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草を刈る

私には、どうしても、草を刈らなくてはならない法面があります。

休耕田にえごまを植えていますが、その休耕田には、部屋の天井くらいの高さの、急こう配の法面があります。草刈りを初めて5年経ちました。最初の草刈り機は、カラフルなペイントがあって気に入っていたのですが、2年で壊れてしまいました。いとも簡単に、しかも優雅に草を刈る男の人達に「草刈り機は、そんな、壊れんぞ。うちのは、もう20年くらい使っている。」などと言われて笑われました。

2台目はドイツのスチール社のもので、エンジンもかかり易く、不安もなく使っていたのですが、またしても2年で、先端部のギアーが動かなくなってしまいました。ナイロン刃をずっと使ってきたので、先端部が疲労してしまったのです。ナイロン刃は成長し過ぎた草には不向きなのことは、わかってはいるものの、硬い草を買ってしまうことがあります。たとえば、早春のヨモギは柔らかいのですが、夏になってそのまま丈の伸びたヨモギは低灌木のようになり、ナイロン刃では歯が立たない。歯がたたないのに、歯をたててしまう未熟さが乱暴性に繋がって、ギアーを破損してしまうんだと思います。

それで、昨年から、金属の刃も使ってみることにしました。足元で円盤形の金属刃が回っていると思うと、下肢から足の指先に意識が集中して、ぞくぞくします。2年毎に、草刈り機を壊すわけにはいかないので、勇気を出して金属の刃(チップソーと言うそうです。)を、回すことにしました。

8月の、盛夏の農作業は、早朝か夕方じゃないと、暑過ぎて体力が一気に落ちてしまいます。今年の天候は不順で、災害はなかったものの、よく雨が降りました。午後から、農作業に出掛けようと思うと、雨が降ってくるので、結局は、中途半端な時間が多くなって、サルトルの『嘔吐』に出てくる、何かするには早すぎるか、遅すぎる時間の〈午後3時〉のような時間を持て余すことになりました。

その日も、小雨の後、曇り空になって、草刈りには最適だと意気込んで、草刈りの用意をしました。


草刈り場について、エンジンをかけ、斜面に降り立つ。

金属の棒の先では、勢いよくチップソーが回っている。

足裏全体に力を入れ、指をスパイクブーツの中で緊張させて、右から左へと刈り払い機を動かしていく。チップソーは灌木化したウドの藪を切り崩していく。シダや大きく成長した手強いイネ科のススキもチップソーは刈り倒していく。暫くすると、噴き出した汗で、カッターシャツが肌に張り付いてくる。熱気で上気しているのがわかる。

気がつくと、曇っていた空が、すっかり晴天に変わっている。午後の夏の陽差しが、背中にじりじりと焼きついてくる。


一段落して、法面の上に立つと、10メートルばかりを、下方に残すのみとなっていました。かなり体力は消耗していたものの、やってしまおうと欲を出しました。また、右から左へと刈払機を動かし始め、終わった時、やっとの思いで法面を上がった瞬間、右足全体がつって、痛みで動けなくなりました。持ってきた水は途中でほとんど飲んでしまっていました。水もなく、痛みもすぐ回復するようには思えず、夏の陽射しはさらに強く照りつけてきていました。棚田には、陽を避けるような木も植わっていません。どうにかしなくてはと思った時、転作で植えているキビが人の丈くらいになっていて、その間にイネ科の雑草が同じように成長していました。その中に入るしかないと思い、草を押し分けてキビの中にしゃがみ込みました。そうして、辛うじて、少しの間、照りつける陽から逃れることができました。その小さな陰影の空間は、静かで、何も言わず、寛容でした。

しゃがんでいた時、ガマの花の上でじっとして病を治す『因幡の白兎』のお話を思い出しました。その物語を読んだ子供の時は、ガマの草の中で、じっとしているだけで病気は治るのだろうかと不思議でした。


刈られる草もあれば、
刈り取られることもなく一年を通り越す草たちもある。

風を待ち、

雨を待ち、

朝露を待ち、

草はただじっと待つだけ。

風に揺れる草を刈ることで、

風も刈っている。

草に降る雨の景色も刈っている。


何とか、足のこむら返りも収まって、草の中を這い出てきました。耳栓を外し、刈り取られて並んだ草の斜面を、ときどき振り返り見ながら、農道を下っていきます。その振り返るときが一番好きです。

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(えごまの畑です。えごまにはαリノレン酸が含まれています。オメガ3の油が搾油できます。)





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