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『契約 鈴木いづみSF全集』について(その1)

 これまで〈鈴木いづみコレクション全8巻〉や〈鈴木いづみセカンド・コレクション全4巻〉などを刊行してきた文遊社が、SFだけを1冊にまとめた『契約 鈴木いづみSF全集』を新たに出した。わたしの場合、「SF作家としての鈴木いづみ」に関心があるので、こうした企画はとてもうれしい。

 鈴木いづみのSFといえば、かつてハヤカワ文庫JAから2冊の短篇集が出ていた。『女と女の世の中』(1978年)と『恋のサイケデリック!』(1982年)だ。今回の『契約』は、全集をうたっているだけあって、この2冊に収められている小説はもちろん、発表順にすべてのSF短編を網羅している。と同時に、個々の作品に対して、SF評論家の大森望さんによる解説が添えられている。大森さんはことあるごとに鈴木いづみへの偏愛を語ってきた評論家でもあるから、うってつけの人選だ。

 そもそも大森さんは、日本SF年鑑編集委員会編『日本SF年鑑 1983年版』(新時代社、1983年)で『恋のサイケデリック!』を紹介しているのだが、いまその文章を読み返すと、1983年という時点で村上春樹や高橋源一郎の名前を出していることには注目したい。鈴木いづみと同時代に両者と比較するような視点を打ち出した批評は、はたして他にあったのかどうか。いまでも鈴木いづみは「60年代」や「70年代」との関係で語られたりもしているから、大森さんのように「80年代作家としての鈴木いづみ」を評価する見方は、案外少ないのかもしれない。

 先に「SF作家としての鈴木いづみ」に関心があると書いたが、それは「80年代作家としての鈴木いづみ」と重なりあっている。両者を結びつける存在が近田春夫。

 ファンの間ではよく知られているけれど、ハヤカワ文庫版『恋のサイケデリック!』には「敬愛するミュージシャン 近田春夫さんへ」という献辞が掲げられている。短編「なぜか、アップ・サイド・ダウン」という題名は、近田の楽曲「何故かアップ・サイド・ダウン」のいただきだし、作中には近田春夫をモデルにした高田夏夫というキャラクターも登場する。鈴木いづみを語る際、しばしば引き合いに出される「明かるい絶望感」というキーワードも、近田春夫が『気分は歌謡曲』(雄山閣、1979年)で提唱した「安全な絶望感」が元ネタだ。

 ふと思ったのだが、『契約』の帯にキャッチコピーとして使われている「なんかもう、絶望的に明かるいの−−」というフレーズは、やくしまるえつこのウィスパーボイスで聞いてみたい。そういえば、やくしまるのシングル「おやすみパラドックス/ジェニーはご機嫌ななめ」(2009年)は近田が作曲していたのだった。近田春夫を介して、1980年代初頭の鈴木いづみと、2000年代後期のやくしまるえつこが、ほんの一瞬、すれ違う。

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