとか、全部やらないいいわけでしかない。 好きなことが見えているというだけで奇跡のようなものなんだよ。たいていの人は好きがわからず、あれこれ悩んで、いろんなことして、ようやくたどり着ける自分の「好き」がおぼろげながらでもわかっているなんて、神様の采配でしかない。 迷わず行けよ。迷っている暇も時間の無駄だ。それが本当に好きなものでなくても、全力

          細部というきっかけに気づけるかどうかとそれを膨らませられるかどうか。

          このことに気づけたことは大きい。 説明してみる。 のんきさんと木の動物を作るとき、はじめはどこからこんなに(動物の足に、胴に、顔に、、、)適した枝を持ってくるのだろうと不思議でならなかったのだが、自分でも懸命に探しているうちに、あるとき、「見える」ことに気づく。 いっぱい動物を作り、いっぱい手足に適した枝を探しているうちに、立っている木や落ちている枝が、あの動物の手に、あの動物の足に見えてくるときがある。 その些細な部分に気づいたら、残りの部分を作る作業をするだけだ。そんな

          細部というきっかけに気づけるかどうかとそれを膨らませられるかどうか。

          必要とされなければ死ぬだけだ

          世の中シンプルに生きよう。シンプルイズジャスティス。 本質だけを見続けていけばの満足した人生を送れるはずだ。 好きなことをやり続けよう。 食える食えない、つまり、そのことがお金を生み出してお腹いっぱいになるのか、金にならなくてひもじい思いをするのか、そのことは「好きなことをやる」の外側の話で、結果の話なのである。 まずは好きなことをやれ。 それが結果、世の中に受け入れられずに、腹一杯になれなければ、そこで死ぬことの覚悟を決めればいい。 それで死にたくなかったら、生きればいい

          必要とされなければ死ぬだけだ

          公園の草刈り

          公園と言っても自分たちで、いや、独りの人がこつこつと作り上げてきた手作りの公園だ。それを引き継いで今年から同じように独りで草刈りをしている。刈った草の移動が面倒なのと、その地で循環させたいのでナイロンで刈る。風を感じてほしい。 草刈りを続けているうちに、自分が自然から学んでいると気づいた。自然から教えてもらう場として、この公園は存在しているのかもしれない。自然が作り出す公園として、手出しは最低限、効果を最大に。ひとも自然も気持ちがいいような空間にできたら。 松が生える。近

          公園の草刈り

          何の役に、誰の役に立つのか

          黒板五郎さんが亡くなった。言わずとしれた田中邦衛さんのことだ。わたしの中では北の国からの五郎さんとしての時間が実に長すぎて、田中邦衛という役者の方はどこか遠くの人で、黒板五郎さんは親戚の、いや、実の親のような教えをたくさん受けてきたように思う。 若い頃は純のような気持ちで。年をそれなりに重ねたいまはちょっと先を行く先輩を見るような気持ちと。 五郎さんは「ありがとう」という声の届く範囲でいいんだ。オラそこで頑張るんだというようなことをぼそっと誰に聞かせるでも諭すでもなく自分

          何の役に、誰の役に立つのか

          手から生み出す

          手で何かを創り出す。 人の手は何かを作り出すようにできている。 手から何かを生み出すことのできる人、それがほんとに些細なものでも、それができる人は、手から何かが作り出せることを知っている。 知っているということは実に強い。 何かが作れるだろうと思っている人と、何も作れないと思っている人の差。圧倒的にでかい。 でもその差は縮められる。 何でもいいから作りつづければいい。 今はピンとこなくとも、作ることをやめなければ、いつか作りたいものができたとき、スッと作り始めることができ

          手から生み出す

          創る人にあこがれる。

          暮らしの中で、自分のモノを創る人にあこがれる。 ものの出来ばえよりも、自分で創るのだというチカラにだ。 そのチカラを出すことになれている人は、他人の支配から自由だ。 モノを創れるチカラをすぐ出せる人は、他人に頼らなくても、モノを買わなくても生きていける。 そして、そのチカラは後天的につけることが出来ると思う。 実践と失敗を重ねるだけなので誰にでもできる。 そういうことを繰り返すことで、自分の特徴に気づき、他人との違いに喜べ、なにが自分にあって、他者に貢献できるのかがわかるの

          創る人にあこがれる。