大屋好子

絵を描いています。テーマは、主に、「見え方の不思議」です。現在は、シルクスクリーンで制…

大屋好子

絵を描いています。テーマは、主に、「見え方の不思議」です。現在は、シルクスクリーンで制作しています。針穴写真や、布のパターンも投稿. https://pumpkienne.wixsite.com/mysite/people-s-motif

最近の記事

  • 固定された記事

岡本太郎の「痛ましき腕」の中のリボンについて

高校の図書館で見た画集の中で、記憶にしっかりと刻み込まれているのは、岡本太郎の「痛ましき腕」である。 記憶の「痛ましき腕」を辿ってみると、リボンにはふさわしくない日に焼けた力強いフォルムの腕がある。腕から視線を下ろしていくと、しっかりと握った右手があって、手首には光を放つ金属のブレスレットが嵌められてる。 何かに拘束されているようでもある。 ブレスレットによって装飾される腕。 下を向いている顔はどんな顔か判らず、大きな赤いリボン(これがリボンだというような)が画面の中央

    • 『オブジェを持った無産者』を読んでいる。2 つづき

      「トマソン黙示録」の展覧会 赤瀬川原平さんに会ったことがある。 銀座の佐谷画廊で、「トマソン黙示録」の展覧会が開かれている時だ。 ちょうど、赤瀬川作品を読み始めた時期だった。芸術新朝の「ひしゃげた親切」が出てくる文章が面白いと友人に力説すると、今、銀座で赤瀬川さんは個展中(らしい)だから会いに行ってみたら、などと言う。 「最終日に行けば絶対に会えるよ!」 と、新幹線代まで用意してくれた。 地下一階にある佐谷画廊の階段を降りると、案の定、赤瀬川さんは、ファンらしき男女と中

      • 赤瀬川原平の文章『オブジェを持った無産者』を読んでいる。2

        少なくとも人間は重工業 付箋バサミの数だけ気になった個所はある。付け忘れていなければ。付箋バサミを確認しながら、言葉を2度味わう。 人間と重工業の組み合わせは、何か気になる不思議な組み合わせだ。資本主義社会の象徴としての重工業、管理社会に組み込まれて、機械の一部でもあるような人間の在り方、プレスされた鍋にオブジェという称号を与えることのできる肉体も重工業のシステムの一部であるということだろうか。 また、重工業というと、岡本太郎の「重工業」という絵が頭をよぎってくる。「重

        • 赤瀬川原平の文章『オブジェを持った無産者』を読んでいる。

          『オブジェを持った無産者』をもらう 昨年の暮れに、近くに住む友人のⅭさんとお買い物に出かけた。時々、Cさんは、車の運転できない私を町に連れ出してくれる。帰りに、赤いギンガムチェックの紙袋を「どうぞ」と手渡してくれた。家に入って見てみると、『オブジェを持った無産者』が出てきた。思わず、「わツ!」と固まってしまう。赤瀬川本は、結構たくさん持っているのだけど、この本は持っていない。第一、ちょっと高いし、4千円以上する。うれしい~。それで、今、赤瀬川原平の文章『オブジェを持っ

        • 固定された記事

        岡本太郎の「痛ましき腕」の中のリボンについて

          わたしたちのオーデン

          『わたしたちのオーデン』というのは、『オーデン詩集』(深瀬基寛訳)の最後にある解説のタイトルです。いいだももさんが書いています。 以前、『見るまえに跳べ』について思い出したことを書いてみたので、本の整理をしている時に目に入ってきた、この『オーデン詩集』を読むことにしました。懐かしさを感じつつも、何十年も(なんと!)閉じたままで、積読状態にしてにしておいたのは、本に申し訳ないと思っています。でも、そういう本がいっぱいあります。いつかのための本。いつかというぼんやりした未来を背負

          わたしたちのオーデン

          三つの視線

          せの君の如何ありやと見ておれば     火鉢の湯気の立ち上る見ゆ この間、思いがけなく、祖母の日誌を開いてみた。その中にある、祖父を歌った情景が心に残った。 火鉢の前にすわって、おそらく鉄瓶の湯気を見ている祖父がいる。湯気が立ち上っているので、炭もあかあかとよく燃えている。赤く熱した炭火が、安定した火力で部屋を暖めている。 立ち上る湯気を見る祖父 ↓ それを見る祖母 その情景を歌に詠む ↓ その歌を長い時を経て鑑賞するわたし 言葉で残されたものは、言葉を辿っていくとそ

          三つの視線

          夏の夜に少年を加える

          暑い夏の夜に、終わらない農作業の合間に、3人の少女の中に少年を描き加えてみました。沸騰する暑さが、無彩色の世界で少しおさまればいいのですが。またしても、暴走する表現欲のブレーキをかけることになりました。

          夏の夜に少年を加える

          版画は楽しい

          丼鍋のステンレス感が気に入っています。丼鍋のどこに惹かれるのか考えると、まず、形がシンプルで、邪魔にならない使用感であること。あまり丼という料理をしたことがないので、調理する映像が目に現れて憧れる。ほこりが、うっすら溜まっていても美しい。鍋の薄さがいい。取っ手が変わっている。中央が膨らんだエンタシスの柱のようである。銀のステンレスと黒い取っ手がいい感じだ。円盤状の蓋が面白い。 この丼専用の鍋を、ピンホール写真の題材にしている。ピンホール写真は、絵を描くのに近い感覚があります

          版画は楽しい

          定型詩について考えていたら

          マンガも小説も省略の様々な形態だとすると、その省略の仕方に表現の個性が現われて作品になる。575,57577という型に言葉を省略する俳句や短歌のなどの定型詩について考えていると、繰り返しで平面を充填する絵画は定型絵画と言えるのではないかと気がついた。このような呼び方は初めてだ。この定型絵画も、まず、制限が前提にあって、そこが出発点になる。 自分で、一応制限のルールのようなものを決めている。ルールはいろいろ制作しながら、考えている。ついこの間作っていたのは、ハートの間に2人の

          定型詩について考えていたら

          鰻と腎臓のはなし(『オン・ザ・ロード』再考)

          腎臓を心配するディーン ディーンの方がサルよりも、いろいろな経験をしているという意味でずーっと大人だ。病気のサルをほっておいて、自分にとっての緊急性を優先してしまうようないい加減さも、あえていうなら、生きる逞しさかなと思う。なんか、全然憎めない。さらに、ワイン中毒の父を小さい時に弁護したという経験を持ち、まだ、ずーっと、行方不明の父を探している。そんな不幸にも埋没していないディーンの生き方が愛しい感じがする。最後の方で、お金の入ったサルと一緒に、ニューヨークに向かう時、レス

          鰻と腎臓のはなし(『オン・ザ・ロード』再考)

          〈繰り返し〉について考えたこと

          反復と連続性、繰り返すものが いつも気になっている。 同じ形で繰り返される模様に、 何かしら、心が落ち着く。 〈図〉と〈地〉が反転したり、 平面がいくつかの同じ形で埋め尽くされるので、 〈埋め尽くし〉と呼んでいる。 それぞれの形が〈図〉であり〈地〉であるときは 背景が失われている時だ。 あるいは背景が〈地〉であり、〈図〉であるときだ。 その時、〈図〉と〈地〉の境界線は共有されて、 領土を分かち合っている。 この間小川洋子さんと平松洋子さんの 『洋子さんの本棚』とい

          〈繰り返し〉について考えたこと

          覚悟たち

          捨てるのはなんと難しいことか。 今あるものを別のところに置くだけで、 なんか、違和感をおぼえる。 夏の間、ずっと開けっ放しにしていた台所の 戸を、秋の肌寒い空気に変わるころに閉めると、 いつもとは違ういつもがやってくる。 いつもとは違うちぐはぐになれるまでに、暫く時間が 必要なこともある。 人は、変化に弱いし、 慎重だと感じることはたびたびです。 しかし、思い出すと、 高校の卒業時の寄せ書きに書いた言葉は・・・    見る前に跳べ でした。大江健三郎の大ファンだったから

          覚悟たち

          短い読書感想文/岡本太郎の『日本の伝統』

          この間、友人のkさんが図書館で面白い本を見つけたと言ってやってきた。 岡本太郎の『日本の伝統』、初版の献呈本だった。 万年筆で、 ブルーブラックのインクで、 岡本太郎のサインがある。 万年筆の繊細な文字は、さらりとした美しい行書体だ。 思わず、「わぁ―、岡本太郎の字!」。 本を開かなかったら、文字は永遠に忘れられ 眠ったままだ。 ページの中の文字は、 文字を書いたその時間を封じ込めている。 文字を紙のあいだにいっぱい貯めこんで、 さしずめ、本は文字の倉庫みたいなも

          短い読書感想文/岡本太郎の『日本の伝統』

          『内臓とこころ』を読む。3

          胃感覚について考えていたら、またまた道草をしてしまった。 目的地にはなかなか辿り着けない。 でも、道草は楽しい。 目的地はずーっと遠くにあればいい。 道草にはその方が似合っている。 その間は、道草し放題だから、目的地の概念は頭から外した方がいいのかもしれない。 しかし、目的地は、ここに。 はらわたの復興について書かれてあるページ、 生命記憶が書かれてあるページ、 内蔵された宇宙のリズム、 大宇宙の宿された心臓について書かれてあるページ。 ここが目的地。 いままでの、 Ⅰー

          『内臓とこころ』を読む。3

          『内臓とこころ』を読む。2

          『内臓とこころ』を読む。1は、途中で止まってしまって、もう後戻りできなくなってしまったので、もう一度、とりあえず、立ち上げています。とりあえず、って何?と思いますが、助走みたいなもの。とりあえずの助走。 自分の胃袋感覚について考えてみる。 まず、存在の主張を始めたのは身体の中で、胃袋だったようです。不安はいともたやすく胃の不調を連れてくる。胃の存在感が現れて、身体の中心に居座る。胃によって支配される身体。友人のYちゃんがどんな感じなのと聞くので、胃に繋がれている意識を、最近

          『内臓とこころ』を読む。2

          『内臓とこころ』を読む・1

          『内臓とこころ』は、保育大学(「さくら・さくらんぼ保育園」(斎藤公子氏創設)での講演シリーズのこと)での講演が書籍化されたもので、解剖学者三木茂夫さんのはじめての著作だそうです。講演でのお話なので、本の中には、三木さんが語りかける聴衆(たぶん、保育園児のお母さんたち)がいて、その人たちの中に混じって、お話を聞いている感じがします。 膀胱感覚、口腔感覚 なにしろ、最初が、 膀胱感覚です。      次に、 口腔感覚、      3番目は胃袋感覚で、 文章の中に混じっている(

          『内臓とこころ』を読む・1