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エッセイ414.そういうことだったのか

先週の6日間、シドニーで働く長女が帰省していました。
なかなか手の届く航空券が手に入らなかったとかで、去年8月末に移住してから14ヶ月ぶりの日本です。
私は早朝のレッスンがあったので、夫が一人で羽田に迎えに行きました。
到着は午前5時半。

娘がこんな写真を撮ってきました。

お迎えに来た父。
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ちょっと説明しますと、左端に立ってるおじさんが夫、娘の父です。
もちろん、横にいる運転手さんや、お迎えの人のように、
「誰々さま」と名前を掲げて立っている必要はありません。
娘ですから。
夫はこの「名前を掲げて待つ」というのを、思いつき、
私にも秘密で準備して行ったらしいです。
そういうところ、まめです。

書いてある "BIOTCH"というのは、 BI◯◯Hをちょっとだけ変えた言い方で、
「いやほら、◯ッチなんて、そんなこと言ってません」
という態にして、若いもんがよく使っています。
Bで始まるこの言葉、これは英語でとても悪い言葉で、子供が親戚の集まりなどで使うと、

Language!  (いけません!)

と言われたりする言葉の一つです。

洋画や海外ドラマでとてもよく聞きますし、娘らも家族間、ネイティブ英語話者の親しい友達との間では平気で使っています。
他には、Frickin' というのがありまして、文字で見ても、おっとっと、と思います。
夫は、娘がいつ出てきてもいいように、これを持ってじーっと立っていて、なかなか辛かったそうです。
外国の方々は、二度見して通って行ったとか。
そりゃそうですね。

長女は東京で中二まで、その後の中高大は名古屋暮らしで、それから京都で働き、名古屋弁が京都弁に置き換わりかけた頃、シドニーに移住しました。
それで、東京・名古屋・京都に1週間ずつの予定で滞在する計画でやってきました。
東京で会えるのは、名古屋や京都から引っ越してきた友人たちで、出かけると終電で帰ってきました。
東京人ではないために、渋谷から帰ってくるに苦労したりしていました。

娘たちが独立して家を出て行ってからも、名古屋時代はまだ、京都から長女が帰ってきたりすると、外食をすることはたまにありましたが、四人揃って家でクリスマスとかお正月とか、それはもう全然ないです。
私は考えてみたら、どんな高級な外食よりも、家で私の作ったものを食べて、
「まだある?」
とか家族が言うのを聞きたかったのです。
で、今回は私の所望で、一回は家で食べることにしました。

それは手巻き寿司😄
東京のスーパーのお刺身は、うーむ、すごく美味しいとは行きませんでしたが、楽しかったです。
一度も使ったことのない、おしゃれな醤油の小皿も使えたし。

長女に合わせて、近くに住む次女もスーツケースを持って泊まりに来ました。
仕事が忙しいので、長女が来ていても、なかなか会えないからです。

二人とも、朝ごはんは和食が良いとのことでした。
夫婦二人になってから作らなくなっていたオムライスなども作りましたね。
二人になったら買わなくなった大きな牛乳や、おやつや飲み物も、この1週間は買っていました。なんか、頼まれていないのに、買っちゃうんですよね。
明太子とか。次女が好きで。
氷や炭酸水の減り方もすごかったです。
ペットボトルや缶の飲料が、あちこちに置いてある、洗面台やお風呂にヘアケアとコスメが溢れかえる。
絶えて見なくなっていたものを、久々に見た六日間でした。
昔は、ちょっとあんたたち、いい加減に片づけなさいとかよく怒っていました。

6日間、ソファとテレビと食卓でいっぱいの居間は、二人の荷物で足の踏み場もなくなりました。
今の賃貸は、昔住んでいた団地と同じ、64㎡ぐらいの賃貸ですが、大人の女になると、持って歩くものも、ぐんと増えるのですね。




長女が家を離れて3年半、次女は1年半。
なんか一人で感無量です。

長女の短い滞在中、1日だけは、娘二人と地元の古着屋などに行き、会社帰りの夫と最寄駅で合流して、私たちの見つけた魚のおいしい居酒屋と、バーに行きました。
夫はふたりを連れて行きたがっていたので、満足そうでした。

他の一日は、私の実家に預けてあった長女の服と物を車で取りに行きました。
ついでに墓参りもしました。
去年父が亡くなった時、長女はすでに渡航していて葬儀も墓参もできなかったからです。

最後の日には、揃って品川駅に行き、京都へ移動する長女を見送りました。
あ〜あ、行っちゃった。

そして私たちと次女は、今週末からNZに帰省します。
それって、長女がまだ日本にいる間なのに、行き違い、じゃないな、すれ違い、でもないんですが。
あっちがせっかくこっちにきているのに、その最後の1週間、
こっちがあっちへ行ってしまう。
これが、なんとなくもったいない気がしてしまって、ちょっと寂しい。
私たちが日本にいても、長女は京都・名古屋なんですけどね。


振り返ると、娘たちが高校生になるまで、一家で毎年NZへ帰省しました。
義父母宅を基地にして、本当に自由に遊びまわらせてもらいましたっけ。
長女は4ヶ月、次女は2ヶ月で初めてNZの土を踏みました。
あの頃は、冷房母乳を義母に渡して夜遅くまで帰りませんでした。

「ひどい母とか思ってるよね?」
と、心配になって夫に言うと、
「いやいや、信じて任せてくれて、Oh〜・・って喜んでるよ」
「そう言ってた?」
「いや、言ってないけどたぶんそうなんじゃない?」

でもね、今になって思います。
やっぱり、赤ん坊にミルクをあげるのとか、楽しんでくれたと思う。
私だって、孫を持つことになって、娘たちが孫を置いていってくれたらすごく嬉しい。(今だけかな、言ってるだけかな私)

当時、赤ん坊を義父母に預けて外出して、心配になったとは一つもありませんでした。
娘たちも本当に、あっちの祖父母のことが今も大好きです。
大学になってからは、姉妹で、また一人ずつ、長期で義母の家に泊まりに行っていました。

帰省している間、4、5泊は旅行をしていましたが、私は、せっかくたまに来たのに、もっとずっと義両親の家にいたほうがいいのではないかと思っていました。
今考えると、それじゃ二人も疲れますよね!
どこへでも行きなさい、あなたたちのホリデーなんだから、
とは、義母が口癖のように行っていました。

「息子、あなたはtamadocaたちを一回も南の島に連れて行っていないじゃない。
今年こそは行きなさいよ」
これもよく言われましたね。

物静かな義父は、孫たちのためにおもちゃを作ってくれて、遊んでいるのをニコニコしながらいつも眺めていました。

義母は、私たちが帰る日の前日には、「少ししかないから大丈夫」と言っても、自分たちのものと一緒に私たちの洗濯をしてくれて、乾燥機で乾燥してくれました。
普段は外干しで、絶対乾燥機は使わないのですが。

そして、毎回のように、私たちが帰ってしまってから、ソファのクッションの間とか、ベッドの下や引き出しから、ソックスだのピアスだの、ジグソーのピースだのが出てくるのを集めておいて、あとでまとめて送ってくれたものです。

私がねー、今それなんですね。

今日は実家から取ってきた長女の服を、洗濯機を何回も回して洗いました。
自分たちが日本を発つ前に、京都の友達の家にいる長女に送ります。
なんか踏んづけたと思ったら、娘らのアクセサリーだったりします。


帰省してくる子供を迎える立場となり、
「お義母さん、お義父さん、こんな感じだったんですね?」
と、思わず  今は亡き義両親に話しかけたりしているのでした。

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