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それでも必要なんだ

こんにちは、こんばんは。

新型コロナウイルス、続々と感染者が増えていますね。わたしも出かけるときはマスク着用、家帰ったら手洗いうがいして、ついでに洗顔しています。

わたしが出かける用事といえばコンサートです。でも、コンサートや演劇、かなりたくさんの催しが中止になっていますよね。イタリアのミラノではスカラ座が閉鎖になったそうじゃないですか。


イベントの開催について、厚生労働省のホームページには、こんな文章がありました。

イベント等の主催者においては、感染拡大の防止という観点から、感染の広がり、会場の状況等を踏まえ、開催の必要性を改めて検討していただくようお願いします。なお、イベント等の開催については、現時点で政府として一律の自粛要請を行うものではありません。
イベントの開催に関する国民の皆様へのメッセージ - 厚生労働省

開催の必要性、ねえ……。

芸術は、不要なものではないと思うんです。でも、感染を広げる原因でしかないということもわかるんです。わかるからこそ、やるせなくて。それを書きますね。

生じゃなきゃいけない

近年、一気にライブ配信が身近なものになりましたよね。
「イベントでお客さんを呼ばずに、無観客でライブ配信やればいいじゃん!」と思われるかもしれません。

音楽や演劇って、演者が一方的に情報を与えて、観客が一方的に傍受するというものではないんです。通信制大学の授業とは違うんです。授業じゃないんですよ、コンサートも、演劇も。

演者も受け取っているんです。お客さんの様子を。笑い声だったり、緊張感だったり、そういうものから良くも悪くも影響を受けています。

そのコミュニケーションから生まれている芸術だということを、知ってほしいです。知らない人にはね。

現場の空気はやっぱり、現場でしか味わえないものなんですよね。VRが没入感を増やして、バーチャルなすごい世界を作っているというのは確かに、素敵です。好きですわたしもそういうの。

でも、全ての人がヘッドマウントディスプレイを持っているわけではありません。すべての現場でVR撮影ができるわけでもありません。

2次元の画面から得られる情報の量は、会場で受け取る情報と比べればほんの小さなものです。

そして空気です、空気をわたしたちは一緒に味わうことで楽しんでいます。でも、この「空気」、つまり一緒の空間にいるということが、感染に加担する要因なのですよね。皮肉だなあ。

芸術は生きるために必ずしも必要ない。でも、

わたし自身も、ライフワークとして音楽をやっています。

我々は生きるために、表現活動をしています。体で息をするだけではなく、心の潤いを保ち続けるために。

時にこの表現を求めてくれるお客さんもいます。わたし自身もお客さんとして、舞台上で繰り広げられる生の表現を求めて、出向きます。これもまた、生きるためです。心の潤いのためです。

でも、こうして生きるためにやっていることが、ウイルスの感染を広げる一因になっているということ、人を殺すものの媒体になっているわけです。現に、ミラノ・スカラ座ではそうです。


アーケード版「ラブプラス」で性病が移る危険性があるという記事を思い出しました。調べたら10年前の記事でした。

ラブプラスは女の子と恋愛をする家庭用ゲームです。プレイヤーはが女の子とキスをするなど、物理的接触を試みようとすることがある、かもしれません。

これがゲームセンターに進出したら?
それぞれのプレイヤーがそれぞれの女の子との交流のために、筐体(ゲームの機械本体)と物理的接触をはかるかもしれません。だから、筐体を介して、性病が移るのではないか? という話です。

これはフェイクニュースというか、かなりネタ寄りの記事です。(だからリンクを貼ることに躊躇しています。)でも、ありえなくはない内容だと思います。

生きるためにコンサートを求めている演者と観客、似ていますよね。病気を移す媒体が筐体なのか会場の空気なのかという違いはありますが、求めるがゆえに感染をするという点は同じです。

悲しい

体がなければ芸術を楽しむこともできません。だから、体を大切にするためにも、感染する人を増やさないことが大切です。

でも、今日と言う日は一生に一度しかないんですよ。この公演を楽しみに頑張って生きた、という人もいるかもしれません。わたしはそういう公演がたくさんありました。

延期して、延期した先で生きているという保証はどこにもないんです。演者も、お客さんも。そういう気持ちも、あるんです。

お客さんも、主催者さんも。
いつかむくわれる日が来ますように。おやすみなさい。