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鰻と腎臓のはなし(『オン・ザ・ロード』再考)


腎臓を心配するディーン

ディーンの方がサルよりも、いろいろな経験をしているという意味でずーっと大人だ。病気のサルをほっておいて、自分にとっての緊急性を優先してしまうようないい加減さも、あえていうなら、生きる逞しさかなと思う。なんか、全然憎めない。さらに、ワイン中毒の父を小さい時に弁護したという経験を持ち、まだ、ずーっと、行方不明の父を探している。そんな不幸にも埋没していないディーンの生き方が愛しい感じがする。最後の方で、お金の入ったサルと一緒に、ニューヨークに向かう時、レストランでの休憩時にトイレで、おしっこを途中で止めようとするサルの腎臓を心配するディーンに怒りのダメ押しをするサル。その言葉にたじろぐディーンの姿が悲しい。

ふたりともくたくたでかなり薄汚れていた。レストランのトイレで僕が小便をしていると、ディーンが洗面台で手を洗いに来てぼくが道を塞ぐ恰好になったので途中でやめて便器を離れ、別な便器に移動してまた小便をして、そしてディーンに言った。
「この芸当、すごくない?」「たいした芸当だけど腎臓にはよくねえよ。もう年を取ってきたんだし、そんなことして年寄りになるとひどいことになって、ひどい腎臓病を抱えて公園でお座りしているような羽目になるぞ」

『オン・ザ・ロード』ジャック・ケルアック著 青山南訳 p.340

「おまえはなにかというとひとの年齢をからかうし、心配してくれなくてもいい」とサルが返す。

そして、ディーンの心配にくぎを刺す。
「もう、二度とああいうことは聞きたくない。」

ディーンは、意外な(たぶん)サルの怒りの言葉にビックリして、その後、食べ物が、喉を通らなくなってしまう。。
2人の心の動揺が伝わってくる。
目の前には手の付けられていないサンドウィッチの皿がある。
サルもディーンの言葉にカチンときてしまったのだ。レストランを飛び出し泣いていたというディーンの言葉をサルは信じられない。

たぶん、2人とも、ほんとうに、ものすごくくたびれていたんだと思う。(これが私の結論なのですが、物語の中の2人の感情の流れについてどうだ、こうだと考えているおかしさにちょっと気がついている。)
仲が良くても、こんな些細なことが怒りの原因になるなんて、すれ違う時はどうしようもない。

このエピソードがおかしくて、悲しくて(ややこしい)心に強く残る。


           『オン・ザ・ロード』ジャック・ケルアック著 青山南訳 河出書房新社

そして、一番最後では、友人とガールフレンドとサルはコンサートにキャデラックで出掛けるんだけど、ディーンは乗せてもらえず(遠くからやってきたのに)、ボロボロのオーバーで凍えるディーンを見送りながら、ガールフレンドは泣きそうになっているところ。

「ねえ、あんなふうに帰らせて、よくないよ。これからどうするの?」

この箇所があるから、さらに、この物語の印象が深まっていく。

最後は夕日が沈む風景。陽はまた昇るための夜。

宵の明星の光が皮を黒く染め、山頂を覆いつくし、最後の岸辺を抱き寄せるだろう。。。

『オン・ザ・ロード』ジャック・ケルアック著 青山南訳 河出書房新社

〈最後の岸辺を抱き寄せるだろう〉ってところが好き。通奏低音は夜、夜を憎む物語ではなく、夜で満たされている小説。そして、悲しみと一緒に。

                 *

1949年の鰻と20世紀思想

今読み終わった本が『思想の折り返し点で』という、鶴見俊輔さんと久野収さんの対談集なのですが、最初から面白くて、気がつけば、いっぱい付箋を貼り付けていました。2人とも哲学者。鶴見さんは面白い経歴の持ち主で、ハーバード出身。敗戦から5年経った時に、2人は座談会で初めて会う。そのときの鶴見さんの発言が「マスコミというのが20世紀思想の最大の問題になるだろう」というもの。そのときの発言は、出席していた知識人たちに、まったく理解されず、袋叩きにあったと鶴見さんは言っていて、その時座談会に出ていた貴重な1949年の鰻をテーブルに落としてしまった。「これを食べるか、食べないか」と考えていると、食べないと人格崩壊につながるとと思って、こぼした鰻と箸で取り上げて食べたというエピソードに思わず笑みがこぼれ、いいな~と思いました。テレビやマスメディア、映像文化が、そのときはよくわからなかったと久野さんは言っている。この20世紀思想と鰻の組み合わせは、最強だ。この本は1990年に出版されていて、これは70年前のはなしになります。

                  『思想の折り返し点で』久野収・鶴見俊輔著 朝日新聞社



悲しみは5分で

鶴見さんの鰻をテーブルに落としたはなしと、怒りの言葉に翻弄されるディーンの感情が頭の中で交差している。鰻をテーブルにこぼしても、鶴見さんは箸で取り上げて食べる。サルの怒りに動揺して涙が出てしまいレストランから出てしまったディーンも悲しみは5分で切り上げてホットローストビーフ・サンドウィッチを食べ始める。湯気はもうたってはいなかったと思うけど、まだ、温かかったに違いない。

食べ物を受け入れて食べ始める。
ほんとに、よかったなあと思う。
食べないと後が続かないもの。

ところで、鶴見さんは哲学者。鶴見さんは、アメリカの北爆に反対して、べ平連(ベトナムに平和を市民連合)を立ち上げた人。久野さんも哲学者で、37年治安維持法違反で検挙された経験があり、べ平連結成にも加わっている。

                  *

やさしさに包まれていた時代

今朝は、ユーミンの「やさしさに包まれたなら」が、FMから流れてきました。朝に聴くこの曲はほんとに、名曲だと思う。1972年に発表されている。
時代は、若者文化とやさしさとサブカルチャーが主流となって価値の転換が叫ばれていた。サブカルチャーの源流にはビートの詩人たちがいる。その頃は、ビート・ジェネレーションという言葉や、アレン・ギンズバーグ、ゲーリー・スナイダーという名前は知っていても、全く理解は出来ていなかった。サブカルチャーも最初の頃はアナザー・カルチャーとか言っていたように思う。そう思えば、友人のOくんが主に記事を書いて、Yちゃんのイラストで発行してたミニコミ誌は「ジ・アザー」だった。私は、時々詩を載せてもらっていた。

今、冷静になって考えると、そういう時代の価値は、少しずつ人々の心に侵入して意識下に取り込まれ、徐々に肥大していったのではないかと思う。吉田拓郎さんは「僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら、結婚しよう」と歌っていた。やさしさに安住していたあの時代を振り返ってみると、やさしさと引き換えに、何を失ってしまったんだろうと、この頃は思うことがある。
 



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