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エッセイ403. この抑えきれない開放感


転勤で名古屋に住んでいたとき、夫が飲みに行くことは滅多にありませんでした。高速を使っての、長距離の車通勤だったので、飲む時はビジネルホテルに一泊するほかはなかったからでした。

さて、昨年古巣に戻って来てみますと、夫は結構同僚や友達に声をかけられて、飲みに行くようになりました。
いいことです。
友達と昼飲みやティータイム飲みをすることが多い私にとって、夫が飲みに行ってくれるのは、罪の意識が幾分薄らぎますので、大歓迎です。

さて、
「明日飲みなので、晩ご飯要りません」
と言われると、しっかりご飯を作らなくていいということ以上の、大きな解放感があります。
食事の支度をするのは苦ではないですが、まったく自分一人のために食事を用意するのが嬉しくてたまらないのです。
なんなら、お惣菜をちょこちょこ買うこともあります。
そして、今夜は一人なのだと思うと不思議なほどの高揚感がこみあげ、
(さて、何を食べよう、何をしよう)
と朝から考えてしまいます。
一緒に食べようと思っていた割といいお刺身を、解凍したりするのも、夫がいない日です。
ひどいな。

その夜の計画など立てなくても、思った通りのことをしなくても全く構わない、行き当たりばったり。
それが、普段から割と融通のきかない、堅苦しい性格の自分にとって、大きな喜びを感じるポイントでもあります。

夫は私の行動に規制をかけたことは一度もありません。
名古屋時代は、私は毎月のように帰省していました。
親たちの様子を見に行くついでに友達にも会いますので、月に2、3日は家にいませんでした。
全く文句を聞いたことはありません。

子供がとっくに手を離れていたということはありますが、その昔の赤ん坊の時から、・・まあ旅行はしなかったと思いますが(したかな?)、夫がいるので、子供がいるのでできません、ということはなかったです。
たまに、したいことをしないのは、主にお金がなかったためですが、そんなことは、友達との交際にやや差し支えるぐらいで、困ることもありませんでした。

基本、夫はガイジンなので、いつも夫婦単位で行動したがります。一緒に行ってもおそらくつまらないだろうなと思うこと(落語とかです)は、黙って平日に行っていますが、歌舞伎でもなんでも、喜んで一緒にいきますので、私ぐらいに自由な人間はあまり多くはないと思います。
でも、今日は夫がいないと知ると、とても嬉しい。

そんな日は朝と昼を軽くして、5時ぐらいから晩ご飯を食べます。ちまちまとしたおつまみを大きなお皿に並べて、あまり席を立たなくて良いようにして、座布団を5枚重ねた上に座り(笑点?)、「マイリスト」に入れた国内ドラマを見始めます。
夫も日本のドラマは一緒に見ますけれど、何本も続けて見ることが、何か悪くて、できません。
いい妻なの?

そのように準備万端整えてご飯を食べ、テレビを見ていると、
立つのは氷を取りに行くとか、トイレに行くぐらいです。

宴もたけなわ、午後9時ぐらいになりますと、前からアポを取っていた友達と、オンラインで話したりもします。
時差があって、相手には朝なので申し訳ありませんが、逆のときもあるので勘弁してもらいます。
これがまた不思議なことに、夫は私が何時間友達とオンラインチャットをしていようと、邪魔することはないのですが、全く一人のときにやるのはまた、格別楽しいのです。

締めは、大人の罪の味、納豆卵かけごはん が 多いです。

あとは名古屋で偏愛していた、黄金スパ。
追いケチャまでした、こってりのナポリタンに、薄焼き卵です。
こんな時ほろ酔いの頭で、
(ああもう絶対、鉄板買おう鉄板・・)
と思うのですが、必ず忘れてしまいます。
あの、熱した鉄板にじゅーっと卵を流し、そこへ載せたナポリタン。
あれをやりたいのに、なかなか鉄板を買うことができません。

締めの締めは、Smuleでカラオケをします。
角部屋ですが、上階の人に聞こえては迷惑なので、小さい声で歌います。

この開放感、私だけかと思っていたら違いました。

明日お弁当作れないですというと、夫は実に嬉しそうに、

あっ、いいですよ?

と言います。
普段食べられないサンドイッチを、買って食べるそうです。

その他、
「出かけるので昼食(夕食)が作れませんが、何か作っていこうか」
と訊くと、必ずノーサンキューと言います。

自分で好きなものを作って食べるのがとても楽しいので、
作らないで、どうぞどうぞ、お出かけください、
ということなのでした。

いてもいなくてもまあ平和というのが、老境に近づく夫婦もののありがたいところのようです。



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