びっぐじん 神保義彦

兵庫県加古川市で作業服屋さんやってます。 1958生うお座B型。 クルマやバイクで走っ…

びっぐじん 神保義彦

兵庫県加古川市で作業服屋さんやってます。 1958生うお座B型。 クルマやバイクで走ってるだけでゴキゲン。 アイコンのビーグル犬「こうめ」は2014年☆になりました

最近の記事

二桁背番号の夏

夏の甲子園の地方大会が始まりましたね。 何年も前に書いた記事をこんな時期なのでノートにアップしてみました もう成人したうちのふたりの息子たちも中学、高校と6年間、野球部におったんです。 3つ違いで、それ以前に地域のソフトボールも行ってたから結局わしら10年ぐらい球児の親をやってたわけですわ。 ま、大変なんは、ユニホームの洗濯、弁当作り、水筒の準備に明け暮れる母親の方なんやけどね。 ソフトボール時代は、たまに観に行っても活躍してくれて、けっこうおもしろかったですね。 な

    • 番外編 やってもうた 2013冬

      実は先週一週間、夫婦でずっとヘコんでました。 「やってもうた」状態でした。 その前の週末に食べたものが悪くてふたりとも体調を崩し、ぼくはゲロゲロ ヨメハンはピーピーになったんです。 二人とも月曜がひどくてその後回復にむかったわけですよ。 ぼくの方が早く回復し、ヨメハンの方は症状が続いてたものの元気になってましてね。 土曜日に例によってばあさんの入ってる施設へ二人そろって見舞いに行ったのですよ。 まあ、いつものように半時間ほど話して(会話にはならんけど)あちこちマッサ

      • 母を看取る 2014秋

        約1年お世話になった老健の施設から特養の施設へ入所できたのが 9月4日。 肺炎を起こして救急車で病院へ運ばれたのが10月9日。 そして10月の末に病院側から肺炎の治療は終わったとのことで、これからの 方針についての相談があった。 嚥下(飲み込み)ができない上に浮腫(むくみ)で点滴の針も刺せなくなった母 への次の処置として、医師は経管栄養を鼻から、または胃ろうを作って入れて 、の延命処置を提案した。 ぼくも当然、選択肢は鼻からか、胃ろうか、その後はどの長期療養

        • 一時帰宅 2014夏

          現在お世話になっている老人保健施設(老健)のルールで最高1年をメドに 1回退所しなくてはいけません。 うちのばあさんも早や入所から1年が経とうとしているので、7月下旬から8月上旬にかけて約2週間の在宅介護をすることになりました。 全期間の在宅介護を奨められたのですがさすがにいきなりそれは 無理、ということで5泊6日のショートステイを2回使い、その間を埋めるように2泊3日の在宅介護を3回する事になりました。 ほぼ1年ぶりの帰宅。 まあ反応はイマイチよく分からんのですが、

          その後の状況 2014初夏

          骨と皮だけになり、とっくに寝返りも打てなくなったけど、 それでもそれなりに安定している現在のうちの母親。 春ごろまではしょっちゅう体調を崩し、もうアカンかもうアカンか、 と何回も思ったけどね。 人間の生命力って大したもんやね。 あんな体でもまだ回復するチカラが残っとるんやね。 土曜日の休み毎に見舞いに行くのですが、アルツハイマーが進んで 会話の能力は99%失われているものの、たま~にタイミングよく 問いかけに対する答えのような単語が返ってきたりもするし、 笑う場面で笑った

          その後の状況 2014初夏

          老健入所 2013晩夏

          入所日を電話で聞いてからの6日間、長かったぁ~~ 白熱球の電気スタンドを掛布団でくるんで何か所も焼け焦げさせて ボヤさわぎをおこしたり、夜中に見に行く度にベッドから落ちてて あきれさせられたり、最後の日にちょっと風邪をひかせてしまったり、 ・・・と色々ありましたが、本日なんとか無事老健施設に入所する ことができました。 とりあえずホッとしています。 「おしっこ」の意味も「おはよう」の意味も、「立つ、座る」の 意味も「吐く、飲む」の意味もなぁ~んもわからん

          老健入所 2013晩夏

          逃げ切りたい 2013夏

          頭の中は90%ばあさんの介護のことが占めておりますので、すみません またまた介護のハナシです。 以前オカンを施設に入れるのに「葛藤」があるという日記を書いたのが 一か月ちょっと前。 読み返してみると、たった一か月やのに、感じてることが随分変わって きています。 今は葛藤は全くなくて「焦り」があるだけですね。 ボケの方は更に進み、いい時、ひどい時の波もへったくれもなくなりまして、 ずーーっとわけのわからん状態が続いてます。 まあ言うならば手に負えんヨッパ

          逃げ切りたい 2013夏

          葛藤 2013初夏

          またまたぼくの母親のはなし・・・。 ボケが進んで足腰も弱くなりヨタヨタ、ヘロヘロになったので認定を受けて 「要支援1」が決まったのが今年の1月。 それから半年であれよあれよという間にボケが進んだ。 入れ歯がようやくできあがり、やっとのことで物忘れ外来の受診にたどりついたら やっぱりアルツハイマーの診断がでた。 レミニールという薬を飲ませて様子をみているけど、さっぱり効いてない感じ。 ますます進んで、最近はまともな時間がとうとうなくなりました。 妄想、幻覚、

          葛藤 2013初夏

          オカンと外泊 2013初夏

          86歳の母親が抜歯のため口腔外科に3泊4日の入院をした。 痴呆が進んでるとはいえ、ベッドまわりや直接本人に取り付ける センサーもあるし、ま、大丈夫でしょう・・・ということで なんとか預かってもらった初日。 久々に上階に母親がいない解放感を味わったのも束の間ですわ。 翌日、早朝からぼくの携帯が鳴る。 どうやったは分からんが、夜中、各種センサーをくぐり抜け、廊下へ出て 転んで顔面を打ったという。 危ないので、付添をつけてくれ、という電話。 その日の昼間

          オカンと外泊 2013初夏

          母の介護の始まり 2013春

          思えば始まりは2年ほど前の夕食時でしたね。 「あんたぁ、三田に疎開しとったなぁ?」と母がぼくに言った。 「疎開て、なんやねんそれ?誰のはなしや」とぼくは言った。 言いながら恐怖と不安が入り混じったなんともいえん気持ちになった。 とうとう始まったな、とその時覚悟したものの、その後1年くらいは そういったおかしな話はほとんど出なかったので、ぼくもあれは 「ただの勘違い」と思おうとしてた。 去年の春ごろ母は胃潰瘍をこじらせて体調を崩し、毎朝の日課にしてた こうめの散歩にも行

          母の介護の始まり 2013春

          こうめの最期2015/1月

          年末の30日午前6時半、こうめが逝ってしまいました。 元々リンパ腫という病気を患っていて、体の外側も内側もいっぱい デキモノができてはいたのですが、なんとか元気だったんですけどね。 丁度、正月休みに入った日の朝だったので夫婦でしっかり見送ってやる ことができたのが救いです。 平日ならばお客さんの対応やなんやかんやで、愛想笑いを作りながらの 辛い別れになるところでした。 そんなとこまでちゃんと分かってて逝ってくれたんやね。 気ぃつかいの賢い子や。 先

          こうめの最期2015/1月

          うちのアホ看板犬、ビーグル犬のアホの「こうめ」にひとこと・・・2014

          よしよし・・・とかって撫でると、撫でられている間はなんとかジッとしているものの、手を離したとたんにプルプルプルッ・・・ってやるの、感じ悪いぞ。 いかにも「いややわ、セットが乱れるやんか」言うてる風やぞ。 マナーやろ、マナー。正しい犬としての。 丸くなって寝てる時に「こうめぇ~・・・」とか言いながら撫でる時もそう。 まず、「うぅ~」って言うな。 離れた途端に「ふぅ~っ・・・」とかって溜息つくのも、やめぇよ。 いかにも、嫌いな仕事がやっと終わったぁ・・・って言うてる感じやぞ

          うちのアホ看板犬、ビーグル犬のアホの「こうめ」にひとこと・・・2014