母の介護の始まり 2013春

思えば始まりは2年ほど前の夕食時でしたね。

「あんたぁ、三田に疎開しとったなぁ?」と母がぼくに言った。

「疎開て、なんやねんそれ?誰のはなしや」とぼくは言った。
言いながら恐怖と不安が入り混じったなんともいえん気持ちになった。

とうとう始まったな、とその時覚悟したものの、その後1年くらいは
そういったおかしな話はほとんど出なかったので、ぼくもあれは
「ただの勘違い」と思おうとしてた。

去年の春ごろ母は胃潰瘍をこじらせて体調を崩し、毎朝の日課にしてた
こうめの散歩にも行けなくなり、一日中テレビを見て寝転んでる生活
になった。

体が弱ると足が弱る、転んであちこちぶつけてまた寝込む、また弱る・・・
の悪循環ですね。

で、体が弱ると頭の弱り方も加速度的に進むもんですね。

もう最近はまともなこと言ってるときの方が少ない感じです。

始めのうちはね、ぼくも慣れてないですからね、最初のときに感じた
恐怖と不安の入り混じった感覚が強くてどうにもやりきれん感じだった
んです。

でもなんでも慣れるもんですね、それが普通になると、
「ま、ええか、今元気やったらそれでええか・・・」という気持ちに
なるもんですわ。

ぼけてる母親に恐怖や違和感じゃなく愛嬌を感じることも少しはできるようになった気がしています。

学校、恋愛、仕事、結婚、子育て、子供の受験、自分の病気・・・
そして老親の介護・・・。

生きてるといろんな練習問題が次々に出題されますねぇ。

自分が死ぬ時までいろんな問題を解き続けんとあかんのでしょうね。

そのとき、そのときの問題の只中にいるときはほんとに辛いけど、
終わってみると、必ずなんかが残ってる。
わかってるけど、やっぱりその只中は辛いです。

いつものように弱音吐きまくろうと思っています。

不思議なものでこういうときは自分が楽しみたいという欲は自然に
抑えられて、ストレスにはならんようです。
よかった、よかった。

・・・とか言って適当に息抜きもしてますけどね。

ま、まだ始まったばっかり。

肩の力抜いてがんばろ。

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