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無意識の連鎖

この春、再び韓国の釜山に渡る長女と、その地を訪れた。

三寒四温の、寒さと温かさが入り混じる時期に訪れた韓国。
降り立った美しい釜山港。

利用した港近くのホテルでも、レストランでも、多くの若い人が流暢な日本語でフレンドリーに話しかけてくれる。

日本でもおなじみのアイドルのポスターや、おしゃれなカフェ、平和な街並み。

この地で、わずか30年くらい前まで、まだ暴力による弾圧が残っていたことは、私にとって想像しがたいことだった。

長女が韓国に興味を持ち、その地と繋がっていくのをきっかけに、彼女を通して、私にも韓国を知る機会が自然と降り注いできた。

昨年の夏、偶然立ち寄った美術館の展示に、動かされた自分の気持ちを伝えたくて、作者のアーティストさんにお手紙を書いた。
そしてその後、とてもありがたいことに、直接お話をする機会をいただいた。

その出会いを通して、韓国の光州という町のことを知りたいと思った。

1980年に起きた光州事件を描いた、映画。

「タクシー運転手  約束は海を越えて」



光州事件について、この映画を観たり、自分なりのリサーチをした中で、無意識に揺蕩う、連鎖する慣習というポイントについて、自分の覚書として記したい。

この事件が起きた1980年、私は小学生だった。
すでに国家的には民主化された日本に生まれた私は、自分の知るリアルタイムの中でいうと、意外と最近まで、韓国内で軍事態勢が維持されていたことに少し驚いた。

さらに歴史を紐解いてみると、暴力が、それ以前の歴史の中で受けた暴力から繋がっていたり、そしてまた、暴力を受けた者が、次の暴力へと繋げてしまう、負の連鎖が見えてくる。

日常のレベルで自分の生きてきた時間を振り返ってみると、私の学生時代、時は昭和末期の教育の現場でも普通に体罰があった。
その状況しか知らない当時の私たちは、それを無意識のうちに当たり前と受け入れていた。
それは、軍事態勢時代の日本の日常レベルにあった無意識の慣習を受け継ぎ、それがまだ残っていたのかもしれない。今になってそう思う。

育児の場でも、虐待の連鎖という話をよく聞く。
虐待を受けて育つと、自分の子どもにも虐待をしてしまう。
自分が受けた経験を、無意識のうちに自分の行動に採用してしまうのだ。

国家レベルでも、個人の日常のレベルでも、無意識に過去から現在に繋がり、現在から未来へと繋げようとしている見えない鎖がある。

私も、日本も、見えない鎖の中の構成要素になっているのかもしれないのだ。

その無意識に気付き、意識に昇らせ、認識できてはじめて、それが善なのか悪なのかを判断できる。

良くも悪くも、無意識の中にある慣習がある。

まずはそれに気づくこと。

それに気づき、断ち切るべきものは断ち切り、繋げ続けるべきものは繋げ、

繋げるものは愛でありたい、そう思う。






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