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エッセイ484.「異人たち」と「異人たちとの夏」 回を重ねて最終回(6) ケイという女、他。

続きで、最後です。

人物について書いています。

ケイ:名取裕子。
ケイは、最初に原田に拒まれた時は黒いワンピース、死者となってから訪れるときと、それ以降ずっと、最初とおそらく同じデザインの、白いワンピースです。

ケイが、原田と一緒にエレベーターに乗る場面。
原田の声は普通だが、ケイの声は別に録音して、はめたような感じ。
うまく説明できませんが、、うまいと思いました。

ケイの容貌や着こなしは、丁寧に作り込んだ「いい女風」です。
それが、少し過剰な感じがしないこともありません。
どんなときでもルーズにまとめた髪にアクセサリー、メイクにワンピース。
素敵すぎて逆に気になってしまいます。
今もう一度この映画を作るとしたら、誰が見ても美人・いい女という女優さんにはならない気がします。絶対着替えない白いワンピースの代わりに、家では GUとかしまむらコーデもありそうです。
ケイという、内向的なのに積極的、同性の友達が少なそうで、職場では目立たなそう、でも恨みが爆発すると怖い感じがする人は、今の女優さんだったら誰が演じるでしょうか。


上、生前に一度だけ原田を訪ねてきたケイ、黒いドレス。
下、「二度と両親に会ってはいけない」と圧を加える死後のケイ、白いドレス。
いつでも片方の肩をたくさん出しています。ハラハラします。

ちなみに、ケイが死者としての本性を表すとき。
映画では綺麗で、悲しかったですが、原作は怖いです。

廊下のずっと向こうの端っこにいたのが、一瞬で原田の目の前に瞬間移動。
「愛してるんだ」と原田に言われ、ケイは

「甘いことを」

と言うのですが、その声が、男の声。
怖いです。

ケイは原田に冷たくされて絶望のあまり自殺し、原田に取り憑きました。
彼女は生前、胸の傷を気にしていて、近所の噂に耐えかねて引っ越したりしています。令和の今は、都会では同じマンションでのつきあいもあまりなくなり、引っ越し挨拶をしない人も多いそうです。
今よりも他者の目を気にするのも、1988年という時代だったでしょうか。
彼女の絶望は頂点に達していたらしく、
そこで思い切って原田を訪ねたら、冷たく拒否されます。
そのことは自殺の引き金にはなったでしょうが、直接の原因ではありません。
でも、原田本人は、ケイに出会ったことに後悔はないと言っています。
彼女の訪問が、全てを変えるきっかけとなったのでした。
そこに救いがあります。

そこへ行くと、原田の父母は、同じく霊であっても、経験値とクオリティが
違います。
良く出来た霊たちなのです。
杜子春の両親のように、息子の幸せのみを願っています。

原田の父母の亡くなったのは、28年前のお盆の日から、四日過ぎた7月20日。
原田が父母のアパートに何回も通ううち、映画ではいよいよ後半にさしかかる、ある夕暮れどきですが、原田がアパートへの路地を急いでいると、一人のおばあさんがアパートの路地で送り火を焚いています。

東京のお盆は7月13日から16日で、東京の住民は、他県のお盆が8月のままであっても、律儀にこの期間にお盆をします。
初日に迎え火でお迎えした精霊様を、最終日には送り火で送り出す。
その悲しい小さな焚き火。

原田が両親に出合い直すのは、その年の6月半ばぐらいから、
お盆の送り火を焚く日を、少し過ぎるまでなのです。

そうか・・お盆だから帰ってきたのか・・
命日には彼の岸へ、戻らなければならなかったのでしょう。

原田は、ミドルエイジクライシスに加えて離婚と孤独。
そこへ弱目に祟り目のように、悪霊に取り憑かれています。
両親はそれを見て、神様から1ヶ月ぐらいの休暇をもらって、様子を見にやってきたんじゃないでしょうか。

両親はアパートから出歩けないようだし、戻る時は決められているようです。
息子と一緒に食べようとご飯を用意したり、花札を教えたりする以外、特に大活躍はしないのですが、原田が一番求めていたものを与えることができたのは、
最後まで見れば理解できます。
親ってありがたい・・・😭


以下は思いつく順に:

・自殺したケイの部屋から、朝方 運び出される「解剖図」。
それをマンションの窓から見ても、もちろん原田には事情がわかりません。
あとでこの絵が出てくるとまた、ぞっとしますね。

・プッチーニのアリアが始終流れます。
オペラ「ジャンニ・スキッキ」の「私のお父さん」です。
「大好きなお父さん、ポルテ・ロッサに指輪を買いに行きたいの。
この恋が叶わなかったら、ベッキオ橋から飛び込んでしまいます」
というような歌詞です。
とても印象的で、耳を離れなくなるメロディーです。

・「異人たち」のハリー。
トランプのジャックに似てませんか?


昔の日本の夏は今ほどではないが、エアコンがなくて扇風機だけなので、私の覚えている夏も、やはりとても暑かったです。

何度も書いてしまいますが、「異人たちとの夏」で、両親がすぐ息子に、脱げ脱げ言って、家では寛がせようとします。
暑い時期の男性のステテコ・ランニングは「昔の人あるある」でした。
が、花札の場面で、お母さんもワンピースを脱ぐのにびっくりした人は多いのではないでしょうか。
けれど、お母さんはちゃんと下着、昔はシュミーズと言いましたが(うちの祖母は「シミーズ」と言いました)、そのシミーズとブラを付けている。
上を脱いだからと言って裸になってしまうわけではありません。
昔の人は、夏の外出にレースの手袋をする女性もいました。
すごくきちんとしていたのです。
エアコンのない暑い家でも、下着を着ているので、暑い暑い! 脱ぎましょう!
となったのかなと思います。
今のワンマイルウェアが、昔は男性のランニング・ステテコ、女性のアッパッパまたは木綿のシュミーズだったように思います。明治生まれだった私の祖母は、アッパッパの下が楊柳木綿の下着で、家ではその下着一枚ということは結構ありました。


長く書き続けた「異人たち」「異人たちとの夏」については、これで終わりにします。

読んでくださってありがとうございました。

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